田中求之的日々の雑感

このページは田中求之的日々の雑感の2008年09月分のアーカイブです。

ここに記されているのは、あくまでも田中求之の個人的な意見や感想です。
田中の所属する組織や田中の公的な立場の見解ではありません。

田中が購入したり読んだり気になった本の題名に bk1 やアマゾンへのリンクが付いている場合がありますが、これらのリンクにはアフィリエイト(ブリーダー)の ID は埋め込まれていません。リンクは記録や紹介を目的にしたものです。

【田中求之的日々の雑感】  【田中求之的日々の雑感 アーカイブ一覧】

08年09月01日 14時34分 着信

昨日は娘達の相手をしながら、片岡義男の文章に浸っていた。『ナポリへの道』は、ナポリタンだけではなく、トマトケチャップやその他の片岡の食体験の回顧を織り交ぜながら、そこを通して日本的なものについて論じた本、ということになるだろう。もうすこしナポリタンへのこだわりが欲しかったと、個人的には思う。1つのこだわりを掘り下げていくことで、その向こうに広がりを見出す、というものを期待していたのであるが、その意味では期待ハズレだった部分がある。もちろん、十分に楽しめたのではあるが。続いて片岡の小説を2冊、ひさしぶりに続けざまに読む。偶然ではあるが、どちらも小説を書くことをテーマにした小説で、だからといってメタフィクションになるというようなものではなく、人が小説を書くことに出合う場面を、片岡義男でしかないという言葉で綴ったものになっている。こちらも堪能した。

今日の午前中は、4年のゼミ生の一人が進路が決まったことの報告。公務員試験を受けていた学生なのだが、国家2種に合格し、採用も決まったとのことである。まずは良かったというところ。似たようなチャレンジを続けている学生が他にもいるのだが、なんとか結果が出てくれたらいいな、と願う。

週末の学内ネットワークなどのメンテナンスは、このサイトには特に影響が無かったようだ。淡々と、いつもと変わらずに、動き続けている。

08年09月02日 12時33分 着信

一昨日読んだ片岡義男の『白い指先の小説』という短編集のあとがきに、片岡による次のような文章があった。

孤独という言葉は、いまではつまらない誤解をたくさん招く。誤解だけで成立している言葉だと言ってもいい。すっきりと自分ひとりきりで、なににも誰にも邪魔されることなく、自前で、自分の力だけで、自分ひとりで集中する、というような意味で孤独という言葉をいま僕は使っている。なにをするにせよ、孤独というありかたは素晴らしい出発点だ。そして視点としては、これを超えるもののない最高の視点だろう。自分らしさの核心の内部に向けて、好きなだけ時間をかけて存分に思考をめぐらせ、どの主人公も自分なりに降りていこうとしている。降りれば降りるほど、自分をもっと深いところで突き動かしているなにかが、どことも知れず遥か遠くに向けて、きれいに滑空し始めるのを彼女たちは知る。このような孤独の底に最大限の解放がある。

短編集の主人公たち(小説を書くことに出合う女性たち)を述べた文章なのだが、ここに、かつて読んだ日本語に関する片岡の論考で、彼が I という人称代名詞に託して語っていたあり方(大げさに言えば生き方か?)が、孤独という言葉に導かれて、クリアに像を結んでいるように思う。で、ふと思ったのが、シルヴァスタインの『僕を探しに』は、かなり無理があるのだが、この孤独の発見の物語として読めるかなということだった。少なくとも、そのように孤独という言葉を解することによって、自己発見というか自分探しといった言葉で見えなくなってしまう何かがつかめるかもしれない。というわけで、今週から再開する看護学校の哲学の授業で、さっそくやってみようかしらと思ったのであった。あ、そうか、青空、ひとりきり、ってことか?

午前中はすっきりと晴れていたのだが、なんだか雲行きが怪しくなってきた。その分、午後の暑さはきつくなさそうだ。黙々と、色々な自分の作業に没入。不義理を重ねまくって合わせる顔もない方々から本を進呈していただいたので、こちらにも目を通して礼状を書かねば。

08年09月02日 17時38分 着信

とりあえず、『経営者の哲学』のページを 1.0a まで仕上げておいた。あとはもうしばらく寝かせてからだ。

08年09月03日 13時07分 着信

bk1から本が届く:

『対話』は、かつて『ドゥルーズの思想』というタイトルで出版されていた本の新訳。旧訳はドゥルーズの入門書として学生時代に自分も何度となく読み返した本である。増補新訳ということで購入。『ドングリと文明』は、オークという木との関わりで文明史を論じた本のようなので、このような本が大好きな自分はためらわず購入。『磯崎新の「都庁」』は、以前、偶然に本屋で見つけて買って読んで感銘した『光の教会』(こっちは安藤をとりあげたものだった)の著者の本だったので、購入。すでに書評なども出ているようだが、今回も、建築という世界の営みを垣間見せてくれる本だろうと期待。

