Barnard

『経営者の役割』でバーナードが言ったこと

福井県立大学・経済学部 田中求之

Version 1.0b3 (Last Modified: February 24, 2009)

はじめに

このページは、チェスター・バーナードの主著である『経営者の役割』の中から、中心的な概念について彼が語っている部分を抜き出したものである。

田中が福井県立大学で開講している経営組織論の授業の参考資料とすることを目的として作成した(田中の組織論については、「経営組織論」等を参照のこと)。

田中によるバーナードのコメンタールなどは、以下のページに一覧をまとめてある:

これらのページについて、学生から分量が多すぎてとても全部読んでられないという意見があったので、このような要約版を作成することにした。

テキストとして使用したのはチェスター・I・バーナード『新訳 経営者の役割』(山本・田杉・飯野訳、ダイヤモンド社、1968)と、Chester I. Barnard "The Function of the Executive" (Harvard University Press, 1938) である。

彼の展開した組織論、管理論の中心的な概念が述べられている部分を、田中の独断で引用したものであって、ここに引用されているものがすべてではないことには注意して欲しい。上記のページと同様に、あくまでもバーナードに出会うための手引として読んでもらうことを想定している。

バーナード曰く:

『経営者の役割』の狙い

私が意図したのは、管理者は何をせねばならないか、いかに、なにゆえ行動するのか、を叙述することであった。しかしまもなく、そのためには、彼らの活動の本質的用具である公式組織の本質を述べねばならぬことがわかった。ところが私の目的に適当な著作が何もないところから、私はどうしても正確にいうなら「公式組織の社会学」とでも呼ぶべきものを書かねばならなかった。読者も気づかれるように、それでも狭すぎる表題であろう。なぜなら本書はいくつかの学問、とくに社会学、社会心理学、政治学および経済学と交差している。公式組織としての家族、氏族、種族を除いては、この問題はいままで軽視されてきたように思われる。その結果、公式組織とは政治体系、法律体系、経済体系あるいは準機械体系と対立する意味の社会体系であるという命題を中心とするようになった

(強調は田中。なお原文を参照できないため、「体系」はそのままにしてある。)

公式組織と私たち

われわれの社会で目に付く人間の行為―すなわち動作、言語およびその行為や言語から明らかとなる思想や感情―を注意深くみると、それらの多く、ときには大部分が公式組織に関連してきめられたり、方向づけられていることがわかる。……。5や10以下の組織にしか属していないような人々はおそらくはほとんどなく、多くの人々が50以上の組織に所属しているであろう。これらの人々の個人的行為は、このような諸関係によって直接に支配され、規制され、条件づけられている。そのうえ、一日とか一週間のような短期間には、名前もないし組織とは考えられもしないような短命の、せいぜい数時間の生命しかない公式組織が無数にある。

人間の取扱い

この書物では特定の協働システムの参加者としてのパーソンを、純粋に機能的側面において、協働の局面とみなす。人々の努力は、それが協働的であるかぎりにおいて非人格化され、逆にいえば社会化される。

In this book persons as participants in specific coöperative systems are regarded in thier purely functional aspects, as phases of coöperation. Their efforts are de-personalized, or, conversely are socialized, so far as these efforts are coöperative.

……。第二に、なんらかの特定の組織のにあるものとしてのパーソンは、物的、生物的、社会的要因の独特に個人化したものであり、限られた程度の選択力をもつものとみなされる。このような二側面は、時間的に二者択一的なものではない。……、同時に存在するところのものの異なった側面にすぎない。両者は協働体系ではつねに並存する。……。協働を二人以上の人々の活動の機能的システム(coöperation as a functionning systems of activities of two or more persons)と考える場合には、人間の機能的もしくは過程的側面(functional or processive aspect)が関連する。人間を協働的な機能もしくは過程の対象(the person as the object of the coöperative functions or process)と考える場合には、第二の側面、すなわち個人化(individualization)の側面を考えるのがよいのである。

個人の選択と組織

この選択(=参加の選択)は、(1)そのときの目的、欲求、衝動、および、(2)その人によって利用可能と認識される、個人の外的な他の機会、にもとづいて行われる。組織はこれらの範疇のうちのひとつを統制したり、影響を与えることによって、個人の行為を修正する結果生ずるOrganization results from the modification of the action of the individual through control of or influence upon one of theses categories.)。これらのものを慎重に考慮して専門的に統制することが管理職能の本質である(Deliberate conscious and specialized control of them is the essence of the executive functions.)。

行為の有効性と能率

行為が特定の客観的目的をなしとげる場合には、その行為を有効的という。また、たとえ有効的であろうとなかろうと、行為がその目的の動機を満足し、その過程がこれを打ち消すような不満足を作り出さない場合には能率的であるという(We shall say that an action is effective if it accomplishes its specific objective aim. We shall also say it is efficient if it satisfies the motives of that aim, wether it is effective or not, and the process does not create offsetting dissatisfactions.)。ある行為が動機を満たさないか、または不満足を生ずる場合には、その行為はたとえ有効的であっても、非能率的であるという。

