Barnard

チェスター・バーナード『経営者の役割』を読む

福井県立大学・経済学部 田中求之

Version 1.62 (Last Modified: February 24, 2009)


はじめに

このページについて

このページは、経営学(経営組織論、経営管理論)の古典であるチェスター・I・バーナード(Chester I. Barnard)の『経営者の役割』(The Functions of the Executive) についての解説(研究ノート)である。バーナードのテキストを読みながら、田中が要約したりコメントをつけるという形になっている。

このページは、田中求之が福井県立大学・経済学部で担当している経営組織論の授業の補助教材として作成したものである。『経営者の役割』全般を一般的に解説したものではない。授業との関連(および田中の個人的な関心)にそって取り上げていくものになっている(田中の組織論については、「経営組織論」等を参照のこと)。ここに書かれたバーナードが、バーナードの「正しい」姿でもなく「すべて」でもない。その点は注意して欲しい。あくまでも、バーナードの『経営者の役割』の組織論との出会いを手引するものである。このページを読んでバーナードに関心をもったならば、ぜひ『経営者の役割』そのものを読んで欲しい。

バーナードのコメンタールとして以下のものを公開してある:

上記のページを含めた田中によるバーナードのコメンタールなどは、以下のページに一覧をまとめてある:

作業履歴

2007年05月23日作成開始
2007年07月04日バージョンを示すようにした
2007年07月23日取り上げるべきテキストをすべて収めた 1.0a をリリース
2007年07月29日訳文の変更(主として「ステータス・システム」)などを行った 1.0a2 をリリース
2007年11月27日『経営者の役割』でバーナードが言ったこと」へのリンク追加
2008年04月30日So What?:バーナードの組織論をどう読むか?」へのリンクを追加
2008年08月19日『組織と管理』の部分を、新たに「チェスター・バーナード『組織と管理』を読む」として独立させ、1.5a とした
2008年08月28日チェスター・バーナード『経営者の哲学』を読む」を公開したので、リンクを追加
2008年12月31日タイプミスなどを修正して 1.6
2009年02月19日Google ブック検索へのリンクを張った
2009年02月24日チェスター・バーナードへの散歩道」の公開にあわせてリンクを張った

テキスト

テキストとして使用したのはチェスター・I・バーナード『新訳 経営者の役割』(山本・田杉・飯野訳、ダイヤモンド社、1968)と、Chester I. Barnard "The Function of the Executive" (Harvard University Press, 1938) である。訳者による序文や、原書の30周年記念版に付されたケネス・アンドリューの序文は、このページではとりあげない。あくまでもバーナード自身が書いたものだけをみていく。

基本的には訳書を読んで行き、引用も翻訳から行う。田中が必要と考えた箇所では原文も引用する。

『経営者の役割』の訳文は、今の学生たちにとっては、決して読みやすい文章ではないであろう。『経営者の役割』は文学ではないし教典でもないのだから、言葉遣いといった、本質的とはいえないものが理解を妨げるのは残念である。そこで、このページでは、翻訳に則しながらも、田中が訳文に大幅に手を入れている部分もある(訳文の変更作業は随時行っていく予定である)。

なお、バーナードの『経営者の役割』の原文では、cooperation や cooperative 等は、coöperation、coöperative というように、3文字目の o にウムラウトが付された標記になっているので、引用の際にはこれに従った。

文中の小見出しのうち、原文が付していないものは田中がつけたものであり、原文が併記されているものはバーナードの原書の中で節のタイトルなどとして書かれているものである。

また、引用文中における強調(日本語は太字、英語は斜体)は、特に注記していないかぎり原文のまま、つまりバーナードによるものである。

バーナードと『経営者の役割』

バーナードと『経営者の役割』について、テキストを読むための必要最低限の解説をしておく。

チェスター・I・バーナード(Chester Irving Barnard)、アメリカの実業家。1886年生まれ。ハーバード大学中退後にアメリカ電話電信会社(AT&T)に入社。1927年にはニュージャージー・ベル電話会社の初代社長に就任。数々の社会的活動や政府の活動にも携わる。社長退職後、1948年からはロックフェラー財団長に転じ1952年まで勤める。1961年、74歳で生涯を閉じた。『経営者の役割』は。1937年に同じタイトルで行われたハーバード大学ローウェル研究所の公開講座での講義を書物の形にしたものである。

彼の『経営者の役割』では、後に詳しく見ていくが、組織と協働体系(協働システム)という2つのキー概念がある。簡単に言うと、組織は人間を含まない行為のシステムで、協働システムは組織や人間や物的・生物的なものなども含めたシステムである。この二つは、明確に区別されてはいるが、『経営者の役割』の記述の中には、両者を同じものとして語っているように読める箇所も少なくない。この点は、主著の成立の経緯が深く影響しているのである。それについて、飯野春樹氏の『バーナード研究』の「第6章 主著執筆過程における協働体系と組織の概念」をもとに整理しておくと、以下のようになる。

飯野氏の言葉を引用しておく。

バーナードの思考過程において、まず協働体系概念があって、その後に組織概念が成立したのではなく、むしろ管理理論を構想して組織概念に至り、しかる後に協働体系概念に及んだ事実がわかると、彼の記述過程に見られるわかりにくさ、たとえば、第1部での協働や協働行為の理論から、第2部のはじめで突然に協働体系があらわれ、すぐまた排除されてしまうという読者の戸惑い、あるいは、物的、社会的な要因ないし環境として取り扱われてきたものが、それらの境界線を必ずしも確定することなく、協働体系の物的システム、社会的システムとみなされるという不明確さ、など(他にもいろいろあるだろう)の理由がはっきりするように思われる。

(飯野春樹『バーナード研究』p.165)

『管理者の役割』を読み進める際には、この成立過程のことを頭の中に置いておく必要がある。

なお、『経営者の役割』出版の後に論文集の『組織と管理』を自費出版している。また『経営者の役割』出版50周年を記念して日本バーナード協会が編集した『経営者の哲学』という論文集が出ている。現時点でバーナードの著作は以下の3冊である。

トリビアルなネタを一つ書いておく。バーナードは、ニュージャージー・ベル電話会社の社長を退いた後、ロックフェラー財団の長を勤めているが、この時に、研究奨励金を出した一人がグレゴリー・ベイトソンである。ベイトソンは、『精神の生態学』の謝辞の中で、「精神医学の分野ではじめて研究奨励金をいただいたのは、『ナヴェン』を数年間もベッドの脇に置いていてくれたというロックフェラー財団の故チェスター・バーナード氏のおかげである。」と述べている。さらにバーナードは『経営者の哲学』に収められた「産業研究のなさるべき組織の諸側面」(1947) においてベイトソンの『ナヴェン』に言及している。

『経営者の役割』の構成

『経営者の役割』は、以下の目次のように、4部構成になっている(訳書の「体系」は、原文に即して「システム」に変更してある。このページの以下の記述においても同様。)。

大きな流れとして、まず組織論を展開し、それにもとづいて管理論を展開するという構成になっている。また、組織論においては、人間論→協働論(協働システム論)→組織論(公式組織論)という構成がとられている。


序(Preface)

日本語版への序文

『経営者の役割』の翻訳には2つのバージョンがある。1956年に最初の翻訳が田杉競監訳で出版され、後に関係者による改訳として1968年に出版されたのが、現在の『新訳 経営者の役割』である。

「日本語版への序文」は、最初の翻訳が出版される際にバーナード自身によって寄せられたものである。ここでは、主著の刊行から18年たった時点でのバーナードの考えや思いが綴られている。

まずこの本が自分の体験に基づいて書かれたものであることを述べている:

本書がこの種著作のアマチュアのものであって職業的社会科学者の著作ではない。これを組織だて、その概念用具を展開するに当っては、デュルケイム、パレート、テンニース、タルコット・パーソンズその他多くの人々の著作を研究してそれに負うところが大きいが、それにもかかわらず、本書の実体は個人的体験と観察とそれに対する長い間の思索から生まれたものである。これがなんらかの寄与をなすとすれば、それは本来実業人である私の乏しい学識のためではなく、むしろこのような素材のためである。

(強調は田中)

続いて、バーナード自身による主著への注釈が加えられている。まずこの本の主題と表題についてであるが、この本が組織の管理についての本でありながら組織論から展開されていることに関連して次のように言う:

私が意図したのは、管理者は何をせねばならないか、いかに、なにゆえ行動するのか、を叙述することであった。しかしまもなく、そのためには、彼らの活動の本質的用具である公式組織の本質を述べねばならぬことがわかった。ところが私の目的に適当な著作が何もないところから、私はどうしても正確にいうなら「公式組織の社会学」とでも呼ぶべきものを書かねばならなかった。読者も気づかれるように、それでも狭すぎる表題であろう。なぜなら本書はいくつかの学問、とくに社会学、社会心理学、政治学および経済学と交差している。公式組織としての家族、氏族、種族を除いては、この問題はいままで軽視されてきたように思われる。その結果、公式組織とは政治体系、法律体系、経済体系あるいは準機械体系と対立する意味の社会体系であるという命題を中心とするようになった

(強調は田中。なお原文を参照できないため、「体系」はそのままにしてある。)

注釈の第2点として、権威の本質についてコメントしている。ここで触れられているには、第12章で展開されている権威の理論のことで、権威受容説として有名なものである。自分の考えに間違いがなかったということを述べている。:

権威は本質的に主観的性格のもので、公式の同意と、権威に従うといわれる人々の非公式の同意ないし無関心を含む。1938年以来の経験と、公式的権威を身をもって実行する人々との長い議論とによって、当時私が述べた見解を確かめることができた。

注釈の第3点は、バーナード組織論の特徴でもあり、ある種の特異性でもある、有効性と能率に関すること、特に「能率」という概念=用語に関して、補足的な説明を加えている。能率については、本文で確認するが、バーナードの「能率」とは、協働に関与者の満足の度合いを指すものである。

以上の補足的な意見を述べた後、この『経営者の役割』では述べられなかったこと、バーナード自身が欠点とみなすことについて述べられる:

1938年以来の私の経験からすれば、当時書いたところにほとんど変更を加える必要がないと思われる。もっとも公式組織におけるステータス・システムや私が側生組織とよんだものに若干付言してもっと明らかにすべきであった。このような拡充の一部は私の『組織と経営』のなかに含まれている。しかし非常に重大な一つの欠点は、そのときもいまも、責任の問題を扱わなかったことである。権威を論ずれば、当然、はるかに重要な、しかしあまり理解されていない委任、それの責任の問題、責任が重くなるにつれて委任と矛盾すること、権限と責任との従属関係や、責任の分散、伸縮性および釣り合いのとれた創意を促進することの重要性などを明瞭に議論すべきであった。

(強調は田中)

ここでバーナードが述べている責任の問題に関しては、後の『経営者の哲学』に収められた論文で論じられており、責任優先説として定式化されたものである。

最後に、「本書は公式的協働行動一般にわたることを目的としたものであり、事業以外の組織についての著者の経験からみても、本書はそうなっているのである。」という言葉で「日本語版への序文」は終わる。

序(Author's Preface)

原書の序文では、まず、この本の経緯が述べられる:

本書は、1937年11月、12月にボストンのローウェル研究所で八回にわたっておこなった同名の講演の原稿に加筆、拡大したものである。

続けて、自分の体験を論述したような組織の一般的特質を論じたものがないということを述べる。彼自身の言葉を拾っておく:

ところが私の知るかぎりでは、私の経験に合致するように、あるいは管理実践や組織のリーダーシップに練達だと認められた人々の行為のうちに含まれる考え方に合致するように、組織を取り扱ったものは一つも存在しない。……。管理職能を理解するためには、組織の地誌や製図法以上のものが必要であろう。いかなる種類、性質の力が、どのように作用しているかを知ることも要求されるであろう。

彼ら(社会科学者たち)の叙述している現象の少なくとも大部分の基底にある調整と意思決定の過程を感得しているものはまれである。もっとたいせつなことは、公式組織が社会生活の最も重要な特徴であり、また社会そのものの主要な構造的側面であることがあまり認識されていない点である。

こうした事情の理由としてバーナードがあげるのが、国家と教会に関する思想、あるいは経済思想(人間行動の経済的側面の誇張)である。それらによって誤って捉えている組織というものを、自分の体験と信念によって論じ直したものが本書というわけである。

序では、本書が2部構成と捉えうることが述べられる:

形のうえで、本書は四部に分かれているが、ある意味では二つの短い研究から成り立っている。本書の前半をなすのは協働と組織の理論の展開であり、後半は公式組織における管理者の職能と活動方法との研究である。この二つの主題は、ある目的からは区別するのが便利であるが、具体的行為と経験では不可分のものである。

こうした言葉から分かるように、バーナードが論じようとしたのは、社会に広くみられる組織というもの本質の理解と、その理解をもとにした管理のあり方である。このページでは、彼の言う前半部分に焦点をあてるものであるが、それらの理論も、最終的には管理実践を支えるものであることを念頭に論じられているものである。

序の最後で、この本の反省を述べている。その中で、先の「日本語版への序」とは違う、ある意味でもっと本質的な点について語っている:

私がもっと遺憾に思うのは、組織のセンスを読者に十分に伝えることができなかったことである。それはとうてい言葉では説明できないような劇的、審美的な感情であって(the dramatic and aesthetic feeling surpasses the possibilities of exposition)、主に自ら興味をもって習慣的に試みる経験から生まれるものである。多くの人々が組織の科学に関心をもたないのは、重要な要因を感じとれないで、組織化の技能に気づかないからである。人々は音を聞き分けられないために、交響曲の構造や作曲技法や演奏技術をつかめないでいる(They miss the structure of the symphony, the art of its composition, and the skill of its execution, because they cannot hear the tones)。

言葉を積み重ねていっても、最後は実践の場で感得できるようなある種の感覚までは捉えきれない/伝えきれないということであるが、この点については、バーナードの本書だけでなく、実践に関わる科学一般にまつわる問題であるようにも思える。ただ、バーナードの本書によって、我々は音色を聞き分けられるようにはなるのではないかと思う。そこから先は、まさに本人のセンスや才能の問題かもしれないが。

第1部 協働システムに関する予備的考察(Preliminary Consideration concerning Coöperative Systems)

第1章 緒論(Introduction)

緒論では、本書が公式組織を論じるものであること、公式組織は我々の社会に広くみられることが述べられる。公式組織が重要なものでありながら、それがきちんと論じられていないと述べる:

社会改造の文献において、現代の不安にふれない思想は一つもないが、具体的な社会的過程としての公式組織(formal organization as the concrete social process)に論究しているものは事実上まったく見当たらない。社会的行為は主としてこの社会的過程によって遂行される( [the concrete social process] by which social action is largely accomplished)のに、この具体的過程は。ほとんど完全に無視され、なんらかの社会的条件や社会的情況を構成する一要因にもされていない。

公式組織はいたるところにあるものである:

われわれの社会で目に付く人間の行為―すなわち動作、言語およびその行為や言語から明らかとなる思想や感情―を注意深くみると、それらの多く、ときには大部分が公式組織に関連してきめられたり、方向づけられていることがわかる。……。5や10以下の組織にしか属していないような人々はおそらくはほとんどなく、多くの人々が50以上の組織に所属しているであろう。これらの人々の個人的行為は、このような諸関係によって直接に支配され、規制され、条件づけられている。そのうえ、一日とか一週間のような短期間には、名前もないし組織とは考えられもしないような短命の、せいぜい数時間の生命しかない公式組織が無数にある。

上の引用からも、また先の序の部分での言葉からもわかるように、バーナードのいう公式組織というのは、きわめて広範な人間関係を包摂する概念である。複数の人間の間で生まれる社会的システムを公式組織という概念で捉えているのである(この点は、バーナードの組織論の特徴であると同時に、限界を課すものにもなっている)。公式組織についてバーナード自身は次のように言う:

公式組織とは、意識的で、計画的で、目的を持つような人々相互間の協働である(Formal organization is that kind of coöperation among men that is conscious, deliberate, purposeful)。このような協働は、今日ではどこでもみられるし、また避けえないものであるため、あたかも他の協働の仕方がまったくないかのごとく、「個人主義」とのみ比較されるのがつねである。

このように、バーナードのいう公式組織は、我々の社会生活を組み立てている協働一般をとらえたものである。そして、そうした身近なものであるがゆえに公式組織とは簡単に成立し維持されるかのように思われているが、そうではないということに注意を促す:

しかし、実際には、公式組織のなかでの、あるいは公式組織による協働が成功するのは異例であり、通常のことではない。日常われわれの目につくのは、数多くの失敗者の中でうまく生き残ったものである。つねに注意をひきつづける組織は例外であって原則ではなく、しかもそのほとんどがせいぜい短命なものである。

なぜか? それは組織が環境のなかで存続しなければならないものであるということから来る。そして環境のなかで均衡を保ち組織を維持させるプロセスこそが本書で論じる対象である:

……、公式組織の不安定や短命の基本的な原因は、組織外の諸力のなかにある。これらの諸力は、組織が利用する素材を提供するとともに、その活動を制約する。組織の存続は、物的、生物的、社会的な素材、要素、諸力からなる環境が不断に変動するなかで、複雑な性格の均衡をいかに維持するかにかかっている。このためには組織の内的な諸過程の再調整が必要である。(The survival of an organization depends upon the maintenance of an equilibrium of complex character in a continuously fluctuating environment of physical, biological, and social materials, elements, and forces, which calls for re-adjustment of processes internal to the organization)。われわれは調整がなされるべき外的条件の性格にもふれるが、主たる関心は、その調整が達成される過程である。

バーナードの組織(システム)概念が、均衡を軸としたホメオスタティックなシステム概念であることがうかがえる記述になっているが、組織の存続は、まさに問題であるのだという点を強調するわけである。

そして、組織の存続のための調整過程を担うのが管理者としての職能(functions of the executive)ということになるわけだが、その職能は、かならずしも管理者だけが担うものではなく、あらゆる段階で統制的地位にあるすべての人々にもよっても行われるものであると述べる。それゆえ、本書で言う管理職能に関して、いかのような注意を述べている:

……この研究で問題とする管理職能は、管理者と呼ばれるたいていの人々の主要な職務によってはただ大まかにしか示されないということ、したがって慣習的な肩書きとか、「管理者」という言葉の特殊な定義によって制限されるべきではないということを注意しておこう。

また、あらゆる公式組織が本書の考察の対象であることが確認される。そして、本書の論述の展開について、まず協働システムの予備的考察を行い、概念的な枠組みの確認を行ってから、後半で公式組織の要素、諸要素と管理職能との関連、そして最後に協働の存続について論じられることが告げられる。

第2章 個人と組織(The Individual and Organization)

バーナードは、まず個人というものをどのように捉えておくかということから組織論の論述を始める。なぜそうするのかについて、章の冒頭部分の彼の言葉を引いておく:

組織の研究、あるいは組織との関連における人々の行動の研究をすすめようとすれば、どうしても「個人とは何か」「人間とは何を意味するのか」「人はどの程度まで選択力や自由意志をもつのか」というような、すぐに出てくる二、三の疑問に直面せざるをえないことがわかる。できることならこの難問を回避し、いく世紀たってもいまなお論じつづけている哲学者や科学者に委ねてしまいたいが、たとえ我々が明確に答えることをさけても、結局はこのような問題から逃れられないことがただちに明らかとなる。すなわち人間の行動について何かを語る場合には、暗黙のうちにその問題に答えていることとなるし、さらに重要なことは、あらゆる種類の人々、とくに指導者や管理者の行動は、たとえ無意識的にせよ、その問題に関する基本的な前提や態度にもとづいているからである。

しかし、個人といっても、色々な見解や理解がありうる。そこで、バーナードは本書における個人や人間について、以下の点に関して述べるとする。

  1. 個人の地位および人間一般の特性(The status of individuals and properties of persons generally)
  2. この書物における個人や人間の取扱い方法
  3. 協働システム外の個人的行動の特徴
  4. 個人的行動における「有効性(effectiveness)」と「能率(efficiency)」の意味

個人、人間、パーソン

物的存在としての人間:まず個人というものだが、人間が物的な存在であることは間違いないが、物的な面においても、「個別的な物体として扱うか、あるいは一般的な物的要素のたんなる一局面か関数的な表現として扱うの、いずれかである」。人間を扱う目的によって違う。

人間有機体:人間は単なる物体だけではない。「生きもののとしての人体は、その内外のたえざる変化や広範な変異にもかかわらず、適応力、内的均衡を維持する能力、したがって継続性をもっている。そのうえ、経験の能力、すなわち過去の経験を生かして適応の性格を変える能力をもっている」。この意味で、人間は物的なものと生物的なものから成り立つ有機体である。物的及び生物的要因の統合物として生きて行動するものである。

社会的存在:人間という有機体は他の有機体との関係をもたずして生きられない。それゆえに物体の相互作用とはことなる社会的関係/社会的要因をもつ:

人間有機体の相互作用は、たんなる物体の相互作用、または物体と有機体との間の相互作用とは、経験や適応性を相互に持ち合わせている点で異なるものである。必要な適応と経験は、各有機体それぞれに固有の諸要因によって決められる物や機能に関連するだけではなくて、反応や適応それ自体が相互に作用することにも関連する。換言すれば、二つの人間有機体の相互反応は、適応的行動の意味意図に対する一連の応答である。この相互作用に特有な要因を「社会的要因」と名づけ、その関係を「社会的関係」と呼ぶ。

The adaptation required and the experience relate not merely to things or functions determined by factors inherent in each organisms separately, but to the mutuality of reaction or adjustment itself. In other words, the mutual reaction between two human organisms is a series of responses to the intention and meaning of adaptable behavior.

結節点としての個人:このような社会的存在としての人間は、様々な関係や相互作用の結節点として考えることができる。「個人はわれわれの関心の広さに応じて、一つの要因の象徴となり、あるいは多くの要因の象徴ともなるのである。

歴史的存在:個人は、それぞれが独特の経歴をもった存在である。我々は身近な人々のことは、こうした具体的な履歴をもった特異な具体的な人間としてみるが、関心が遠のくと、「個人」は具体的な個人ではなく、ある側面を示す点としてみるようになる。

この書物での個人:以上の議論を踏まえて、バーナードは、本書における個人というものを以下のように定める:

この書物で個人とは、過去および現在の物的、生物的、社会的要因である無数の力や物を具体化する、単一の、独特な、独立の、孤立した全体を意味する。

In this book we mean by the individual a single, unique, independent, isolated, whole thing, embodying innumerable forces and materials past and present which are physical, biological, and social factors.