午前中は、明日の看護学校の授業の準備など。『ぼくを探しに』を取り上げる予定なので、配布プリントのコピーを作ったり、切り口を整理したり。自分という孤独の肯定、というあたりに落ち着くかな。午後に会議が入っているので、それまでもう少し考えを詰めていくことにする予定である。

夏休み前の看護学校の授業で中間レポートとして絵葉書をもとにした創作ってのやってもらったのだが、それをまとめて読み返していた。やはり似たような話が多くなるのだが、話を盛り上げる道具?としてガンで死亡とか、突然の海外赴任が結構出てくる。もちろん中には凝ったものがあって楽しませてもらいもしたが。なんかの形で総評をまとめたいと思うのだが、どうするかなぁ。

08年09月04日 16時37分 着信

午前中は久しぶりの看護学校の授業。やっぱ間があくと調子が出ないなぁと思いながらの授業となった。『ぼくを探して』を読み解く形で自己肯定などの話を展開したのだが、いつもなら話しているうちに頭の中に枝が伸びてきて、それを辿っていくという形で授業を進められるのだが、今日はその伸びてくる感覚がなくて、ストックのやりくりで強引に話をまとめたという感じが残った。聴いている学生も、なんか焦点がぼやけてるなぁと思ったのではないかと思う。こういうとき、授業ってフィジカルだよなぁと思うのであった。

研究室に戻ってからは、雑用を片づけたりして、『ドングリと文明』を読んでいた。オークという木と人間の文明の関わりを、エピソードを連ねていく形で話が進行して行く。言われて見れば、そうだよなぁという、木と人間のかかわりに目を向けさせてくれる本ではあるが、エピソードが中途半端に具体的な話(建築物の木組みの話とか)に入っていくと退屈してしまうところもある(これは自分の関心の偏りもあるのだろうが)。それと、やっぱ、もう少し図版が欲しいかなと思ってしまう。もちろん、テーマが面白いからこその不満ではあるのだが。

そういえば、昨日、自宅で GX200 で遊んでいたとき、たまたまマニュアルモードで起動してしまったので、試しにマニュアルで撮影するってどんなもんなのかなと、トライしてみた。絞りとシャッター速度を変えていくと、液晶に映る絵が変わって行くという、あたりまえのことに、今さらながら、感動してしまった。そうか、ライブビューでの撮影ってのはこういうことなんだと、はじめて理解できた。娘達を撮るような場面では、まだまだ自分には使いこなせないとは思うが、風景などをこのマニュアルモードで撮影していくことで、絞りとシャッター速度で光の絵を作っていくという写真を撮ることのコアみたいなもんが、自分にも分かってくるだろうという予感がある。GX200 は、オートでとっても、それなりに自分の感じに近い絵になるのだが、感じを「作って行く」ってほどではない(普段は、絞り優先で撮っていて、多少はいじるんだけど)。なんか、やっと、はじめて、写真を撮るって事の入り口に一歩入れたかなと思ったりしたのだった。またひとつ世界との回路が一本増えたなぁというささやかな喜びを感じていたのだった。

08年09月05日 13時31分 着信

今日もスッキリとしない天気ではあるが、涼しくはなったなぁ。夏も終わったという感じがする。回りの田んぼではコシヒカリの刈り取りが始まっている。

『ドングリと文明』を読み終えた。オークの森が人間を支えてきたという文明観は面白かった。ドングリを食べて暮らす生活の豊かさという視点は新鮮で、いわれて見ればそうかもしれないなぁとも思う。

GX200 を買って以来、写真について考えたり感じたりする機会が増えているのだけれど、そういえばロラン・バルトの写真論である『明るい部屋』があったよなぁ、と引っ張り出してきて、パラパラと始めのほうを読んで見たら、やはり引込まれる。この週末の友に持ち帰ることにしよう。もっとも、その前に読む本というのが待っているのだけど。ドゥルーズの『対話』にバルトの『明るい部屋』、そういえばデリダの『視線の権利』もあったな。これから読もうとする『磯崎新の「都庁」』は、それらの本が熱かった時代から話が始まっている。

08年09月06日 20時01分 着信

今日は娘達を自分がみていたのだが、その合間を縫って『磯崎新の「都庁」』を読み終えた。面白かったが、磯崎と丹下の対比という構図で描かれているのでしょうがないのかもしれないが、丹下側の記述が偏っているのではないかと思わずにはいられないものになっていた。自分は別に丹下を支持するとか、そういうどちらかに思い入れがあったりするわけではないが(もっとも、批評空間なんかで磯崎の文章には触れていたので、どちらかといえば磯崎であることは否定できないが)、丹下サイドをもっと「きちんと」描く方が、より磯崎が際立つようにも思えたのだった。

午後は娘達はおばあちゃんと水泳に出かけたので、自宅でごろごろしながら、ヴォネガットの『追憶のハルマゲドン』を読んでいた。やっぱ、ヴォネガットはいいなぁと改めて思う。息子も本を出してるなんて知らなかったけど。