協働の存在理由

個人には目的があるということ、あるいはそうと信ずること、および個人に制約があるという経験から、その目的を達成し、制約を克服するために協働が生ずる。

協働の成果と個人

努力の協働システムの一部を構成する個人的努力と全体の協働的産物もしくはその分配部分との間には、いかなる直接の因果関係もないし、またありうるものでもない(there is and can be no direct causal relationship between individual efforts consttuting a part of a coöperative system of efforts and either the whole coöperative puroduct or any distributed part of it.)。

協働における原初的管理行為の発生

個人的行為ではみられない二つのタイプの他の行為が協働システムでは作用し始める。第一のタイプは、協働それ自身の促進をめざすものである。第二のタイプは協働システムの維持をめざすものである。

協働の有効性

協働の目的は非人格的なもの(non-personal)であり、全体としての協働システムの目標であることは明らかである。したがって、いかなる場合にも有効性のいかんは、また全体としての協働システムによってなんらかの方法で決定されるべきものである。この決定の基礎は、おこなわれた行為およびそれによって得られた客観的結果が、個人的動機を満たすに必要な諸力や物を協働システムのために十分に確保したかどうかであろう。

協働の能率

協働システムの能率は、システムを構成する努力を提供する各個人の能率の合成であり、したがって各個人の観点からみられたものである(The efficiency of a coöperative system is the resultant of the efficiencies of the individuals furnishing the constitunent efforts, that is, as viewed by them.)

協働システムの能率とは、それが提供する個人的満足によって自己を維持する能力である

協働の調整

協働システムはつねに動的なものであり、物的、生物的、社会的な環境全体に対する継続的な再調整のプロセスである(A coöperative system is incessantly dynamic, a process of continual readjustment to physical, biological, and social environment as a whole.)。その目的は個人の満足であり、その能率は、結果として環境全体の歴史を変えることを必要とする。協働システムは、その環境の物的、生物的、社会的な構成要因(components)の変化によって、このことを行うのである。

協働システムと組織

協働システム一般に斉一性があるならば、それらすべてに共通な特定の側面、または部分のなかにも斉一性がみられることは明らかである。したがって協働システムを有効に研究するためには、これらの側面を他のものからひきはなして、その性格を明らかにすることが必要となる。この共通な側面を「組織」と呼ぼう。

It is evident that if there are uniformities with respect to them (coöperative systems) generally they will be found in particular aspect or sections of them that are common to all. Effective study of them will therefore require the isolation of definition of these aspects. We shall name one common aspect "organization."

組織とは

……、組織とは意識的に調整された人間の活動や諸力のシステムと定義される。この定義によれば、具体的協働システムにみられる物的環境や社会的環境にもとづく多様性、および人間そのもの、あるいは人間がこのようなシステムに貢献する基礎に由来する多様性のすべてが、組織にとって外的な事実や要因の地位に追放され、かくして抽出された組織は、あらゆる協働システムに共通する協働システムの一側面であることが明白となる。

..., An organization is defined as a system of consciously coördinated personal activities or forces. It is apparent that all the variations found in concrete coöperative systems that are due to physical and social environments, and those taht are due to persons or to the bases upon which persons contribute to such systems, are by this definition relegated to the position of external facts and factors, and that the organization as then isolated is an aspect of coöperative systems which is common to all of them.

『経営者の役割』の中心的仮説

協働システムの経験を分析するために最も有効な概念が、公式組織を二人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力のシステムと定義することのうちに具現しているということこそ、本書の中心的仮説である。

It is the central hypothesis of this book that the most useful concept for the analysis of experience of coöperative systems is embodied in the definition of a formal organization as a system of consciously coördinated activities or forces of two or more persons.

貢献、貢献者

したがって一応組織を二人以上の人々の協働的活動のシステム−触知しえない非人格的なものであり、主として関係の問題である−と定義するのではあるが、意味の混同が生じない場合には、表現の便宜上、しばしば組織を人間の集団と考える通常の慣例に従い、かかる人々をその「メンバー」と呼ぶことにしよう。しかしこの書物では通常、理解をいっそうはっきりさせ、一貫した概念的枠組を保つために、「メンバー」を「貢献者」という語に置きかえ、組織を構成する活動を「貢献」に置きかえるが、まだ熟さない語法であるかもしれない。

Hence, although I define an organization as a system of coöperative activities of two or more persons - something intangible and impersonal, largely a matter of relationship - nevertheless sometimes for convenience of phraseology, where no confusion of meaning is likely, I shall follow the customary practice of referring to organizations as groups of persons and shall speak of such persons as "members." Usually, however, in this book, in the interest of clearer understanding and of a consistent conceptual scheme, I shall use the more awkward plan of substituting "contributors" for "members," and "contributions" for the activities constituting organization;

組織と個人

……、われわれが「組織」と名付けるシステムは、人間の活動で構成される一つのシステムである。これらの活動を一つのシステムたらしめるものは、さまざまな人間の努力がここで調整されるということである。この理由から、これらの活動の重要な諸側面は人格的なものではない。その様態、程度、時間はいずれも、システムによって決められる。……。したがって、われわれが調整された人間努力のシステムを取り扱うという場合には、たとえ人間が行為の担い手ではあっても、協働システムの研究にとって重要な側面では、その行為は人格的なものではないことを意味する。その性格はそのシステムの要求によって、あるいはそのシステムにとってもっとも重要なものによって、決められるのである。

The system to which we give the name "organization" is a system composed of the activities of human beings. What makes these activities a system is that the efforts of different persons are here coördinated. For this reason their significant aspects are not personal. They are determined by the system either as to manner, or degree, or time. ... Hence, when we say that we are concerned with a system coördinated human efforts, we mean that although persons are agents of the action, the action is not personnal in the aspect important for the study of coöperative systems. Its character is determined by the requirements of the sysytem, or of whatever dominates the system.