このように個人をおさえておき、個人の特定の側面や機能に言及する場合には、「個人」ではなく、「従業員」や「貢献者」といった外の言葉を使うということを述べる。

人間の属性

「個人」というもの押さえたのに続いて、人間の特性の考察へと進む。ここで論じられる特性とは、「パーソン(Person)」という言葉で捉えられる属性を指す(翻訳では person の訳として「人間」があてられているが、このページでは必要に応じて「パーソン」とする。翻訳の訳注として挿入されているように、人格的存在という意味で捉えておけばよいだろう)。バーナードは、「個人」という名詞を「一人の人間」という意味で使い、「パーソナル」という形容詞でその特性(属性)を強調するのが便利だという。

バーナードがパーソンの特性(属性 properties)として挙げるのは以下の4つ:

以下、それぞれについて、バーナードの言葉を拾う形でまとめておく。

活動、行動:個人の重要な特徴は行動であり、「その大まかな、容易に観察される側面が行動と呼ばれる。行動なくして個々の人間(individual person)はありえない」。

心理的要因:「いわゆる個人の行動は心理的要因の結果である。「心理的要因」という言葉は、個人の経歴を決定し、さらに現在の環境との関連から個人の現状を決定している物的、生物的、社会的要因の結合物、合成物、残基を意味する(The phrase "psychological factors" mean the combination, resultants, or residues of the physical, biological, and social factors which have determined the history and the present state of individual in relation to his present environment)。」

選択力:「実際的な問題においても、また多くの科学的目的のためにも、われわれはパーソンには選択力、決定能力、自由意思があるものと認める」。「しかし、この選択力には限界がある」。「個人が、物的、生物的、社会的要因の結合した一つの活動領域(a region of activities)であるかぎり、これは当然のことである」。この限界があることが、選択を可能にしているということが重要である。「選択には可能性の限定が必要である。してはいけない理由を見出すことが、なすべきことを決定する一つの共通な方法である」。「意思決定のプロセスは主として選択をせばめる技術である」。

目的:「意思力を行使しうるように選択条件を限定しようとすることを、「目的」の設定または「目的」への到達という(The attempt to limit the conditions of choice, so that it is practicable to exercise the capacity of will, is called making or arriving at a "purpose".」。「この書物では、主として組織化された活動に関連ある目的を問題とする」。

目的が、目的そのものが何かということではなく、選択行為との関連で語られていることには注意しておいてもよいだろう。

以上の議論を補足する形で、自由意思や選択力の過大評価に注意を促している。少し長くなるが、バーナードらしい議論の部分なので引用しておこう:

個人の選択力やその意味を過大視することは、ある場合にはたんに誤解の原因となるのみでなく、まちがったむだな努力の原因ともなるということを、この際付言しておきたい。個人が選択力を持つ―私のみるところ、ありもしないのに―という仮定にもとづいて、行為がなされることがよくある。したがって、その場合には、個人が服従しないのを、実は服従できないのにもかかわらず、意識的に反抗していると誤解される。もし自由意思の考え方を既述のごとき内容により近いものと理解する場合には、個人の行動を規定しようとする努力の一部は、訓練、説得、刺激の設定によって個人を規制するなど、行動の諸条件を変更する形をとるであろう。このような方法は管理過程の大部分を構成するものであり、大部分が経験や直観にもとづいて遂行されている。自由意思について正しい認識をもたないことが、管理活動の失敗の重要な原因である。

個人、パーソンの取扱い

以上の議論をふまえて、バーナードは、本書ではパーソン(人間)を二様に扱うとする:

この書物では特定の協働システムの参加者としてのパーソンを、純粋に機能的側面において、協働の局面とみなす。人々の努力は、それが協働的であるかぎりにおいて非人格化され、逆にいえば社会化される。

In this book persons as participants in specific coöperative systems are regarded in their purely functional aspects, as phases of coöperation. Their efforts are de-personalized, or, conversely are socialized, so far as these efforts are coöperative.

……。第二に、なんらかの特定の組織のにあるものとしてのパーソンは、物的、生物的、社会的要因の独特に個人化したものであり、限られた程度の選択力をもつものとみなされる。このような二側面は、時間的に二者択一的なものではない。……、同時に存在するところのものの異なった側面にすぎない。両者は協働体系ではつねに並存する。……。協働を二人以上の人々の活動の機能的システム(coöperation as a functioning systems of activities of two or more persons)と考える場合には、人間の機能的もしくは過程的側面(functional or processive aspect)が関連する。人間を協働的な機能もしくは過程の対象(the person as the object of the coöperative functions or process)と考える場合には、第二の側面、すなわち個人化(individualization)の側面を考えるのがよいのである。

このように、協働の関与者、つまり協働を成り立たせる行為の担い手という点では、機能的なものとしてとらえ、協働の作用する対象としては個人としてのパーソンとして捉えるわけである。一人の人間は、協働システムに関与する場合でも、働きを担うものでありながら、協働から影響を被ったり報酬を与えられるものでもあるというように、二重の関わりを同時にしていることになる点に注意。この二重の人間の取扱いは、後に述べられる組織に人間は含まれないというバーナードの組織の定義に繋がっている。

個人の行動

個人、パーソンの考察に続いて、個人(協働システムに外的なものとしての個人)の行動に関して考察を行っている。「パーソンは、この側面において特定の協働システムに入るか否かを選択する」わけであり、協働システムの成立条件・存立条件を考える場合には、パーソンのこの側面が重要になる。協働システムへの参加の選択について、バーナードは次のようにいう:

この選択(=参加の選択)は、(1)そのときの目的、欲求、衝動、および、(2)その人によって利用可能と認識される、個人の外的な他の機会、にもとづいて行われる。組織はこれらの範疇のうちのひとつを統制したり、影響を与えることによって、個人の行為を修正する結果生ずるOrganization results from the modification of the action of the individual through control of or influence upon one of theses categories.)。これらのものを慎重に考慮して専門的に統制することが管理職能の本質である(Deliberate conscious and specialized control of them is the essence of the executive functions.)。

バーナードは「動機(motives)」の考察へと進む。人間の欲求、衝動、欲望を動機と呼ぶ。「動機は、主として過去および現在の物的、生物的、社会的環境における諸力の合成物である」。先の述べた心理的要因を言い換えたものである。ここで、バーナードは通常、動機が持ち出されてくる因果関係とは異なった位置づけを行う:

(動機は)行為によって、すなわち事後的に推論されるものである。もとより、われわれが「想像」と呼ぶところのものが現在の情況の一要因となる場合も、ときにはあり、またときどき人間は自分の「動機」に気がつくこともありうる。しかしある人の欲求は、本人にとってさえ、選択行為の機会が与えれて、自分のすること、あるいはしようとすることからのみ知ることができるのが常である。

(強調は田中)

このように、何らかの動機が、ある動機として明確になるのは、選択の後に、事後的なものとしてである、という見方がバーナードにはある。動機は観察されるものである、といってもよいだろう。

つづけて、動機は目的によって述べられることが多いが、心理的要因(諸要因の合成物)として生ずるものである以上、目的そのものが本当に動機そのものなのかどうかは明らかではないと述べる。バーナード自身は展開していないが、ここの議論を押し進めると、動機とは事後的に諸要因の中から説明のために「戦略的に」観察によって選択された要因であるとの考え方に行き着くこともできるだろう。

このように考えると、活動が目的を達成することで動機が満たされることもあれば、満たされない場合もありうるのは当然のことになる。このように、人間の活動は、動機が単純に目的と因果的に結びついているようなものではないということである。