08年09月07日 15時39分 着信

今日は朝から家族で買い物に。妻が自分の買い物をしている間、自分は紀伊国屋にいたにだが、ここのBGM(というか、このビル全館のBGMなんだが)が例によって音飛びが激しく、おまけに選曲が本屋にはまったくあってないというものなので、紀伊国屋にいる間、ずうっとうるさくてしょうがなかった。あれじゃまともな本屋とはいえないわなぁ。紀伊国屋の人には責任がないというか選択の余地はないのかもしれないが…… などと文句は言いつつも何冊か買ってしまう。

これ以外に森博嗣の新刊も。日高敏隆選集は、全館揃えたいなと思いながらも、まだ一冊も買ったことがなかったのだが、紀伊国屋の店先に並んでいるのを見て、ふと一冊ぐらい読んで見るかと思って、どれにしようかなと選んだ結果、上記の本を購入した。なんかずりずりと他の巻も購入することになりそうな予感はあるのだが…… それからユニクロによってズボンなどを購入し、じっぷじっぷに寄って、ここでも本を買ってしまった:

これと「よつばと!」8巻。なんだかんだで書店で本を買った一日ってところかな。「よつばと!」が読み終わったので、『ぼくは猟師になった』を読み始めた。

08年09月08日 10時17分 着信

昨夜のうちに『ぼくは猟師になった』を読み終えた。ええ本やなぁ、これ。好きなことに、謙虚に、全力で取り組む人の話っていうのは、やっぱ読ませるよね、とあらためて思った。もちろん、今どき猟師になるということ事態の特異性が好奇心を刺激するから読んだっていうのは間違いなくて、自分の知らなかったこと(情報)が流れ込んでくる楽しさがある。でも、それだけの本じゃない。先日読んだ片岡の本の後書きのなかで、片岡は孤独について語りながら「自分の深内部から自分を呼ぶ声に、自分は応えなくてはいけない。自分ひとりで正面からそれに応える営みをとおして、彼女たちはより良く生きることが出来るようになる。」と書いていて、ちょうどバーナードの「ビジネス・モラル」を読んでいたからか、この言葉に責任的=倫理的であることの本質のようなものだよなぁなどと考えていたのだが、そういう応答的=責任的なスタンスが心地よいのが「ぼくは猟師になった』の魅力だろうな。片岡の言葉は、一見すると自分の中に閉じてしまうあり方のようにも読めるのだが、たぶん、自分に応答的であろうとすることは、同時に、自分の回りを取り囲むものの物質性みたいなものに謙虚になっていくということでもあると思うのだ。そんなことを、コシヒカリの刈入れが終わった田んぼの中を大学へと車を走らせながら、ぼ〜っと考えていた。

08年09月09日 15時16分 着信

今日は上の娘の小学校の運動会。朝からカメラを持って見学に出かける。蕎麦の花が白くて奇麗。つい先日に芽を出していたと思ったら、もう花が咲き始めている。陽射しはきついが、風はからっと涼しい。夏の中にそっと秋が忍び込んでいるような天気である。

蕎麦の花

午前中は娘の運動会を見学。昼前に大学に行き、雑用やら明日の自宅研修の申請やらを済ませて自宅に戻ってきたところである。上の娘が体調を崩しているので、学校から帰ってきたら自分がみてやることになっているのである。

今日の娘の運動会は、もっぱら CANON のEOS Kiss Digital で撮っていたのだが、GX200 の画像に慣れてしまった目には、画素数が少ないってのはなんか今一つだなぁと思ってしまったのであった。GX200 ももっていっていたのだが、やはり運動会は一眼レフ、それも望遠で撮る方がいいので、娘の撮影は EOS を使っていた。iPhoto に読み込んで、なんか深みがないなぁと。……買い替えたくなったなぁ。

08年09月10日 18時21分 着信

今日は自宅研修の届けを出して、一日自宅で仕事をしていた。

『日高敏隆選集 7 帰ってきたファーブル』を読み終わった。Natural History 的なものの見方というものについて、あらためて考えていた。『細胞の意思』を読んだということもあってか、目的図式にょる個別事象の理解というものについて、物語という形でまずは押さえることに意味があるのかななぁなどと考えていた。ただ、ビジネス書の類いを見ればわかるけど、個別事象の物語を、すぐに一般化・普遍化してしまうのは、問題が多すぎるわけで、そのへんは難しい。やっぱ、ついつい一般化したくなってしまうのも、人間ってやつだと思うわけ。

iPod の新しいのが出たということで、各種のアップデートが。iTunes 8 とか、iPod Touch 2.1 とかをインストール&更新。今のところ、特に問題は起きていないかな。

08年09月11日 15時48分 着信

午前中は看護学校の授業。毎年の定番ネタの商品社会論を論じる。商品と貨幣というものがもたらす自由と分離といった話から、最後は商品としての労働者という話で終了。比較的スムーズに展開できたかな。まだまだ授業をすると暑い。