(強調は田中)

システムとは何か?

われわれの目的からすれば、システムとは、各部分がそこに含まれる他の部分とある重要な方法で関連をもつがゆえに全体として扱われるべきあるものである、ということができよう。何が重要かということは、特定の目的のために、あるいは特定の観点から、規定された秩序によって決定される。したがって、ある部分と、他の一つあるいはすべての部分との関係にある変化が起こる場合には、そのシステムにも変化が起こり、一つの新しいシステムとなるか、または同じシステムの新しい状態となる。

For our purposes we may say that a system is something which must be treated as a whole because each part is related to every other part included in it in a significant way. What is significant is determined by order as defined for a particular purpose, or from a particular point of view, such that if there is a change in the relationship of one part to any or all of the others, there is a change in the system. It then either becomes a new system or a new state of the system.

(強調は田中)

システムの階層性

まず第一に各組織は、われわれがこれまで「協働システム」と呼んできたより大きなシステムの一構成要素であり、物的システム、社会的システム、生物的システム、および人間などは、協働システムの他の構成要素である。さらにまた、たいていの公式組織は、より大きな組織システムのなかに含まれる部分システムである。最も包括的な公式組織は、通常「社会」と名付けられる非公式な、不確実な、漠然たる、方向の定まっていないシステムの中に包含されている(The most comprehensive formal organizations are included in an informal, indefinite, nebulous, and undirected system usually named a "society.")。

組織の創発性

本書を貫く見解は、たとえば5人の努力が一つのシステム、すなわち組織に調整される場合には、5人の努力の合計にあらわれるものとは、質および量において大きいか、小さいか、または異なる、何かまったく新しいものが作り出されるということである(there is created something new in the world)。

本書では、われわれが組織と呼ぶ協働のシステムを社会的創造物、すなわち「生き物」とみなすのであり、それはちょうど、個々の人間はこれを分析すれば部分システムの複合体であるが、これを構成する部分システムの合計−まことに「合計」という言葉がこの関連で何らかの意味をもつとすれば−とは異なるものとみなすのと同様である。

In this book, systems of coöperation which we call organizations I regard as social creatures, "alive," just as I regard an individual human being, who himself on analysis is a complex of partial systems, as different from the sum of these constituent systems - if, indeed, the word "sum" has any meaning in this connection.

組織の3要素

組織は、(1)相互に意思を伝達できる人々がおり、(2)それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって、(3)共通目的の達成をめざすときに、成立する。したがって、組織の要素は、(1)コミュニケーション、(2)貢献意欲、(3)共通目的である。これらの要素は組織成立にあたって必要にして十分な条件であり、かようなすべての組織にみられるものである。

An organization comes into being when (1) there are persons able to communicate with each other (2) who are willing to contribute action (3) to accomplish a common purpose. The elements of an organization are therefore (1) communication; (2) willingness to serve; and (3) common purpose. These elements are necessary and sufficient conditions initially, and they are found in all such organizations.

組織の存続

組織が存続するためには、有効性または能率のいずれかが必要であり、組織の寿命が長くなればなるほど双方がいっそう必要となる。組織の生命力は、協働システムに諸力を貢献しようとする個人の意欲のいかんにかかっており、この意欲には、目的が遂行できるという信念が必要である。実際に目的が達成されそうにもないと思われれば、この信念は消えてしまう。したがって有効性がなくなると、貢献意欲は消滅する。意欲の継続性はまた目的を遂行する過程において各貢献者が得る満足に依存する。

要するに、組織がまず成立するのは、前述の3要素をその時の外部事情に適するように結合することができるかどうかにかかっている。組織の存続は、そのシステムの均衡を維持しうるか否かに依存する。この均衡は第1次的には内的なものであり、各要素間の釣合いの問題であるが、究極的基本的には、このシステムとそれに外的な全体情況との均衡の問題である。この外的均衡はそのうちに二つの条件を含む。すなわち第一の条件は組織の有効性であり、それは環境状況に対して組織目的が適切か否かの問題である。第二は組織の能率であり、それは組織と個人との間の相互交換の問題である。このように前述の諸要素は、それぞれ外的要因とともに変化し、また同時に相互依存的である。したがってこれらの諸要素によって構成されるシステムが均衡を維持する、すなわち存続し、生存するためには、一つのものが変わればそれを償う変化が他のものにも起こらなければならない(Thus the elements stated will each vary with external factors, and they are at the same time interdependent; when one is varied compensating variations must occur in the other if the system of which they are components is to remain in equilibrium, that is, is to persist or survive.)。

非公式組織

非公式組織とは、個人的な接触や相互作用の総合、およびすぐ前に述べたような人々の集団の連結を意味する。定義上、共通ないし共同の目的は除外されているが、それにもかかわらず、重要な性格をもつ共通ないし共同の結果がそのような組織から生ずるのである。

By informal organization I mean the aggregate of the personal contacts and interactions and associated groupings of people that I have just described. Thought common or joint purposes are excluded by definition, common or joint results of important charater nevertheless come from such organziation.