さらに、人間の活動に関して、「活動はつねに求めない他の結果を伴う(The activities always have other effects which are not sought)」ことが確認される。求めざる効果は、ささいな無視できるようなこともあれば、重大な結果を引き起こすこともある。このことが、バーナードのキータームの一つである能率へと繋がっていく。

パーソンの行動の能率と有効性

活動には求めざる結果がつねに伴うということを踏まえて、個人的行為と組織的行為に関して「有効的(effective)」と「能率的(efficient)」という二つのターム(概念)を区別する必要があると述べる。

行為が特定の客観的目的をなしとげる場合には、その行為を有効的という。また、たとえ有効的であろうとなかろうと、行為がその目的の動機を満足し、その過程がこれを打ち消すような不満足を作り出さない場合には能率的であるという(We shall say that an action is effective if it accomplishes its specific objective aim. We shall also say it is efficient if it satisfies the motives of that aim, wether it is effective or not, and the process does not create offsetting dissatisfactions.)。ある行為が動機を満たさないか、または不満足を生ずる場合には、その行為はたとえ有効的であっても、非能率的であるという。

このように、バーナードは「有効的(effective)」で目的の達成度、「能率(efficient)」で(行為者の)満足度を評価する。行為や活動をこの二つの軸で評価することは、個人の行動に限らず、協働、協働システム、公式組織と、すべてのレベルでバーナードが一貫して行っていることである。特に「能率」をつねに考慮することが、単に目的達成に合理化されることだけが「良い」組織なのではないとするバーナードの立場があらわれている。

この章の最後に、この章で述べたことを総括して、人間の自由意思を尊重する哲学と、人間を決定論的に論じる哲学との両方を、社会現象の二つの側面をあらわすものとして両方受入れることが必要だと述べる。そうした態度が管理者には求められるという章の最後の文章を引いておこう:

協働や組織は、観察、経験されるように、対立する事実の具体的な統合物であり、人間の対立する思考や感情の具体的統合物である。管理者の機能は、具体的行動において矛盾する諸力の統合を促進し、対立する諸力、本能、利害、条件、立場、理想を調整することである。

coöperation and organization as they are observed and experienced are concrete syntheses of opposed facts, and of opposed thought and emotions of human beings. It is precisely the function of the executive to facilitate the synthesis in concrete action of contradictory forces, to reconcile conflicting forces, instincts, interests, conditions, positions, and ideals.

第3章 協働システムにおける物的および生物的制約(Physical and Biological Limitations in Coöperative Systems)

章のタイトルからは判りにくいが、この章では、人間にとっての協働の必要性と意義、成立について論じられる。簡単にいうと、個人の物的・生物的制約を乗り越えていく手段として協働がある、ということになる。

個人には目的があるということ、あるいはそうと信ずること、および個人に制約があるという経験から、その目的を達成し、制約を克服するために協働が生ずる。

この章では、協働に関して以下の5つの問の答えが順に展開されることになる。

  1. なにゆえに、またいかなるときに協働は有効なのか
  2. 協働過程の目的は何か
  3. 協働過程の制約は何か
  4. 協働システムにおける不安定の原因は何か
  5. 追求する目的に対して協働はいかなる結果を生むか

なお、この章の論考では、生物的要因と物的要因のみが存在する(社会的要因は除外)という過程で論がすすめられる。個人は生物的な欲求を満たすことを目的として行動する、動物機械のようなものと仮定されるのである。

協働の理由と有効性

「個人ではやれないことを協働ならばやれる場合にのみ協働の理由がある」のであり、協働は「個人にとっての制約を克服する手段として存在理由をもつ」わけである。では、個人にとっての制約とは何か? この点からバーナードは議論をはじめる。

個人にとっての制約とは、二種類の要因の結合結果である。その要因とは、以下のもの。

  1. 個人の生物的才能または能力
  2. 環境の物的要因

二つの要因の結合であるという点に注意を促しておいて、バーナードは次のように述べる:

そもそも制約というものは、目的の観点からみた全体情況の関数である。それゆえここでは、目的がはっきりしていなければ、「制約」という言葉を使うことは無意味である。そして一要因に関して制約といわれるものでも、実は他の諸要因との関連においてはじめて明確になるものである。

このように、目的と環境の関係の中で「制約」は見出されるわけだが、通常は、能力の側ではなく環境の側のほうが変更しやすいので、物的環境のなかに「制約」が見出される。

二人以上の人々が協働できる可能性がある場合には、協働できるかどうか、協働でどれだけのことが可能になるか、といったことも制約を見出し目的を達成しようとすることに関連してくることになる。

協働は個人の生物的制約を克服したり打破するには有効である。協働が有効となるのは、個人の力の協働的結合が有効になる場合ということになるが、この条件に関しては、否定的に考察するのがよいとバーナードは述べる。つまり、「協働が有効でないのはなにゆえか、それはまたいかなるときか」という問の答えを明らかにしておこうというわけである。これについてはバーナードは次のようにまとめている:

(1)人力の結合がどこまで有効となるか、その程度はどんなに好ましい事情のもとでも小さなものである(The possible degree of effectiveness of combination of any human powers is under most favorable circumstances small.)。(2)個人はあらゆる才能や能力を結合して全人として活動する。ある能力については結合が好ましい事情であっても、他の能力にとっては好ましくない場合があるから、結合には、たとえ利益があるとしても、その利益を相殺する不利益がつねに含まれているものである(Circumstances favorable to combination in respect of one power are unfavorable as respects others. Accordingly, combination always involves disadvantages which may offset advantages, if any.)。(3)経験や観察によって容易に確認されるように、(1)と(2)の項目から、最も好都合な場合以外には、協働の有効性は、もしあるとすれば、個人的努力をいかに整然と結合するかに依存する(effectiveness, if possible, depends upon an ordered combination of personal efforts.)。ここで必要な整序は、発見や発明の問題である(The ordering required is a matter of discoveries or of invention.)。

少し分かりにくい表現になっているが、人力結合の有効性が小さいことや、結合し統合したことによる不利益が少なからずあること、それゆえ、どのように秩序づけるかが鍵になる、というわけである。このように考えると、協働はけっして簡単に成り立つものではないのである。「有効性という限られた見地だけからでも、協働のむずかしさは明らかであり、環境のわずかな変化でも成功可能な方法をたやすく無効にすることがある」。このように、バーナードは組織や協働といった「当たり前」に感じているものに、多くの困難がひそんでいるのだということを明らかにしていくという形で論をすすめる。

協働の目的

協働の目的は、個人的行為の目的とは異なるという点が論じられる。「協働的諸制度を少しでも調べてみれば、協働的努力の目的は種類と質において変化するし、ある目的は個人的行為を許さないことがわかる」。

協働にみられる迂回的行為(間接的な目的)にバーナードは注目する。間接的な目的として:

  1. 将来の行為にとって便利なように、環境の変化を要するような目的
  2. 将来の効用を生み出すと期待されるような変化を必要とする目的
  3. 将来使う素材の位置の変化を要する目的
  4. 生物的な力を補足したり、後でそれをより有効なものとするために素材の形成を伴う目的

このような間接的な目的の行為(迂回的行為)は「すべての協働的努力に見出されるが、行為が協働的となるとそれらは個人的な性格(personal character)を失う。個人的目的は、協働行為の中に媒介的な過程がはいってこなければ、協働行為を通じて満たされるものではない(Personal purposes cannot be satisfied through coöperative action except as there comes into the action an intermediate process.)。その媒介的プロセスとは分配的なものである(This process is distributive)」。