研究室に戻って、自分の作業など。

そういえば、iPod Touch を WebDAV サーバとして動かすことでデータ転送&ファイルビューが可能になる Air Sharing というアプリを、今なら無料という言葉に釣られてインストールしたので、今日は自分の色々な書類を転送して表示を試していたのだが、ビューワーとしては PDF ぐらいはいいけど、あとはイマイチ。やっぱちゃんとしたテキストビューワーが自分には向いていると思い、BookZ というテキストビューアーを購入してインストールした。AppleShare サーバに専用のフォルダを作って、そこにテキストファイルを入れて、BookZ でダウンロードする、という手順で色々なノートの類いを取り込んで表示してみたが、やっぱ素晴らしい。サイズが大きなファイルでもすぐに表示されたり、フォントの種類とサイズや表示色なんかを設定できるのもいい。これで快適にファイルが読める。ということで、ルーマンの『公式組織』の一部と二部を送り込んだりしてみた。Air Sharing のほうは、Page とか PDF とかの表示にはいいので、こっちはこっちで使うことにした。

08年09月12日 14時47分 着信

夏はまだまだ終わらないと必死になっているような天気である。

昨日購入した iPod Touch のテキストビューワーの BookZ の操作方法にも馴染んできたので、色々とファイルを読み込ませたり、タグ付けやタイトルづけを行う。その作業の時に気がついたのだが、iPod での日本語入力(自分は QWERTY キーボードで入力するんだが)が早くなっているように感じた。気のせいかなとも思ったのだが、ネットで調べてみると、どうやら高速化したのは間違いないようだ、これはうれしい。もっとも、BookZ はファイルビューワーなので、ファイルを読みながらメモを書くという作業は出来ないのだが。BookZ にテキストファイルを読み込ませるには、Web サーバ経由になるのだが、自分の場合は研究室で動かしている AppleShareIP (MacOS 9.0.4 だぜぇ)を利用している。PBG4 に AppleShareIP の Web サーバのボリュームをマウントして、そこにファイルをコピーして(Web 用、それも 31文字制限の MacOS Classic 用にファイル名を変更してからコピーといった作業が入ることもある)、それに BookZ からアクセスして…… という感じ出作業を行っているのだが、この部分を AppleShareIP 側で AppleScript を動かしてなるべく簡略化できないものかなぁと考えていたが、下手にいじくるよりは、作業に慣れた方が賢明だろうという結論に落ち着く。ついついなんでもスクリプトでやってしまいたくなるのが悪いクセだな。もっとも、そうやって無理やりスクリプト化をはかろうとすることで、いろいろと見えてくるものや、身に付くテクニックがあるのも事実なんだが。

明日は下の娘の保育園の運動会。体育館で行われるので天気に左右されないのはいいのだが、写真を撮るには辛いわけである。ま、明日も EOS でパシャパシャだな。

08年09月12日 16時09分 着信

そういえば、どこのページだったか忘れたが(誰かのブログだったかな?)、自分の Web ページに無断リンクが張られているのを発見したときは嬉しい、というようなことが書いてあった。自分のサイトやページに外部からリンクが張られていると嬉しい、ということ自体は自分でも同感なんだが(だから Referer をログに録ってみたり Google のツールで確認してみたりするわけだが)、「無断リンク」っていういいかたが、自分としては違和感があるというか、そうかそういう表現が普通になっているのかぁという感じで面白かったのだ。リンクって、勝手に張るもんだし、相互リンクなんかを求めたりするもんンでもないし、と自分は今でも思っているのだが(もっとも、ず〜っと以前はリンク集みたいなものを作ってもいたが、なんやかんや面倒なこともあったので、今では本なんかの紹介以外のリンクは載せてないけど)、そういうのは今では少数派なのかしら? ま、古いMac で自前サーバってのがだいたい少数派なんだから、少数派であってもいいんだけどさ。

08年09月13日 20時13分 着信

今日は下の娘の保育園の運動会。娘は朝から張りきっていたのだが、張り切りすぎて?昼前には眠かったようで、すこしぐずっていた。自分は EOS でばしゃばしゃ。室内なので ISO は 800 か 1600 での撮影になるので、やっぱ画像は荒れているが、それっぽいのが何枚かは撮れたのでよしというところか。昼過ぎには終わって、自宅に戻り、あとはごろごろして過ごす。

夕方、自分は散歩に出かけた。GX200 をもって町内の散歩ってのが、休日の夕方の楽しみになりつつある。刈入れの終わった田んぼでもみ殻を焼いていたり、こおろぎの声がやたらと耳についたりと、夏の幕引きの気配を楽しみながら、歩いていた。

08年09月15日 16時33分 着信

昨日は娘達と久しぶりにグリーン・パークに出かけた。しばらく遊んでから買い物をし、昼食にはマクドを食べ、大野までバーベキュー用の肉を買いに行く。今日、妻の両親もよんで、自宅でバーベキューをすることになったので、気合いを入れて星山で肉を買ってしまった。自宅に戻ってからは、だらだらと過ごして昨日は終わる。今日は朝からバーベキューの準備など。薄曇りでそんなに暑くないなか、11時ごろから炭をおこして、その後、皆で肉と野菜をバクバク。うまかった。満足。その後は、昼寝をしたりして、だらだらと過ごしている。

