システミック合理化
−生産システムの合理化戦略−

福井県立大学・経済学部 田中求之


このページについて

ここに掲載されているのは、福井県立大学 新生産方式調査研究会「日本とドイツの製造業における生産方式の比較検討」第3章に掲載された論文の原稿である。

「日本とドイツの製造業における生産方式の比較検討」は、ミュンヘン社会科学研究所と共同で行った日独の自動車産業を中心とする製造業の比較研究の報告書である。この共同研究において、ミュンヘン社会科学研究所が「システミック・ラショナリゼーション」という概念を提示した。これについて、企業間ネットワークの合理化という観点から検討を加えたのがこの論文である。

論文を執筆した当時は、「システミック・ラショナリゼーション」として提示されているような自動車メーカーと部品メーカの結びつきは、ヨーロッパに特有なものに思われていたが、その後、世界的な自動車業界の再編のうねりや、ネットワークの発展が「マーケットプレイス」と呼ばれる企業間電子取引市場を可能にしたことなどがあり、今や、日本の自動車メーカーも似たような戦略をとりつつあるといえる。

2001年4月25日 HTML化


はじめに

専門的に分業した企業間に、情報ネットワーク技術によって企業間ネットワークを構築し、そのネットワークの調整の最適化を通じて、システム全体の柔軟性と効率性を獲得することを目指す。端的に言うと、これがダイス論文及びミュンヘン社会科学研究所のいうシステミック合理化 (Systemic Rationalization) の内容である。市場の変動や、世界規模で展開される価格競争などの圧力の下で、個々の行程レベルでの柔軟化や効率化の段階から、生産システム全体での関係の柔軟化と効率化を図る方向へ進むというのが、彼らの見解である。この概念には、日本における系列システムのような企業間組織の問題、あるいは近年盛んに口にされるようになったネットワーク組織論といった問題ともオーバーラップするものが含まれている。

我々は、このダイス論文をふまえ、システミック合理化をめぐってミュンヘン社会科学研究所のメンバーと議論をかさねた。以下において、その議論の成果や、我々が彼らとともに訪れた日独の企業の実体調査から得られたことなどもふまえつつ、システミック合理化ついて論じることにする。まず最初に、システミック合理化という概念についての IMS の位置づけを確認することから始める。ダイス論文でも冒頭で強調されているように、システミック合理化は、実態調査に基づいて定められた実証的概念であり、ドイツを中心とするヨーロッパの製造業の合理化の向かう方向性を名指すためにの概念である。しかしながら、本論では、この合理化の傾向を生産システムの合理化の運動として一般化することを試みる。この点において、以下に述べるシステミック合理化の説は、IMS の研究や我々の実体調査をもとに、筆者がやや強引に抽象化を試みたものとなっていることをあらかじめお断りしておく。


1:「システミック合理化」概念のミュンヘン社会科学研究所の位置づけ

ダイス論文の最初にも強調されているように、「システミック合理化」は調査のためのコンセプトである。IMFのメンバーが産業の動向を調査しそこに観察された傾向を「システミック合理化」と名付けたものである。つまり、実際の企業の経営者が合理化の戦略として「システミック合理化」という言葉を口にしたり、自分たちの行っていることを「システミック合理化」と呼んでいるわけではない。また、この「システミック合理化」を、そのような経営のキーワードとして打ち出すというものではない。あくまでも、ドイツを中心とするヨーロッパの製造業に近年みられる合理化の傾向を名指したものである。この点は、たとえばリストラクチャリング(リストラ)やリエンジニアリングのような、むしろ個々の経営者の経営合理化の指針、キーワードとなっている概念とは異なる。個々の企業、あるいは企業グループは、それぞれ、自己の合理化を様々なコンセプトのもとで行っているわけだが、それを産業一般の傾向という一般的な見地から概念化を行ったものである。

また、このシステミック合理化がとらえようとしている対象は、複数の企業からなる企業グループ全体での合理化の新しい方向性であって、個々の企業レベルでの合理化の戦略とは次元が異なる。ダイス論文で「超企業ネットワーク」という言葉がでてくるが、これは、そうしたシステム全体の合理化をはかっていく企業間組織を指しており、こうした新しい企業間組織の成立にこそ、彼らは近年の合理化の特徴をみているのだと言ってよいだろう。つまり、個々の企業レベルでの合理化だけではなく、数多くの企業のつながりで形成される生産システム(日本の自動車産業の系列全体がこれに相当する)のシステムとしての合理化の段階へと進んできたし、またそうしたシステムの合理化を可能にするような技術が整ってきたという認識がある。彼らがシステミック合理化という概念を「質的で」「社会科学的な」概念であると言うのも、企業間関係、分業体制、労働形態などの質的な変化を伴い、単なる経済問題を越えた、広範な社会的影響をもったものであるとみなしているからである。