公式組織と非公式組織

……、全体社会は公式組織によって構造化され、公式組織は非公式組織によって活気づけられ、条件づけられるのである。確言しうることは、一方がなくては他方が存在しえないということである。もし一方が挫折すれば他方が解体する。……。公式組織がまったく存在しなければ、ほぼ完全な個人主義の状態、および無秩序の状態となるだろう。

専門化

重要な側面では、「組織」と「専門化」とは同意語である。協働の目的は専門化なしには成就されない。そこに含まれる調整は組織の機能面である。この機能は、目的をなし遂げうるような仕方で、個人の努力を協働情況全体の諸条件に相関させることである。
この相関をなし遂げる方法は、目的を諸部分ないし細部諸目的に分析することであり、それらを適当な順序で達成すれば最終目的達成が可能となるであろう。また全体情況を諸部分に分析することであり、それらは組織活動によって細部諸目的と特定的に調整されることになるであろう。もしこれらのことがなし遂げられれば、最終目的達成の手段となる。このプロセスの性質と専門化の機能とは、管理作用の理解にきわめて重要である。

専門化と組織目的

複合体の一般目的を理解することや受容することは必須のものではない。それは細部目的を説明し、あるいは受入れやすいようにするのに望ましいだろうし、またつねにでなくとも通常は望ましいものである。……。しかし一般に複合組織は、その一般目的を完全に理解せず、また完全に受容していないところに特徴がある。かように中隊が軍隊全体の特定目的を知ることは必須ではなく、また通常不可能であるが、しかし中隊はそれ自体の一つの目的を知り、受入れることが必須である。そうでなければそれは機能しえない。……。主として重要なのは目的の知的理解よりも、むしろ行動根拠に対する信念である。「理解」はただそれだけでは、むしろ麻痺させ分裂させる要素である。

誘因と貢献

すでに述べたように、組織の本質的要素は、人々が快くそれぞれの努力を協働システムへ貢献しようとする意欲である。協働の力は、……、結局のところ、個人の協働しようとする意欲と協働システムの努力を貢献しようとする意欲とに依存している。組織のエネルギーを形作る個人的努力の貢献は、誘因によって人々が提供するものである。自己保存や自己満足というような利己的動機は支配的な力をもっているから、一般に組織は、これらの動機を満足させうるときにのみ、もしそれができなければ、こんどはこれらの動機を変更しうるときにのみ、存続しうるのである。個人はつねに組織における基本的な戦略要因である。個人の来歴または義務にかかわりなく、個人は協働するよう誘引されねばならない。そうでなければ協働はありえないのである。

権威とは

ここで権威とは、公式組織におけるコミュニケーション(命令)の性格であって、それによって組織の貢献者ないし「メンバー」が、コミュニケーションを、自己の貢献する行為を支配するものとして、すなわち、組織に関してその人がなすこと、あるいはなすべからざることを支配し、あるいは決定するものとして、受容するのである。

Authority is the character of a communication (order) in a formal organization by virtue of which it is accepted by a contributor to or "member" of the organization as governing the action he contributes; that is, as governing or determining what he does or is not to do so far as the organization is concerned.

この定義によれば、権威には二つの側面がある。第一は主観的、人格的なものであり、コミュニケーションを権威あるものとして受容することであり、この節で述べようとする面である。第二は客観的側面―受容されるコミュニケーションのもつべき性格―であり、次節「調整システム」において述べる面である。

According to this definition, authority involves two aspects; first, the subjective, the personal, the accepting of a communication as authoritative, the aspets which I shall present in this section; and, second, the objective aspect - the character in the communication by virtue of which it is accepted - which I present in the second section, "The System of Coöperation."

権威受容説

もし命令的なコミュニケーションがその受令者に受入れられるならば、その人に対するコミュニケーションの権威が確認あるいは確定される。それは行為の基礎と認められる。かかるコミュニケーションの不服従は、彼に対するコミュニケーションの権威の否定である。それゆえこの定義では、一つの命令が権威を持つかどうかの意思決定は受令者の側にあり、「権威者」すなわち発令者の側にあるのではない。

権威と協働の確保

もし原則的にも実際的にも権威の決定が下位の個人にあるのならば、われわれの見るような重要かつ永続的な協働の確保が以下にして可能なのか。それは個人の意思決定が次の条件のもとでおこなわれるから可能である。(a)永続的な組織において慎重に発令される命令は、通常前述の4条件と一致している。(b)おのおのの個人には「無関心圏(zone of indifference)」が存在し、その圏内では、命令はその権威の有無を意識的に反問されることなく受容しうる。(c)集団として組織に貢献している人々の利害は、個人の主観あるいは態度に、この無関心圏の安定性をある程度まで維持するような影響を与えることとなる。