『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』を読み終えた。前半は魚類と両生類の橋渡しとなる生物の化石発見の物語で、後半は、われわれの身体が、進化の過程で経てきた色々な生物種の仕組みのやりくりで出来ていることを、色々な観点から紹介したもの。かつて魚だった身体に改造に改造を加えて(機能の流用など)今の人間に至っているというのがこの本のタイトルの説明ということになるか。われわれのしゃっくりは、おたまじゃくしの肺呼吸運動の名残といった、なるほどねぇという結びつきなんかが語られていて楽しめた。

08年09月16日 17時41分 着信

朝から黙々と作業。バーナードの相互行為論を確認する必要があったのだが、その作業で『組織と管理』の「失業者の騒動」を読み返したら、それなりに面白かったので、「『組織と管理』を読む」のページに内容を追加してバージョンアップしておいた。パレートの理論なんかも軽く再確認。

08年09月17日 12時54分 着信

ずいぶんと秋めいてきた。自宅の米は、妻の両親からいただいたものを食べているのだが、今は華越前の新米である。うまい。

バーナードの決定と具体的行動との関連に関する議論(ようは現場・状況論みたいなもの)を整理しているのだが、ふと、唯物論という言葉が浮かんできたのだった。唯物論といっても、立場や定義によって色々な唯物論があるだろうが、自分の場合、唯物論の定義とは、市田さんの「毛沢東の戦争論」での定義である。そこで昼休みに、久しぶりに『闘争の思考』を引っ張り出してきて、「毛沢東の戦争論」の冒頭部分を読み返していた。

ヘーゲルもまた、有限な物質はそれ自体無限であると認めている。しかし物質の無限性とはいったい何だろうか。認識する精神がつねにメタ・レヴェルでの普遍化を行い、この普遍化の無限の能力として定義されるの対し、物質的なものはつねに、精神をだしぬけに襲う特異なものとして立ち現れてくる。この瞬間にしか物質の物質性はない、と言ってもよいだろう。すでに認識された物質はもはや物質ではなく、概念になってしまっている(名前、性質)。いまだ知られざる物質は空想のなかに仮構的に存在するにすぎない。物質がまさしく物質であるのは精神を襲うその瞬間においてのみであり、この外在性の感覚が物質性なのである。しかし、いくら瞬時とはいえ、この襲撃は世界が存在するかぎりやむことはない。だからこそ精神は衝撃をメタ・レヴェルで弱める無限の能力でなければならなかったのだし、それを否定して精神に対する物質の優位性を説く唯物論はつねに物質と戦争していなければならない。物質の新たなる出現に備えた戦略と戦術、今・ここの戦闘、それが弁証法的唯物論を構成する。

(市田良彦「毛沢東の戦争論」、『闘争の思考』平凡社)

なんど読み返してみても、また、こうして書き写してみても、自分がこの文章にやられてしまっていることを痛感するわけである。もっとも、この唯物論を、自分は、かなり勝手に、それも俗っぽいレベルで、色々な物事を見ていく道具として使っているわけで、市田さんには「思想がない!」と怒られてしまいそうだが。

08年09月18日 15時10分 着信

bk1 から本が届く:

「デザインの現場」を読んでいて、そういや出た筈だが?と調べてみたら出ていたので、あわてて購入。bk1 チェックで見落としていたようだ。『欧文書体1』が、書体についての蒙を啓いてくれた本なので、これにも期待。この週末のお楽しみというところかな。

午前中は看護学校の授業。自分の設定したテーマで話すのは最後なので、話すこと−聞くこと→ケアという強引な展開で、物語論、ナラティブ・アプローチのさわりのような話をする。ずいぶんと涼しくなったように思っていても、汗をかいてしまった。試験も含めてあと3回で今年度の授業も終了。なんとか今年度も無事に乗り切れたかな、というところである。

08年09月20日 14時41分 着信

昨日は体調を崩してしまい、研究室でクラッシュしていた。机に座っているのも辛くなって、午前中はソファーに横になり本や雑誌を読むのが精一杯という状態。午後になって少し楽になったので、サーバの最低限のメンテナンスをこなして、すこし作業をしてから帰った。

『欧文書体 2』は、期待通りの本で、刺激になっている。今日は自宅で PG4 の Font Book を立ち上げて、OS X に入っているフォントを表示したりしながら読み進めていた。いずれサイトのデザインを更新する際には(取り組みたいと思いながら、ず〜〜〜っと先延ばしにしているのだが)、書体選びの参考にしようと思うのであった。

娘達と買い物に出かけたついでに本屋によって、以下の本を購入。

息抜きに軽く読める本が欲しくなって買ってきた。本当は親書でも買おうかと思っていたのだが、色々と出てはいるのだけど、どうも、どれもピンと来ないのだった。『美大デビュー』はコミックエッセイで変な大学もの(っていうのもなんだが、もやしもんとか動物のおいしゃさんとか、そういう流れ)。思ったよりも濃くなくて、さらっと読み切ってしまった。もっとも、これくらいの軽さの方が、臭くなくて読みやすい題材なのかもしれないが。『忍びの国』はかなり評判になっている本で、まぁ、『のぼうの城』も面白かったので、買っておくか、と。

時々思い出したように雨が降る薄曇りの天気。夕方、散歩に行けるかな?