2:システミック合理化と超企業ネットワーク

冒頭にも述べたように、基本的にはシステミック合理化は企業間ネットワークの、関係の最適化=システム自体の合理化を指している。合理化の焦点が企業間関係に移ってきているのである。そして、このことは、生産システムを形成している企業間関係そのものの再組織化を引き起こす。システミック合理化が進行することによって、新しい形態の企業ネットワークが形成されることになる。この新しい新しい企業間ネットワークが「超企業生産ネットワーク」 (Supra-Company Production Network) である。システミック合理化は超企業生産ネットワークの形成へと向かうというのが IMS の見解である。

この超企業ネットワークが「新しい」と呼ばれる理由はいくつかあるが、これが既存の企業のネットワーク化ではなく、企業自体の形態の変化が起こった上で、その新しい企業間に形成されるネットワークであるという点があげられる。超企業ネットワークの形成の前段階として、各企業のセグメント化が起きるのである。

この企業のセグメント化というのは、一企業の担っている複数の生産工程、プロセスが、それぞれ独立していく動きである。いうなれば、各企業が自社の技術的・経済的に優位に立てる分野に専門化していく動きであるといえるだろう。たとえば内製化率を引き下げる方向へといくわけである。同時に、一企業への依存から離れ、相対的に自律性を獲得していくのである。特定の機能と対象 (objective) に集中した企業へと生産プロセスを構成するの個々のプロセスが分化(セグメント化)していくという、まず生産プロセスの分散化の運動が起こるわけである。

こうして自律的セグメントに分散化された企業群を前提に、それを組織化するという形で生産システムの再組織が行われる。再組織化にあたっては、生産システムの中で中心的な地位をしめる企業がコアになり、組織化を進めていく。このコアになる企業のことをダイス論文では焦点企業と呼んでいる。焦点企業を中心として形成される、自律的な企業の間の統合的なネットワーク、これが「超企業生産ネットワーク」である。

超企業生産ネットワークの形成にあたっては、コンピューターによる情報ネットワーク技術を活用することによって企業間の情報交換の高度化をはかると同時に、企業間には市場を媒介とする価格競争を導入しコスト削減をはかるという、2面的な関係が結ばれるところに特徴がある。この2面的関係こそがポイントであると思われる。


3:超企業ネットワークの企業間関係の2面性

まず、市場原理が導入されることの意味を確認しておこう。

企業間に市場競争が持ち込まれることによって、各企業は生産ネットワークの構成要素であり続けるためには、同じ機能を果たせる企業(たとえば同じ部品をつくる企業)の間の価格競争に勝ち続ける必要があるということになる。すなわち、絶えざる価格引き下げの努力を強いられる。あるいは、もし価格競争に巻き込まれないためには、他企業には担えないような高度な技術やノウハウを持った専門企業となるという道があるが、こちらは価格競争の替わりに技術開発の競争に巻き込まれることになる。いずれにせよ、生産ネットワーク内部での競争に勝ち続けなければならないわけだ。

さらに、「内部」というのが、一国とか一経済圏に限られた狭い範囲ではなく、原理的には世界的な広がりを持ちうるということにも注意しなければならない。物流システムや、後で述べる情報システムの発達により、今日では生産ネットワークの対象企業は一国内に限られないということだ。条件さえ満たされるなら、全世界のどの地域の企業であっても、生産ネットワークに加わりうる。市場競争であるということは、生産ネットワークの参加が、原理的には、世界的に開かれているということでもある。それゆえに、各企業には、世界的な価格競争あるいは技術開発競争の中で勝ち抜いていかなければならないという圧力がかかることになる(もちろん、この世界的な競争の中で地域的なメリットを最大限活かすという戦略もありうる)。