つまり、協働として個人が行うことの中には、直接に協働の達成に結びつくものでもなければ、関与している個人が個人的に欲して行っているものでもない行為が多く含まれる。協働的目的と個人目的は分離し二重化するわけである。それゆえに、協働の成果と、個人の目的を媒介するプロセスがなければならないのである。

ただし、分配するとはいえ、協働の成果を山分けするような簡単な話しにはならないことが多い。なぜなら:

努力の協働システムの一部を構成する個人的努力と全体の協働的産物もしくはその分配部分との間には、いかなる直接の因果関係もないし、またありうるものでもない(there is and can be no direct causal relationship between individual efforts constituting a part of a coöperative system of efforts and either the whole coöperative product or any distributed part of it.)。そのうえ個人的行為ではみられない二つのタイプの他の行為が協働システムでは作用し始める。第一のタイプは、協働それ自身の促進をめざすものである。第二のタイプは協働システムの維持をめざすものである。

このように、協働が始まると、単純に目的の達成を追求する活動だけでなく、分配、あるいは協働の促進、システムの維持といった迂回的な活動が必要になり、その比重が高まる。それゆえに、「協働が一度確立されると、上述したすべての種類の活動の間に注意の焦点が移動し、順次、各活動がその時の制約の中心となったり、その情況における制約的要因になったりする」のである。

環境の変化と原初的管理部門

環境の変化が協働システムにも継続的な適応を迫ることになるのだが、協働の適応と個人の適応は異なる。個人の場合は生理的な適応行動ということになるのだが、協働システムの場合には、組織的活動の均衡を保つということになる。

協働システムの適応は、種々のタイプの組織的活動の均衡を保たしめる適応である(Adjustments of coöperative systems are adjustments in the balance of the various type of organizational activities.)。これらの適応能力はもう一つ別種の制約的要因である。この事実から、協働システムでは適応のプロセスおよび専門的な機関、すなわち協働を維持することを専門とする活動の側面が発展してくる。……。このような適応プロセスがマネジメント・プロセスであり、そしてその専門機関は管理者と管理組織である。したがって、このようなプロセスと機関が、こんどは協働の制約となる。異常な大変動でも起きないかぎり、それらはたいていの協働システム、また特に複雑な協働システムでは、実際、最も重要な制約である。

このように、バーナードは、変動する環境への適応の必要性から、管理プロセスや管理部門を必要性を導き出すのである。

目的の変更

協働の不安定性は「物的環境の変化と協働システム内の適応や管理プロセスの不確実性とから生じるばかりでなく、可能性の変化に伴う行為目的の性格の変更からも生じる」。「新しい制約が一つ一つ克服されるごとに(あるいは失敗するごとに)、新しい目的があらわれ、古い目的が放棄される」。このように、環境のなかで協働が進行するにつれて目的の変更が生じるわけである。なお、ここでバーナードは協働(協働システム)が拡大傾向をはらむものであることについて、次のようなことを述べている。

ここで強調されねばならないのは、協働の発展に伴って目的の数および範囲が拡大することは、変化する環境のもとでの自由意思の概念に固有なものであるようにもみえる、ということである。目的の数または種類のかかる拡大は、それ自体として協働における不安定要因となるし、またおそらく協働が発展し、より複雑になるにつれて、いっそう不安定要因は増大するだろう。

バーナードは自由意思に結びつけているが、システムの拡大傾向は、環境への適応(たとえば、新たな問題ごとに対処用の下部システムを分化させる)で説明がつくことではある。だが、自ら不安定要因を作り出す傾向を協働がもっているという指摘は面白い。

なお、この章のあちこちの論述で、バーナードは、協働システムとか組織とかを何の定義もなくポーンと使っている。後の展開で協働システムと組織は厳密に異なる概念であることが述べられるのだが、この章の既述などでは、それほど区別せずに使っているように読めるし読むのが普通だろう。このあたりは、本書の成立の経緯にも関係すると思われるが、そのへんは、バーナードの研究書などで調べて欲しい。

第4章 協働のシステムにおける心理的および社会的要因(Psychological and Social factors in Systems of coöperation)

第4章は短い章で、3章までの協働論、協働システム論では除外してきた心理的要因、社会的要因に関して述べられている。

心理的要因については2章ですでに「個人の行動の物的、生物的、社会的要因の合成物」という規定がなされた。さらに個人には過去の経験が現在に影響するという意味での経験・記憶(条件づけ)があり、他方で選択力があるともされたのであった。

個人には経験と選択力があるとみなすことから、他の人と関わりをもつような情況における個人の評価は二つになるとバーナードはいう。

第一の評価は、その情況における個人の能力に関するものであり、第二の評価は彼の能力の範囲内における決断力または意欲に関するものである(The first appraisal is concerned with the individual's powers in the situation. The second appraisal is concerned with his determination or volition within the limit set by his powers.)。……。第一の評価は彼は誰か、彼はどんな人か、どのようなことができるか、という質問に対する回答によって表現され、第二の評価は、彼は何を欲するか、何をしようとしているのか、何をするつもりか、という質問に対する回答によって表現される。

このように、個人のパワーと意思の二面の評価になるわけだが、これが行動には次のような影響を与えるという。

他の人と満足な関係を確立するために、現実に、一人の人間がなしうることは、他の人の選択の限界を狭めるか、または選択の機会を拡大するかのいずれかである(What actually may be done by one person to establish satisfactory relationships with another person may be approached either by the attempt to narrow the limitations of the second person's choice, or to expand the opportunities of his choice.)。第一の場合は、外部の情況を変えるか、あるいはその人の「心理状態(state of mind)」を変えるのかいずれかの方法、換言すれば、可能性を制限するか、またはその人の欲望を制限するか、のいずれかである。……。第二の場合には、……、相手が利用できる他の手段を付け加えて、彼の選択力を広げるのである。

このことは、他人に対して行動する場合の行動の仕方が、次の二つのいずれかであることを示すとバーナードはいう。

  1. 彼らに影響する要因を変えることによって、彼らを操縦しうる客体とみなす。
    →人々は継続的経過の関数
    →特定の外的要因の操作を通してその全体に間接的に接近する

  2. 欲求を満たすべき主体とみる。
    →その時点で絶対的で独立的なもの
    →全体に対する直接的な接近

以上の議論を踏まえて、いきなり?、バーナードは社会的要因について、次のように言う。

どちらの場合でも、社会的要因は含まれるが、他の要因と不可分の形でまじりあっており、分析の目的からのみ区別されるに過ぎない。したがって、われわれの用語のうえでは、個人のうちから協働システムに働きかけている明確な社会的要因は存在せず、むしろ社会的要因は、協働システムならびに他の社会的関係から個人に対して働き掛けるものなのである。

社会的要因とは、協働システムから個人に対して作用するものとしてあるということである。

社会的要因

協働における社会的要因としてバーナードが挙げるのは次のものである。

では順にバーナードの論をざっとみていく。

個人間の相互行為

個人間の相互行為は「避けようとしても避けることのできないものである。したがって求めたのではないけれども、このような相互作用は協働の結果であり、協働の中に含まれる一組の社会的要因を構成する」。この要因は人々の精神的、感情的な面に影響を与える。協働を促進する場合は「調和」をもたらし、阻害するような場合は「不調和」をもたらす。

個人と集団

相互作用は、個人と集団の間にも存在する。この場合、集団とは、他の人々の集まり(結合、総和)という点と、一つの作用主体という点の二つの意味をもつ。後者の意味では「集団は社会的行為の一つのシステムを意味し、全体としてその内部の各人と相互に作用しあうのである(the group presents a system of social action which as a whole interacts with each individual within its scope)。