08年09月21日 09時24分 着信

昨日は、地面が乾いたらおばあちゃんが植えてくれたサツマイモの収穫の予定だったのだが、地面はなかなか乾かなかったので見送った。気温が下がったせいか、ミニトマトは実を付けても美味しくないのだが、ピーマンの方はけっこうしっかりとした実がまだなっている。夕方の散歩にでかけようとしてふとみたら、雨に磨かれたピーマンが奇麗だった(背景にぼけて写っているのはニラの花だ):

晩夏のピーマン

休日の夕方の散歩で、カメラをもって町内をぶらぶら歩き回っているせいで、だいぶ町内の道がわかってきた。やはり昔からの町の中の細い路地のような道を歩く方が楽しい。あるいは、自分の住んでいる町は用水路が何本か走っているのだが、その用水路沿いの道や田んぼも景色も楽しいのであった。

今日は家族でのんびりと自宅で過ごす予定。昨日購入した本は読み終わったので(『忍びの国』は、たしかに極上のエンターテイメントであった)、今日は読みかけだった『重力波とアインシュタイン』とか、ドゥルーズの『対話』なんかを読もうかな。

08年09月22日 16時47分 着信

朝方はずいぶんと涼しくなってきた。新聞を取りに外に出ると寒いぐらいだった。

もくもくと作業を進めた。また、その作業で作ったメモをもとに「『組織と管理』を読む」を v1.2 にバージョンアップ。どうせなら、あと論文を1つ分書き加えようかと思っている。

08年09月23日 13時36分 着信

午前中、妻の母親が娘達を看ていてくれたので、自分は町内の散歩に出かけた。薄曇りの午前中の光でみる風景も新鮮だなとか思いながら歩いていた。もちろんカメラ片手にである。町の中心にかつての城山があるんだが、そのふもと回りをぶらぶら。

そういえば、地元の新聞である福井新聞に、学生がネットの記事をコピペしてレポートを作成することを取り上げた記事が載っていた。もちろん、論調は「今どきの学生達はなっとらん」というもので、学生達のモラルの低下を嘆くという感じの、まぁ、ごくまっとうな記事になっていた。もちろん、自分も、Web ページをただコピーしたものをレポートだとは認められないとは思う。ただ、じゃぁ、自分が学生だった頃のように図書館に行って本を探して書き写してレポートを仕上げるのと、どれだけの差があるのだ? という問いを立てると、はたして今どきの学生たちに偉そうに言えるのか?とは思う。本なら写して良くて(書き写す行為が勉強になる、という限界的な言い訳が通用するのか?)、ネットをコピーするのは駄目というのは、はたして真当な議論なのか? というか、インターネットがここまで普及してしまった以上、ネットの情報が簡単に手に入るのを前提にして、学生にモラルを説いたりする暇があったら、それよりもただコピペするだけでは完成しないようなレポート課題をひねりだすのに時間を使う方が、自分としてはまっとうな対応ではないかと思うのだ。もちろん、自分がうまくやれているという自信はないが(自分がすぐに思いつく程度のことは、きっと誰かがどこかで思いついてページに書いてある、それがネットだからね)、でも、自分はそちらが「正しい」と信じたいし、その課題が学生に要求する技術(ネットでかき集めた情報を整理・編集する)は将来的にも活きるだろうからね。あと、学生達がネットで情報をかき集めるのが普通ならば、そういう学生達がアクセスしやすいように自分なりに真当な情報(教材や資料なども)をネットに公開しておくことも、重要な事なのではないか、と自分は思っている(だからこそ、せっせとノートや講義記録なんかを公開しているわけだが)。まぁ、新聞としては、今どきの学生たちに大学教員も困っている、という話のほうが一般に受入れられやすいとは思うのだが。