無関心圏

「無関心圏」という言葉は、次のように説明することができる。もし合理的に考えて実行可能な行為命令をすべて、受令者の受容可能順に並べるとすれば、第一には明らかに受入れられないもの、すなわち、確実に服従されない命令がいくつかあり、つぎに、多かれ少なかれ中立線上にあるもの、すなわち、どうにか受入れられるか、あるいは受入れられないかの瀬戸際にある第二のグループがあり、最後に、問題なく受入れうる第三のグループがあると考えられよう。この最後のグループのものが「無関心圏」内にある。受令者はこの圏内にある命令はこれを受入れるのであって、権威の問題に関するかぎり、命令がなんであるかについて比較的に無関心である。このような命令は組織と関係を持ったとき、すでの当初から一般に予期された範囲内にある(Such an order lies within the range that in a general way was anticipated at time of undertaking the connection with organization.)。……。
無関心圏は、組織に対する個人の執着を決定する誘因が、負担と犠牲をどの程度超過するかに応じて、広くもなり狭くもなる。したがって受入れられる命令の範囲は、組織に貢献するよう、かろうじて誘引されている人々にとっては非常に限定されたものとなるであろう。

上位権威というフィクション

組織の能率は個人が命令に同意する程度によって影響されるから、命令がだれにも受入れられない場合は別として、組織伝達の権威を否定することは、その組織との関連から純利益を確保しているすべてに人々にとって一つの脅威となる。したがって、いつでも大部分の貢献者間には、自分らにとって無関心圏にある命令は、すべてその権威を維持しようとする積極的な個人的関心がある。この関心の維持は主として非公式組織の機能である。それは一般に「世論」「組織意見」「兵卒感情」「集団態度」などの名で呼ばれている。かように非公式に成立した共同体の共通感は、人々の態度に影響を与え、彼らに、無関心圏あるいはそれに近いところにある権威を個人として問題にすることを忌避させる。この共通感を形式的に述べたものが、権威は上から下へ下降し、一般的なものから特殊なものにいたるというフィクションである。このフィクションは、ただ、上位者からの命令を受入れやすくするような予想を個人間に確立し、人格的屈従感を招くこともなく、また同僚との人格的、個人的地位を失うこともなく、こういう命令に黙従することを可能にするにすぎないものである。
かように貢献者たちが、コミュニケーションの権威を維持しようとするのは、……、また共同体意識がたいていの貢献者の動機に影響を与える場合がほとんどだからである。この意識の実行の用具が上位権威というフィクションであって、それが人格的な問題を非人格的に扱うことを一般に可能としている。

(強調は田中)

意思決定

個人の行為を区別すれば、原理的には、熟考、計算、思考の結果である行為と、無意識的、自動的、反応的で、現在あるいは過去の内的もしくは外的情況の結果である行為とに分けうるであろう。一般に前者の行為に先行するプロセスは、どのようなものであれ、最後には「意思決定」と名付けうるものに帰着する。

組織行為の論理性

組織の行為は、個人目的でなく、組織目的によって支配されている個人の行為である。……。一般的に、個人の行う重要な組織行為は、それが個人的でない目的を達成する手段の意識的な選択を必要とし、したがって直接的には自動的、反応的な反作用ではありえないというような意味で、やはりおそらく論理的であることが観察されよう。
こういっても、組織には無意識的、自動的、反応的な行為が含まれていないという意味ではない。反対に第9章で非公式組織を論じたときに示したように、非論理的組織プロセスは公式組織にとって不可欠である。さらに組織に参加している個人の行為は、その多くが習慣的、反復的であり、また組織設計(organization design)……によってたんに反応的であることもある。しかしここで重要なことは、個人行為とは対照的に、組織行為が最高の程度まで論理的プロセスによって特徴づけられねばならないし、また特徴づけうるということ、および意思決定が組織においてどこまで専門化されるかということである。

組織行為と意思決定

……、意思決定行為が、個人行動と対照してみるとき、組織行動を特徴づけるものであり、意思決定プロセスの記述が、個人の場合よりも組織行動を理解するのに比較的により重要であるということである。

戦略的要因

制約的(戦略的)要因は、正しい方法で正しい場所と時間にそれをコントロールすれば、目的を満たすような新しいシステムないし一連の条件を確立せしめるごとき要因である。

存在するか、あるいは欠如する決定的要素ないし部分が、物、物的要素、混合物、構成分などである場合、それを「制約的」要因と呼ぶのが便利である。しかし、すべての目的をもつ努力において究極的にはそうであるように、個人行為ないし組織行為が決定的要素であれば、「戦略的」という言葉のほうがのぞましい。