システミック合理化の進展の中で、超企業生産ネットワーク形成の前段階として、生産プロセスのセグメント化が起き自律化が図られるわけだが(企業内のプロセスであったものが一企業として独立していく)、この自律化とは、市場競争を争えるだけの競争主体としての自律化であると考えることができるだろう。この自律化によって、それまでの束縛から放たれ、複数の企業との取引を展開し、チャンスがあれば自己を発展させることが可能になるが、同時に、競争主体になり得なかった場合は、消えていくことになるのである。つまり、プロセスのセグメント化、分散化を行うことは、各プロセスを市場の中に放り込んで、プロセス単位で合理化を図らせるという意味を持つことになる。同時にそれは、市場によって選択的淘汰を行わせることであるといってもよいだろう。日本においても事業部の分社化を行い独立採算の関連会社にするという動きがあるが、これも同様の分散化の動きであるとみなすことができる。

このような分散化した企業間に、強力な協働関係を築き、生産ネットワークとしてのまとまりを持たせるためのキーになる技術(インフラストラクチャー)が、情報ネットワークである。

市場を介して関係を結んでいる企業間に、共同の研究開発に代表されるような密度の濃い協働システムを形成することは、高度に発展したコンピューター・ネットワーク技術を最大に活用できてはじめて可能になる。あるいは、データの転送速度、質、さらに再利用可能性といった点で従来の情報伝達手段をはるかに上回るコンピューター・ネットワークの技術を活用しないかぎり、市場を介して結び付いているようなシステムが効果的な協働を行ったり、動的に構成要素を変化させながらもシステムとしてのまとまりを保つといったことは不可能であると言ってもよいだろう。つまり、システミック合理化の進行によって生まれてくる分散・自律的な企業を、ひとつのシステム、組織として統合することは、新しいコミュニケーションの技術があってこそ可能になるのであり、情報技術によって新しい統合形態が可能になるからこそ分散化が可能なのである。この点において、システミック合理化は、根本において、コンピューター・ネットワーク技術によって支えられているものだと言ってもよいだろう。

このように、コンピューターネットワーク技術を活用し、一方において競争関係にありながら、他方で高度な協働関係を取り結ぶという2面的な企業間関係に基づいたシステムを成立させるところに、システミック合理化の「システミック」たる所以がある。しかしながら、こうした2面的な関係による企業間ネットワーク、生産ネットワークは、自然発生的に形成されるようなものではない。システム自体の関係を最適化したり、状況に応じてシステム自体を動的に組み替えていくということは、システムを組織化しコントロールする中心、コアがあってはじめて可能なのであり、そもそもそうしたコアが組織化を行う主体となって組み上げたシステムでなければ、システムの最適化なり合目的化は行いえないと言ってよいだろう。つまり、システムそのものが世界経済の中での競争主体となりうるためには、必然的にシステムをオーガナイズしマネージメントを行うコアが必要なのである。それゆえに、システミック合理化が焦点企業を中心とした超企業生産ネットワークという新たな統合へと向かうのは当然である。そもそも焦点企業がなければ、システムの合理化、関係の最適化は行いえない。


4:超企業生産ネットワークというシステム形態

これまで見てきたように、システミック合理化は、最終的に超企業生産ネットワークの形成へと向かう、生産システム全体のリストラクチャリングの運動であると捉えることができる。この超企業生産ネットワークの特徴について整理しておくと、次のようになる。

超企業生産ネットワークは、自律的な企業群を情報ネットワークで統合化したシステムである。この点で、従来の親企業−下請け企業という企業間関係よりも、組織的な結合は緩いものである。組織的な結合は緩いものでありながら、結合がなされている企業間の協働は密度の濃いものにするというのが、この新しい生産ネットワークの組織的な特徴である。このことによって、環境の変化に合わせてシステムの形態自体を随時変えていくことが可能になるということがポイントである。

変動が激しく不確実性が大きな環境にあっては、生産システムの最適化は、一度行えばすむといったものではない。その時々の環境に対して最適になるように、常に最適化を行っていかなければならないのである。つまり、リストラを常に行い続けなければならないわけである。この意味で、システミック合理化は、超企業生産ネットワークをつねに組織化し続ける運動なのだと言ってよい。

いささか比喩的な言い方をするならば、従来の生産システムは頑丈かつ精巧に作られた機械であり、超企業生産ネットワークはしなやかに脱皮を繰り返していく生物なのである。機械は、目的と環境が設計時に想定されたものである限りはきわめて効率的に活動を行いうるが、ひとたび予期しない状況へと変化が起きると、かえって非効率的になる。それに対して、生物であれば、環境の変化に対しては、ある程度の非効率性と引替に最初から環境変動にはある程度対処しうる余裕を持っているし、また自らを変えていくことで環境変動をのりきるという方法も存在する。