08年09月24日 15時37分 着信

なにを思ってだったのかは」すっかり忘れているのだが、大学の3回生か4回生の頃、父親から譲ってもらったカメラ(ハーフサイズのカメラというやつで、35mm に2枚分の写真を写せるやつ=フィルムの枚数の倍撮れるやつ)に白黒のフィルムを詰めて、自分の部屋だとか下宿の連中を撮ったことがあった。現像して、たしかベタ焼きしてもらったことは覚えているのだが、焼いてもらった写真は手元にはない。そのかわり、ネガは残っていて、それを昨日、自分の部屋を整理している時に見つけた。それで、今日、研究室にもってきて、ニコンのフィルムスキャナで読み込んでみようとしたのだが、これがうまくいかない。SCSI 接続の機器なんで MacOS 9.2 の G3 B&W で動かしていたのだが、ドライバなんかの再インストールを行っても、ハードウェア・エラーでうまく読み込めないのであった。う〜む。別にどうしても見てみたいわけでもないのだが、うまく動かないということが気になってしまって、あれこれ調べていたのだが、よく分からないのだった。まぁ、かつて使っていた頃の記憶では、読み込み処理にかなり時間がかかっていたはずなので、うまく動いたところで、ネガ1本分の画像を読み込むなんてのは簡単ではないのは分かっていたんだが。今どきのフラットスキャナであれば、ネガを読み込む機能もついているようだが、研究室にある古いスキャナ(これまた SCSI 接続のやつなんだが)では、うまく読み込めない。写真屋にもっていて、CD-ROM に「焼いてもらう」のがいいかなとは思うが、そこまでするまでのものかという気もする。ドキュメントスキャナの新しいやつが、ちょっと欲しくなったな……。

昨日の夜、TVでハモネプリーグをやっていたのを娘達と見ていた。決勝戦に出てくるグループってのは、やっぱうまいもんだねぇと思いながら、最後まで見てしまった。最初のブームの頃、妻と見ていた覚えがあるのだが、あれからもうずいぶんになるのだな(まだ娘が生まれる前だったかな)。なんだかんだで、ハモネプってのが定着したことにも驚いていたのだった。

今日も黙々と作業。バーナードの「経営者のための教育」の再読など。これでバーナード読みも一区切りかな。

08年09月25日 16時18分 着信

午前中は看護学校の授業。今日は学生たちに書いてもらったテーマについて自分が論じていくという内容。例年、恋愛絡みの重複が多いのだが、今年は重複するものが少なくて、ほぼ一人づつ取り上げていくというものになった。色々なことについて語りながら、結局、自分のコアにあるスタンスがそんなにブレていないなぁということを、自分が改めて思い知らされたのであった。授業は来週で終了。

看護学校からの帰り道、車で山本潤子の「卒業写真」を聞いていて、ふと、この曲のカバーってどれくらいあるのかな、と思った。それで研究室に帰ってから昼休みに iTunes で調べてみたら、意外に少なかった。ただ、なかなかいいものが2曲ほどあった。藤田恵美というアーティストのものでまだ出たばかりのものと、Smooth Ace というコーラスグループのもの。松山千春のカバーもあって、かなり迷ったのだが、とりあえず今日のところは見送ったのだった。今日の帰りに車に記録する予定。

このところ、ちょっとした時間があると、iPod でハドソンの花札をやっているのだが、機械のクセみたいなのが分かってきて、勝率が6割を超える状態。花札は学生の頃、下宿で友人達と延々とやっていたこともあるし、ゲーセンで時間を潰すときは、たいてい花札を選んでいた(といっても女の子が脱いでいくようなやつは、かえって邪魔なのでやらなかったけど)。ゲーセンの花札のやつ(最初に10文だったかな、それで文無しになったら終了というものだったと思う)で、機械のクセを読み運も良かったのか100文を越えて表示がおかしくなってしまうまで勝ち続けたことがあって、2時間ぐらいやったところで疲れて、たまたま見ていた他人に譲って帰ったことがあった。ゲーセンで時間を潰すなんて、もうずいぶんとやってないなぁ。まぁ、車に乗らないとゲーセンに行けない土地で時間潰しもなにもないけど。

08年09月27日 16時15分 着信
Autumn Blue Sky

秋らしい空気の日である。すこし肌寒いくらいの感じ。

昨日は黙々と「『組織と管理』を読む」の更新を行っていたのでこのページに投稿するのさえ忘れていた。なんとか後期の授業が始まる前に、一通り、思っていたところまでは作業が終了した。これでバーナードはおいておいて、ルーマンの『公式組織』の再読だな。組織論の授業の前には『公式組織』を再読して自分の講義の展開あるいは整理のきっかけを探すというのが行事のようになってしまっている。

そういえば、昨日、「『組織と管理』を読む」の v1.3 を上げてから、ふと Windows での表示が気になって(CSS にも少し手を入れたので)、研究室の XP を立ち上げ、各ブラウザーで表示してみた。Safari が一番まともに思えるのは当然として(Win でもフォントにアンチエイリアスがかかって奇麗に表示されるのは素晴らしい!)、Firefox はこんなもんだなという感じ。IE6 が一番ひどいね。何よりフォントに問題があるわ、やっぱ。Vista にすれば多少は改善されているのかもしれないけど、なんせ自分の大学の学内システムが XP with IE6 でしか動作補償されていないのだからしょうがない。ま、印刷したら多少はましになるのが救いかな。