……このように戦略的要因を決めることは、それ自体ただちに目的を新しいレベルに変形させる意思決定であり、新しい情況において新しい戦略的要因を探索することを強いる。

……新しい戦略的要因をたえず決定してゆく反復的意思決定が広い目的、すなわちすぐには達成されない目的の成就に必要であるということである。個人では、このために異なる時と場所における連続的意思決定が必要となる。組織では、異なる時における、そしてまた異なる職位にいる、異なる管理者およびその他の人々による連続的意思決定が必要である。広い目的と広い問題についての意思決定とは、それぞれ、その目的の細部目的への分割、主要一般的な意思決定の細部補助的意思決定への分割を必要とする。後者は大部分、正しい順序でなされるときのみ、効果的となる。事の成行きを決めるのは、一連の戦略的要因とそれに直接関係する行為であって、一般的意思決定ではない。

……、意思決定プロセスは漸近法のプロセス−目的のたえざる精緻化、事実のますます綿密な識別−であり、そのプロセスでは時間の経過が必須である。……。目的は実行可能な条件に細分化されなければならず、情況は時を経て展開するにつれて正確に確かめられねばならないのである。

戦略的要因を正確に識別することは技術の目標である。

組織の意思決定

意思決定が個人的な場合には、意思決定の事実はその個人に特定的であるが、個人の内部での意思決定プロセスは、決定がある時間順序と特定の場所でなされることを除いては、たぶん専門化されないであろう。反対に受容された事実としての、すなわち権威をもつ組織的意思決定は個人に特定化されるものではなく、全体としての組織の機能であるが、意思決定のプロセスは必然的に専門化される。組織目的および組織行為は非人格的である。それらは調整される。組織における個人の努力は、一部分は非人格的に行為する他の人々によって必然的になされた意思決定の結果から生ずる。組織の概念は、意思決定の諸プロセスが割り当てられ、専門化されている人間努力のシステムを意味する。

Where decisions are personal, the fact of decision is specialized to the individual, but the processes of decision within the individual are perhaps not specialized, except that decisions are made in some order of time and at particular places. Organization deisions as accepted facts, that is, having authority, on the contrary are not specialized to individuals but are functions of the organization as a whole; but the processes of decision are necessarily specialized. The purposes and action of organization are not-personal. They are coördinated. The efforts of the individual in organization result from decisions which in part are necessarily made by others acting non-personally. The concept of organization implies a system of human efforts in which the processes of decision are distributed and specialized.

意思決定の機会主義的側面と道徳的側面

意思決定の機会主義的側面は一般に目的達成の手段および条件に関係するといえよう。この側面は、組織行為の部面のうち、論理的、分析的方法と経験的観察、観察、実験などが有効に働く部面である。それらは組織に内在的な専門化を要求し、それがこんどは専門化を可能にする。協働の威力が最も明白なのはこの部面においてである。
道徳的部面とは、物的、生物的、社会的経験の無数の経路を通じて人々の感情に影響を与え、そして協働の新しい特定目的を形成する、態度、価値、理想、希望の部面である。一方において、これらの態度によって客観的環境の抵抗は克服され、環境は修正される。そして他方、環境の抵抗はこれらの目的の修正を強制し、終局的にはこれらの目的が示す抱負を限定する。この二側面は具体的行為に統合される。

It may be said that the opportunistic aspect of decision in general relates to the means and conditions of attaining ends. This is the sector of organization action in which logical and analytical processes and empirical observations, experience, and experiment can be effective. They require and in turn make possible the specialization which inherent in organization. It is in this sector that the power of coöperation is most apparent.
The moral sector is that of attitudes, values, ideals, hopes, impressed upon the emotion of men through countless channels of physical, biological, and social experiences and distilled into new specific purposes of coöperation. The resistnace of the objective environment on the one hand is overcome and the environment modified by these attitudes; and on the other hand, the resistance compels the modification of these purposes and ultimately qualifies the aspirations they represent. The two aspects are synthesized in concrete acts.

管理職能と組織

管理職能は協働努力のシステムを維持する作用をする。それは非人格的である。その職能は、しばしば言われるように、人々の集団を管理することではない。このように狭く、便宜的で、厳密にいえば誤った考え方が行われるならば、管理職務の正しい理解が得られるとは思えない。また、管理職能は協働努力のシステムを管理することであるということさえも正しくない。協働努力のシステムは全体として自ら管理するものであって、その一部である管理組織によって管理されるのでない。われわれが問題にしている管理職能は、頭脳を含めた神経系統の、身体の他の部分に対する機能のようなものである。

The executive functions serve to maintain a system of coöperative effort. They are impersonal. The functions are not, as so frequently stated, to manage a group of persons. I do not think a correct understanding of executive work can be had if this narrower, convenient, but strictly speaking errorneous, conception obtains. Is is not even quite correct to say that the executive functions are to manage the system of coöperative efforts. As a whole it is managed by itself, not by the executive organization, which is a part of it. The functions with which we are concerned are like those of the nervous system, including the brain, in relation to the rest of the body.

管理過程

管理プロセスをかりに組織の有効性の側面ならびに組織活動の技術面だけに限定しても、それは全体の総括のプロセスであり、局部的な考慮と全体的な考慮との間、ならびに一般的な要求と特殊的な要求との間に効果的なバランスを見出すプロセスである。

the executive process, even when narrowed to the aspect of effectiveness of organization and the technologies of organization acitivity, is one of integration of the whole, of finding the effective balance between the local and the broad considerations, between the general and the specific requirements.