不確実な環境下にあっては、計画に基づいて巨大で頑強なシステムを構成することはリスクが余りにも大きい。そもそも、環境の不確実性とは、環境を構成する要素自体が捉えきれないということであり、長期的な予測が不可能に近いということである。こうした状況化では、状況が変化しうることを最初から想定し、それに対処しうるシステムを組まなければならない。システミック合理化の運動が目指している超企業生産ネットワークとは、この状況変化に対処しうる、しなやかなシステムを目指したものなのである。企業間の組織的結合を緩やかにしておく(企業の自律性を活かす)ことで、常に関係自体を組み替えていくことが可能になる。関係を組み替えていきながらも、情報技術によって、結び付いている企業間の協働は密度の濃いものにしようとするわけである。システミック合理化が、工程の柔軟性ではなく、システムの柔軟性を目指したものであるというのは、この関係の柔軟性、常に(再)組織化の運動を行い続けられる柔軟性を目指しているということである。


5:システミック合理化の問題点

ダイス論文にもあるように、現実においては、ドイツでも理想的な超企業生産ネットワークの段階へとはまだ至っていない。超企業生産ネットワークを現実のものとするには、さまざまな障害があり、また、この超企業生産ネットワーク自体のはらんでいる問題も存在するのである。

従来の生産システムを一端分散化し、それを再統合するというシステミック合理化の進展過程においては、企業の選別も行われることになる。先に述べたように、独立した競争主体になれないような企業は脱落していくことになる。超企業生産ネットワークが、コスト引き下げという課題を達成できるとされるのは、結局のところ、参加する企業のそれぞれが、市場での競争に勝ち抜くために合理化を行いコスト引き下げを行い続けるからなのである。つまり、合理化を達成し市場で生き残ってきた企業をシステム化するからこそ、システム全体としてコスト引き下げが達成されるわけである。いうなれば、常に市場というふるいで合理化の網をかけながら、そこに残ったものたちだけでやっていくシステムなのである。システミック合理化が、こうした関連企業の厳しい選別を意味する以上、既存の諸企業が、この合理化の進展に抵抗するということは十分に考えられよう。

さらに、超企業生産ネットワークにおいて、たとえ高度な情報技術をフルに活用できたとしても、はたして高度な密度の濃い情報共有や協働が可能になるのか、という根本的な問題がある。緩やかな組織間の結合と、強度の高い情報共有が両立するような、新しい企業間関係は成立しうるのか、ということである。

通常、企業間関係が結ばれる場合は、参加企業の取引を内部市場で行い、外部の市場からは遮断することによって、企業が関係に参加するメリットを生むようになっている。内部市場で継続的に取引を行っていくことで、企業間に密度の濃い協働を可能にするようなシステムが成立するわけである。システムの境界が明確に存在し、内部と外部とに分けられることによって、内部に情報蓄積も生まれ、また情報共有も行われるわけだ。日本の系列システムが注目を集めるのも、この企業間の情報共有に基づく協働のパフォーマンスの高さ故である。しかしながら、情報共有に参加できる内部の企業となるには、継続的な取引に基づいた信頼が必要とされる。組織的な結合を密にして始めて得られる信頼を基盤として、公式/非公式の情報にアクセスすることが可能になるのであり、単なる経済的な取引関係を越えた組織間の関係を結ぶことが要求される。内部と外部とを明確に区別し、内部にいる組織の結びつきを強め、その境界を確固としたものとするからこそ、密度の濃い情報交換も可能になっているわけである。

自動車やエレクトロニクスといった、高度な技術に基かなければ生産できないような商品にあっては、競争が、今や企業間の競争と言うよりも企業システム間の競争と呼ぶべき状況になってきている。この競争に勝ち残っていくためには、なんらかの情報共有を可能にする企業システムを形成するのは必然ともいえるが、しかし、情報技術だけでそれが可能になるのであろうか? ダイス論文にもドイツにおける企業の協働が、現状ではさほどうまく行われていないという指摘があるが、はたしてこれが今後改善されていくのか? この点については、今後の状況の変化を見守る必要があるだろう。