集団は、個人の心理的性格、したがって個人の動機に、普通ならば生じないような変化をも生じさせるものであり、協働システムでは不可避的なものである。

協働の対象としての個人

上記の二つの関係は意識されないものであり、非論理的なものであるのに対して、協働システムが個人に対して意識的な、意図された関係をもつことがある。二つの側面がある。

  1. 個人を協働システム内にもたらすために特殊な行為を行う→中心点としての個人の意思に訴えるもの、誘因、強制の問題

  2. そのシステム内の個人の行為を統制する→システム内の、その一機能としての個人の行為に関係

協働の目的と有効性

まずいきなり?「協働の公式的なシステムは目標、目的を必要とする。このような目標はそれ自体、協働の産物であり、協働システムが行為を加えるべき諸要因の協働的識別をあらわしている(A formal system of coöperation requires an objective, a purpose, an aim. Such an objective is itself a product of coöperation and expresses a coöperative discrimination of factors upon which action is to be taken by the coöperative system.)」と述べるわけで、「公式システム」が定義なしに登場するのだが、ようは、「協働的努力の目的と個人の目的とを完全に区別することが重要」という話になる。

協働システムの目的が達せられた場合には、その協働は有効的であったというし、達せられていなければ有効的でなかったということになる。ここで注意するべきなのは、有効的かどうかは、協働システムの観点から決定されるべきことであって、個人的観点は関係ないということである。つまり、協働の個々人の行為が有効的であるということと、協働が有効的であることは、別の次元の話である。

このように、バーナードの有効性は、どの観点(レベル)で評価/観察しているのかに注意しなければならない概念である。

協働の能率

能率の場合は、有効性とは違って、協働の能率は個人の能率の合成物になる。あくまでも各個人の動機がどれだけ満たされたかがもんだいになるわけで、動機の充足度の総和が協働の動機の充足度、つまり能率になる。

ここでバーナードは限界効用の考え方にも似た、限界的貢献なるものを語り始める。

ある人が、協働システムに貢献するにあたってその行為が非能率的であると(あるいは非能率であるかもしれないと)判断すれば、その行為をやめる(もしくは差し控える)。もし彼の貢献がシステムにとって不可欠なものである場合には、彼の非能率はこのシステムの非能率となる。なぜならば、システムは存続しえないし、したがってすべての人に対して非能率なるにちがいないからである。それゆえある協働的努力のシステムの能率は、限界的貢献の能率に依存し、限界的貢献者によって決定される。これは協働システムの能率の唯一の尺度がシステムの存続能力であることを意味する。

能率に関係して、協働システムに貢献することと、求めざる結果の関連について、述べる。「協働の能率はしばしば、具体的目的を達成する過程に付随する満足や不満足に依存する」。

そして、最後に、協働のもっとも一般的な結果は、社会的条件づけであると述べられる。人々の動機は協働によってたえず修正されている。そして、同時に、そのことによって、協働自体も変化を受けることになる。

第5章 協働行為の諸原則(Principles of Coöperative Action)

諸要因の統合

まず最初に、協働システムとは諸要因がすべて存在するものであることに注意を促す:

物的、生物的、人格的、および社会的な諸要素や諸要因が、ひとつでも欠けているような協働システムは存在しない(There are no coöperative systems in which physical, biological, personal, and social elements or factors are not all present.)。

この章では、まず協働が諸要素の統合であることについて詳しく述べられる:

いずれか一要因について具体的に働きかける必要があるために、普通の考えでは、すべての協働行為が、物的、生物的、社会的というさまざまな要因の統合物であり、全体状況―そこにこれら諸要因がすべて存在している―に影響を与えるという事実を、とかく見落としがちになる

Often the necessity of operating concretely with regard to one factor or another conceals from us in ordinary thinking the fact that all coöperative action is a synthesis of diverse factors, physical, biological, and social, and affects a total situation in which these factors are all present.

この後、これを例証していく議論が続く。われわれの行為が、いかに様々な要因が関係した情況で行われているか、そして、そのような複雑な情況を変えようとすると、「全体を変えることは、一時に一つの要因に働きかけることによってしかできない」ことが確認される。

協働行為が全体状況で行われるものであること、そうした情況への働きかけとしては、ある一つの要因に働きかけていくしかないこと、こうした上記の議論を受けて、バーナードは、以下の4つの展開する。

  1. 物的、生物的、社会的要因によって「課せられる」協働への結合的制約の本質
    (the nature of the joint limitations on coöperation "imposed" by physical, biological, and social factors)

  2. 目的行動においてこれらの制約を克服するプロセス
    (the processes of overcoming those limitations in purposive conduct)

  3. それらが協働的努力の有効性に及ぼす影響
    (their bearing on effectiveness of coöperative effort)

  4. それらが協働的努力の能率に及ぼす影響
    (their bearing on the efficiency of coöperative effort)

制約

単純な情況では、協働の制約は、ある一つの要因によってもたらされる(独立して)と考えても良いが、通常は、「制約は全体情況すなわち諸要因の結合から生ずるという方が正しい」。たとえば、スピーチの声が聞こえないという場合でも、事態を引き起こしているのは、声が小さい、場がうるさい等、色々な要因の複合である。

制約の克服と目的

上記のように、制約というものは基本的には諸要因の合成効果であるが、目的達成のために行為をなそうとする場合には、一つの要因によるものとみなしてもよい場合がある(あるものを働きかけるべき主要な要因とみなす)。このような要因のことをバーナードは「戦略的要因(strategic factor)」と呼ぶ。

情況は複合的である以上、戦略的要因とされた一つの要因が情況の変化(修正)を直接引き起こすのではないが、戦略的要因の変化によって他の要因も変化が生じ、結果的に状況の変化を引き起こしうるというわけである。情況の複合的全体性と、行為の具体的個別性の対比は、バーナードの行為論の中心的な考えであると言ってもよいだろう:

(情況の)修正は全体情況の変化による。つねに諸関係や諸条件をきめるものは、意識されると否にかかわらず、すべてに要因の総体であるが、努力の目的は、一部分を変えることによって好ましい方向に全体情況を変えることである。

the correction is due to the change in the total situation. At all times it is total of all factors recognized or unrecognized, that determines the relationships or the conditions; the object of effort is to change a total situation favorably by change in a part.

情況の複雑性そして協働の変化によって、目的の変更が必要になってくることをバーナードは言う。そして、協働の目的というものについて、以下のように述べる:

(物的、生物的、社会的)これらすべての要因で構成されている全体情況を変えるための手段として、つねに特定の要因に働きかけるのであるが、この働きかけの究極の目標は個人的動機の満足である。しかしその直接的結果は、(1)これらの動機の直接的満足か、(2)協働のよりいっそうの促進か、のいずれかある。

前にも述べられていたことであるが、まず協働行為における目的の二重性が確認される。協働的な目的と個人的な目的の二重性を帯びる。さらに、協働的なレベルでの目的は、動機の直接的達成をめざすものと、迂回的行為をなすものの2種類に分かれることが確認される。

協働システムの行為においては、この直接的行為の目的と迂回的行為の目的は入り交じっているが、分析的にはわけた方がよいとする。そして、後者の協働システムを促進するという目的をめざす行為について、各要因への働きかけについて検討がなされる。