組織の4重経済

組織は協働的な人間活動のシステムであって、その機能は、(1)効用の創造、(2)効用の変形、(3)効用の交換である。組織は協働システムを創設することによってこれらの機能を完遂することができるが、協働システムの中では組織が中核であり、同時に一つの補助システムである。そして、協働システムにはさらに、その構成要因として物的システム、人的システム(個人および個人の集合)および社会的システム(他の組織)がある。したがって、効用の創造、変形および交換という見地からすれば、協働システムには、(a)物的経済、(b)社会的経済、(c)個人的経済、(d)組織の経済、という4種類の異なる経済が存在する。

4重経済と存続

組織の経済の均衡に必要なことは、色々な種類の効用を十分に支配し、交換し、それによって組織を構成する個人活動を支配し、交換しうるようにすることである。そのために組織は、これらの活動を用いることによって効用の適当な供給を確保し、その効用をさらに貢献者に分配してはじめて貢献者から適当な効用の貢献を継続して受けとることができるのである。これらの貢献者が各自の交換において余剰、すなわち純誘因を要求するかぎり、組織は自らの経済において交換、変形および創造によって効用の余剰を確保するときのみ存続することができる。

部分が集計されても全体になりえないし、また協働の成果は結果による以外、判明しないのであるから、組織の究極の能率は二つのまったく異なる要因、すなわち、(a)部分の能率、(b)全体の創造的な経済、に依存することになる。……。このことは、組織の能率がつぎの二つの統制から生ずることを意味する。一つは、交換点すなわち組織の周辺での収支の細部にわたる統制であり、他は組織に内的で、生産的要因たる調整である。交換は分配要因であり、調整は創造要因である。

管理過程の審美性

創造的能率は結果的に技術の発明を含むけれども、性格としてはもともと非技術的である。必要なのは事物の全体感であり、部分を全体に永続的に従属させることであり、最も広範な観点に立って、……、すべての諸要因から戦略的要因を識別することである。物的、生物的、経済的、社会的、個人的および精神的な効用をはかる共通の尺度はありえないから、創造的協働の戦略的要因を決定することは直感の問題であり、釣合い感の問題であり、異質的な諸部分の全体に対する重要な関係の問題である(Since there can be no common measure for the translation of the physical, biological, economic, social, personal, and spiritual utilities involved, the determination of the strategic factors of creative coöperation is a matter of sense, of feeling of proportions, of the significant relationship of heterogeneous details to a whole.)。

この全般的な管理のプロセスは、その重要な面においては知的なものではなく、審美的、道徳的なものである。かように、そのプロセスの遂行には、適合性の感覚、適切性の感覚および責任―これが協働の達成にとっての最終的表現である―として知られている能力が必要である。

This general executive process is not intellecutual in its important aspect; it is aesthetic and moral. Thus its exercise involves the sense of fitness, of the appropriate, and that capacity which is known as responsibility - the final expression for the achivement of coöperation.

組織の道徳的側面とリーダーシップ

通常は、構造的な特徴があいまいで、作用要因の把握が困難であるために、人間協働における主要要因を「リーダーシップ」だけに求めることになる。物的環境と人間の生物的構造に伴う諸制約、協働の成果の不確定、目的の共通理解の困難、組織に欠くべからざるコミュニケーション・システムの脆弱さ、個人の分散的な傾向、調整の権威を確立するための個人的同意の必要、組織に定着させ組織の要求に服従させようとする説得の大きな役割、道喜の複雑性と不安定、意思決定という永続的な負担、これらすべての組織要素―道徳的要因はそこに具体的に現れる―からリーダーシップが必要となる。すなわち信念を作り出すことによって協働的な個人的意思決定を鼓舞するような力が必要となるのである(All these elements of organziation, in which the moral factor finds its concrete expression, spell the necessity of leadership, the power of individuals to inspire coöperative personal decision by creating faith.)。

リーダーシップは触媒である

目的のある協働は構造的性格のある限度内においてのみ可能であり、それは協働に貢献するすべての人々より得られる諸力から生ずるのである。協働の成果はリーダーシップの成果ではなくて、全体としての組織の成果である。しかし、信念を作り出すことができなければ、すなわち、人間努力の生きたシステムがエネルギーおよび満足をたえず交換し続けうる触媒がなければ、これらの構造は存続することができない、否、一般に成立すらしない。生命力が欠乏し、協働が永続できないのである。リーダーシップではなくて協働こそが創造的プロセスである。リーダーシップは協働諸力に不可欠な起爆剤である。

Purposeful coöperation is possible only within certain limits of a structural character, and it arises from forces derived from all who contribute to it. The work of coöperation is not a work of leadership, but of organization as a whole. But these structures do not remain in existence, they usually do not come into being, the vitality is lacking, there is no enduring coöperation, without the creation of faith, the catalyst by which the living system of human efforts is enabled to continue its incessant interchanges of energies and satisfactions. coöperation, not leadership, is the creative process; but leadership is the indispensable fulminator of its forces.