今日は朝から下の娘が体調を崩して、なんどか嘔吐するという状態。妻は仕事なので自分がみていたが、昼前に、たまっていたものをすっきりぜ〜んぶぶちまけましたというような嘔吐をして(2階の洗面所前の床にぶちまけたのだが、見ている自分が、これは気持ちいいだろうってぐらいに、ごうかいにすっきりと出ていた。後始末が大変だったけど)、その後はけろりといつもの調子に戻ったようで、なんとかひとあんしん。上の娘といっしょに皮膚科に連れて行って買い物にいったりした。さっき散歩に出かけたのだが、家からすぐのところで下の娘はころんでしまい、もう歩けないと駄々をこね出したので帰ってきたところである。歩いているだけで空気に自分が少し溶け出してしまいそうな、絶好の散歩日和なんだがなぁ。残念。 明日は地元の地区の祭りの準備など。

08年09月29日 11時09分 着信

昨日の午前中は来週末の地区の祭りの準備ということで、青壮年会の舞台の設営作業に出ていた。昼食をとってから、近くの体育館で行われていた「ふれあい文化祭」に上の娘が出るので連れて行って見学して帰ってきた。その後、まったりとすごして一日が終わったという感じ。

今日はもう「寒い」という言葉がなんの不自然さも感じないような天気。なんか、気温も落ち始めると速いなぁ、と。午後は肝臓の検診なので、午前中は軽い作業の予定。

そういえば、金曜日に、もう7年前に卒業したゼミ生から電話がかかってきた。転職の準備の相談だったんだが、久しぶりに声を聞き、近況を聞いているのも楽しかった。自分は、卒業してからも熱心に学生達と連絡を取るような人間ではないし、そうすることを彼らにも一切求めていない。彼らにとっては学生生活の中で通り過ぎていった景色の一部ぐらいに思ってもらったらそれで良いと思っている。でも(だからか?)、こうしてふと繋がると、それはそれでうれしかったりはする。自分の傍らを通り過ぎていった人間の数もそれなりに増えてきたが、彼らが、皆、どこかで、がんばっていてほしいなと思う。

08年09月30日 12時06分 着信

昨日の検診はこちらがびっくりするぐらい早く終わった。いつもは患者が多い待合室が妙にすかすかしていたので、あれ?と思っていたら、肝臓外来の最初の患者が自分だった。ふむ。天気が悪くて肌寒いと患者が少なくなるってことはあるのかしら? ようやく病院になれてきたというか、妙な緊張感を持たないようになってきたなぁと感じていたのだが、肝臓外来の検診にかかるようになって1年ぐらいになるのだった。そういえば、昨日の採血の担当者の人は、注射針の刺し方なんかがすごく上手でスムーズで、人によってこんなに違うものなのか、ということに驚いたのだった。他の人が下手というのではない。人間ドックでの採血を思い返しても、まぁ、採血ってこんなもんだよね、という自分の中の感覚があるんだが、昨日の人は、おおって感じ。針を刺す前に丁寧に血管の辺りを触っているなぁと思ったんだが、指先で読み取る情報の質とか、その情報を活かすだけの技術がある人なんだろう。やっぱ技術って奥が深いわと、改めて思ったのだった。検診が終わって会計を待っている間に掲示物を見ていたら、眼科診察の終了のお知らせが貼ってあった。医者不足の問題が色々と影響しているのかしら。

検診が早く終わったので、病院の近くの「カメラのキタムラ」に行って、先日取り込みができなかったハーフサイズのモノクロネガのデータ化ができるか聞いて見た。そこそこの値段なら頼もうかなと思っていたのだが、ハースサイズは対応できないとのこと。いったんプリントしたものをスキャンするしかないようだった。まぁ、そこまでするほどのものではないので、頼まないで帰ってきたのだが、なんとなく、ドキュメント・スキャナでも欲しいかなという気持ちが出てきている。古い資料なんかを電子化して溜め込んでおくのに使えそうだし。

今日の午前中は福井県地域労使就職支援機構の方から学生企業探訪についての話をうかがった。福井の著名企業の社長と話ができるという、なかなか面白そうな企画なんだが、学生達がどれくらい反応するかな? とりあえずゼミの連絡網なんかでは告知しておこうと思う。

08年09月30日 15時39分 着信

bk1から本が到着:

なんとなく買ってみようかなと思った本たちである。長谷川宏のは、彼のヘーゲルの翻訳のむこうにちらちらしていた、彼自身の言葉を読んで見たかったから買ってみた。あとは期せずして日本に関するルポが2冊。グーグル本とかアリの本も含めて、当分楽しめそうだ。そういえば、アリを飼うやつってまだ売ってるのかな? たぶん、またアリを飼ってみたくなりそうな予感がするんだけど。

そういえば、昼休みにスキャナの価格とか調べていたのだけど、ドキュメントスキャナではなくてフラットスキャナだったら今はかなり安くなっているのに驚いた。研究室の資料整理や教材用の図版の取り込みにも使えそうなので、1台購入申請を出した。Win の方が付属ソフトなどの機能が豊富なようなので、Win につないで使うといいかなと思っている。