6:合理化の方向は収束するか

最後に、ダイス論文でも結論として述べられている、合理化の諸潮流の方向性について述べておく。ドイツのシステミック合理化は、日本で試みられている合理化、我々が新生産方式としてとらえようとした合理化と、同じ方向のものであるかどうかということである。ダイス論文においては、最終的に包括的な生産ネットワークの方向へ向かうという点で、日独の合理化の方向性は同じではないかとの結論が出されている。合理化の現れてくる具体的な形態やあるいはその合理化の手法の名前、経営コンセプトなどには、地域ごとの社会経済状況の差異によって違いがあるだろうが、形態は異なるが機能的には等価であるものとしてみなせるだろうということだ。

自動車産業やエレクトロニクス産業などに顕著に見られるように、市場における競争が、生産システム同士の競争、システム間競争となってきており、今後の合理化の焦点が、個々の工程や企業から、システムへと移ってくることは間違いないように思われる。また、システムの合理化においてコンピューター・ネットワークを軸とする情報技術が重要な役割を担うのも同様であろう。つまり、具体的な経営戦略の手法や、経営コンセプトは異なるにせよ、高度情報技術をベースにした生産システムの合理化が行われるという点では、同じ方向を向いていると考えてもよさそうである。

しかしながら、システムの合理化の根本的な次元で差異が存在するのではないかというのが筆者の考えである。

複雑な環境に対処するためのシステムの戦略という次元でシステミック合理化を一般化すれば、それは、環境の複雑さに対処するべくシステムの複雑性を高める戦略であると規定して良いだろう。ダイス論文中に、システミック合理化は、システムの内部にある労働と生産の多種混合形態を活用し、異なるものが合わさることで得られる潜在力を活用すると述べられているように、このシステムの戦略は、多様な要素を動的に組み替えていくことで環境の複雑性に対処しようするものである。つまり、様々な状況の変化にたいして、そのときどきに最適な形態をとれるように、あらかじめ多くのオプションを確保しておくという戦略である。システムの動的な組み替えを可能にすることで、システムが対処できる環境の幅を限りなく広げていこうとするわけである。

しかしながら、複雑な環境に対するシステムの戦略としては、全く正反対の方向を向いた戦略がありうる。それは、複雑な環境に対処するために、システム自体をコンパクトでシンプルなものにするという戦略である。システミック合理化に見られる、システムの複雑性を上げる戦略が、システムの対処できる幅を広げるものであるのに対し、こちらのシンプルなシステムを目指す戦略は、システムの環境に対するレスポンスを上げていく、つまり、システムの反応の素早さで対処しようとする戦略である。昨年話題になったリエンジニアリングや、本報告の別の箇所で詳細に論じられているNPSといった合理化戦略は、企業レベルでの合理化戦略ではあるが、基本的にはシンプルでレスポンスの早いシステムを目指した戦略であると位置づけることが可能である。環境の複雑性を前にしてもっとも問題になるのは予測や計画が困難になるということであるが、システムのレスポンス速度を上げていくことで、生産における予測や計画への依存度を限りなく下げていこうとするのである。こうすることで、結果的に複雑性から逃れることを目指している。予測ができないことが環境が複雑であるということの意味であるが、このとき、予測をしないで済むようにすれば、複雑性の問題はそもそも生じないということになる。その時々に売れるものを、その時に即座に生産し販売するシステム、つまり市場の要求に即座にレスポンスできるシステムであれば、複雑性の問題を回避しうるのである。このようなレスポンスの早いシステムをくむためには、システムがシンプルでかつ緊密に結合されていなければならない。構成要素の数や種類が多いと、それだけ調整の時間が必要になって、レスポンスが遅くなるからである。ゆえに、この戦略においては、いかにシンプルで統合されたシステムをまとめあげるかが課題となる。情報技術も調整時間(伝達時間も含めて)の削減の手段として使われることになる。このように、システミック合理化とはまったく正反対のシステムを指向する合理化の戦略も存在するわけである。

もちろん、ここで対比してみた2つの戦略は、極端に単純化をおこなったものになっている。また、どちらか一方の戦略しかありえないという訳ではない。各企業レベルではシステムを単純化する戦略が採られ、生産システム全体としてはシステミック合理化のような複雑性を持ったシステムを構成する戦略が採られるという可能性もある。しかしながら、システムの合理化の戦略として、システミック合理化とは根本的に異なった戦略がありうるわけだ。この点を考えると、この節のはじめにも述べたように、生産システムの合理化を図るという点では、さまざまな合理化の潮流は一致するであろうけれども、その合理化にあたって採られる戦略は、必ずしもシステミック合理化と機能的に等価なものだけになるとは思えないのである。