道徳

道徳とは個人における人格的諸力、すなわち個人に内在する一般的、安定的な性向であって、かかる性向とは一致しない直接的、特殊的な欲望、衝動、あるいは関心はこれを禁止、統制、あるいは修正し、それと一致するものはこれを強化する傾向をもつものである。

この傾向が強く、安定しているときにはじめて責任の一条件が備わることになる。

これらの内的な諸力あるいは一般的な性向は、積極的あるいは消極的な指示からなる私的な行動準則であると解するのが便利である。

責任

道徳水準と責任とは同一ではない。ここでの目的のために定義する責任とは、反対の行動をしたいという強い欲望あるいは衝動があっても、その個人の行動を規制する特定の私的道徳準則の力をいうのである。

管理職位

管理職位は、(a)複雑な道徳性を含み、(b)高い責任能力を必要とし、(c)活動状態のものとにあり、そのため(d)道徳的要因として、対応した一般的、特殊的な技術的能力を必要とする。これらの点はこれまでの議論のなかに含まれているが、そのうえ、(e)他の人々のために道徳を創造する能力が要求される。

Executive positions (a) imply a complex morality, and (b) require a high capacity of responsibility, (c) under conditions of activity, necessitating (d) commensurate general and specific technical abilities as a moral factor. These are implicit in the previous discussion; in addition there is required (e) the faculty of creating morals for others.

責任能力

責任能力とは、準則に反する直接的衝動、欲望あるいは関心にさからい、準則と調和する欲望あるいは関心に向って、道徳準則を強力に遵守する能力である。この能力の一面をあらわす一般的な言葉は「信頼性」であって、その意味は、ある人の準則を知れば―すなわちその人の「性格」を知れば―いろいろな事情のもとでその人がおそらくすること、しないことを正しく予見できるということである

(強調は田中)

道徳の創造

管理責任は、複雑な道徳準則の遵守のみならず、ほかの人々のための道徳準則の創造をも要求するということを特色とする。この職能の最も一般的に認められている側面が、組織内における「モラール」の確保、創造、鼓舞と呼ばれているものである。これは組織ないし協働システムと客観的権威のシステムに、考え方、基本的態度および忠誠心を教え込むプロセスであり、それが個人的利害とか、個人的準則の重要でない指令を協働的全体の利益に従属せしめることとなるのである。このプロセスには(これまた重要な)技術水準に関する道徳性を確立することも含まれている。

The distinguishing mark of the executive responsibility is that it requires not merely conformance to a complex code of morals but also the creation of moral codes for others. The most generally recognized aspect of this function is called securing, creating, inspiring of "morale" in an organziation. This is the process of inculcating points of view, fundamental attitudes, loyalties, to the organization or coöperative system, and to the system of objective authority, that will result in subordinating individual interest and the minor dictates of personal codes to the good of the coöperative whole. This includes (also important) the establishment of the morality of standards of workmanship.

リーダーシップの本質

全体としての創造職能がリーダーシップの本質である。それは管理責任の最高のテストである。なぜなら、創造職能は、これを立派に達成するためには、リーダーの見地からみて個人準則と組織準則とが一致しているという「確信」の要因を必要とするからである。この職能は、組織の構成員に、ならびに公式組織の基底にあって最も速やかに不誠実を感得する非公式組織に、「確信」を与える同化作用である。それがなければすべての組織は滅亡する。なぜならそれは組織を構成するために進んで貢献する人々に、組織への定着要求―いかなる誘因もこれに代わりうるものではない―を起こさせる不可欠の要因だからである。

The creative function as a whole is the essence of leadership. It is the highest test of executive responsibility because it requires for successful accomplishment that element of "conviction" that means identification of personal codes and organization odes in the view of the leader. This is the coalescence that carries "conviction" to the personnel of organization, to that informal organziation underlying all formal organziation that senses nothing more quickly than insincerity. Without it, all organization is dying, because it is the indispensable element in creating that desire for adherence - for which no incentive is a substitute - on the part of those whose efforts willingly contributed constitute organization.

リーダーシップは自然の法則を無効にするものでも、また、協働努力に不可欠な諸要因にかわりうるものでもない。そうではなく、それは必要欠くべからざる社会的な本質的存在であって、共同目的に共通な意味を与え、他の諸要因を効果的ならしめる誘因を創造し、変化する環境のなかで、無数の意思決定の主観的側面に一貫性を与え、協働に必要な強い凝集力を生み出す個人的確信を吹き込むものである。

Leadership does not annul the laws of nature, nor is it substitute for the elements essential to coöperative effort; but it is the indispensable social essence that gives common meaning to common purpose, that creates the incentive that makes other incentives effective, that infuses the subjective aspect of countless decisions with consistency in a changing environment, that inspires the personal conviction that produces the vital cohesiveness without which coöperation is impossible.

管理責任と組織の永続

管理責任とは、主としてリーダーの外部から生ずる態度、理想、希望などを反映しつつ、人々の意思を結合して、人々の直接目的やその時代を超える目的を果たさせるよう自らを駆り立てるリーダーの能力である。これらの目的が低く、時間が短いときでさえも、人々の一時的な努力は、人の助けをかりない一人の人を超越する、生命力のある組織の一部になる。しかし、これらの目的が高くて、多くの世代の多数の人々の意思が結合されるときには、組織は永遠に存続することとなる。

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