  1. 物的要因への働きかけ
    協働の可能性の増大のための物的要因への働きかけとしては、自然環境の意図的変化、つまり建設や、機械の発明などが挙げられる。

  2. 生物的要因への働きかけ
    教育訓練、機会の専門化(熟練、技能の蓄積)。あるいは公衆衛生、医療、社会復帰事業など

  3. 社会的要因
    上記の二つの要因に関しては「外的働きかけによる協働促進プロセス(the processes of facilitating coöperation by external development)」であるが、社会的要因に対するものは、「内的な、人間関係を効果的にする直接の工夫(process is in a sense internal and involves the direct invention of effective methods of human relationships)を含む」。このプロセスについては、「科学的管理」とよばれたものや会計のようなものを除いてあまり科学的研究がなされていない

最後の社会的要因については、はっきりとは言っていないが、管理職能のはたすべき重要な目的ということになるだろう。

協働の有効性

協働の有効性は、協働行為の確認された目的を達成すること(the accomplishment of the recognized objectives of coöperative action)であり、達成の程度が有効性の度合いを示す。この協働の有効性について、バーナードは次のように述べる:

協働の目的は非人格的なもの(non-personal)であり、全体としての協働システムの目標であることは明らかである。したがって、いかなる場合にも有効性のいかんは、また全体としての協働システムによってなんらかの方法で決定されるべきものである。この決定の基礎は、おこなわれた行為およびそれによって得られた客観的結果が、個人的動機を満たすに必要な諸力や物を協働システムのために十分に確保したかどうかであろう。

ここで、バーナードは、単に協働の目的の達成の度合いだけでなく、関与者の個人的動機を満たすことの必要性も挙げている点に注意が必要である。動機を満たしたかどうかは能率の問題であるが、能率を確保するだけの成果を生み出したかどうかは有効性の問題になるわけである。また、協働の究極の目的が個人的動機の満足であるならば、目的の達成よりも満足(能率)が重要ということになるが、協働の維持という点で目的の達成が重要であることを言う:

……、調整された行為の継続には、ある目的の達成とか、それが達成されそうだという信念とかが必要であろう。かように所与の目的の達成はそれ自体としては必ずしも必要ではないが、協働を活動的にしておくためには必要である。この観点からみれば、有効性とは許容されうる最小限の有効性である。したがって、できもしないことをしようとすれば、必ず協働の破壊あるいは失敗におわることがわかるだろう。

目的は達成できる/達成できそうだからこそ協働を生み出すわけで、その「達成できそう」という最低限の部分の確保(このままやればなんとかできそうだという感触?)を確保することが重要だというわけである。

これに続けて、個人的行為の有効性と協働の有効性について述べている。基本的には、大きな石を皆で押すような場合、「各人の努力は協働の構成要素としての行為であり、独立した非協働的なものという側面はないので、その有効性は全体行為の関数である(the effort of each individual is a constituent action; it has not independent non-coöperative existence; its effectiveness is a function of the total action.)」。もし個人の有効性を評価するのであるならば、他の人々の行為が不変であるという仮定において、「微分的な意味(in a differential sense)」でしか言えない。ただし、課題として割り当てられた個人的目的があった場合には、それに対しては有効的であったかどうかという評価は可能である。

協働の能率

有効性の場合は協働システム全体という観点からの評価になるのに対して、「協働システムの能率は、システムを構成する努力を提供する各個人の能率の合成であり、したがって各個人の観点からみられたものである(The efficiency of a coöperative system is the resultant of the efficiencies of the individuals furnishing the constituent efforts, that is, as viewed by them.)」。各個人は、協働が自分にとって能率的でなければ協働を止めるだろう。その意味で、「協働システムの能率とは、それが提供する個人的満足によって自己を維持する能力である」と言える。つまり、個人の負担と個人の満足の均衡の問題ということになるとして、この均衡がいかに達成されるかについて論を進める。

能率ないし均衡は、個人の動機を変える(もしくは適切な動機をもつ人と交代させる)−すなわち社会的要因に働きかける−か、個人に生産成果を分配するか、のいずれかの方法によって得られる。この生産成果は、物質的なものの場合もあるし、社会的なものの場合もあり、また双方の場合もある。……。
協働的努力がうけねばならない制約は、能率的なシステムの場合でさえも、物質的利益と社会的利益の提供が限られているということである。……。したがって能率は、一部は協働システムにおける分配プロセスに依存している。

ここでバーナードは面白いことを言っている。つまり、個人にとって、負担と利益が均衡するだけであれば、満足は生み出さない。何らかの「剰余」があって、はじめて交換は満足を生み出す。「個人にとって、能率とは満足のいく交換である。かくして協働のプロセスには、満足のいく交換のプロセスも含まれる」。もちろん、ここでいう剰余は物質的な量の問題だけではない。たとえば協働に参与することが変化をもたらすこと等も含まれる。

このように、能率の確保のためには、各人に満足を与えられるようなものの生産の問題と、その分配(と動機への働きかけ)が重要だということになる。そして満足の分配そのものが、全体情況に働きかけることなのである:

協働システムはつねに動的なものであり、物的、生物的、社会的な環境全体に対する継続的な再調整のプロセスである(A coöperative system is incessantly dynamic, a process of continual readjustment to physical, biological, and social environment as a whole.)。その目的は個人の満足であり、その能率は、結果として環境全体の歴史を変えることを必要とする。協働システムは、その環境の物的、生物的、社会的な構成要因(components)の変化によって、このことを行うのである。

以上で5章の論述は終わり、この後、第1部の要約がなされている。

第1部の要約

バーナード自身による本質的なものの要約なので、彼の言葉をそのまま引いておく。

1:人間、選択、目的、戦略的要因

個々の人間は限られた選択力をもっている。同時に彼は全体情況の諸要因の合成物であるとともに、それらの要因によって強く制約される。彼は動機をもち、目的を立てて、それらをなし遂げようとする。その場合の方法は、全体情況のなかで特定の一要因もしくは一組の要因を選び、これらの要因に働きかけることによって情況を変えることである。これらの要因は、目的の観点からは制約的要因であり、したがって戦略的な攻撃目標である。

The individual human being possesses a limited power of choice. At the same time he is a resultant of, and is narrowly limited by, the factors of the total situation. He has motives, arrives at purposes, and wills to accomplish them. His method is to select a particular factor or set of factors in the total situation and to change the situation by operations on these factors. There are, from the viewpoint of purpose, the limiting factors; and are the strategic points of attack.

2:制約の克服、協働

各人の情況における最も重要な制約的要因のなかには、その人自身がもつ生物的な制約がある。これらの制約を克服する最も有効な方法はつねに協働という方法であり、そのためには集団的、つまり非個人的な目的を採用することが必要である。この目的に関連する情況は無数の要因からなり、それらは制約的なものと非制約的なものとに識別されなければならない。

Among the most important limiting factors in the situation of each individual are his own biological limitations. The most effective method of overcoming these limitation has been that of coöperation. This requires the adoption of a group, or non-personal purpose. The situation with reference to such a purpose is composed of innumerable factors, which must be discriminated as limiting or non-limiting factors.

3:協働における社会的要因の発生と制約への転化

協働は全体情況の社会的側面であり、また社会的要因が協働から生ずる。この要因はやがてどんな情況においても制約的要因となる。このことは、つぎの二つの考察から明らかである。(a)相互作用のプロセスは、ちょうど物的操作が発見されたり工夫されねばならないと同様に、発見され工夫されねばならない。(b)相互作用は協働参加者の動機や関心を変化させるものである。

Coöperation is a social aspect of the total situation and social factors arise from it. These factors may be in turn the limiting factors of any situation. This arises from two considerations: (a) the processes of interaction must be discovered or invented, just as a physical operation must be discovered or invented; (b) the interaction changes the motives and interest of those participating in the coöperation.

4:有効性と能率

協働の永続性は、協働の (a)有効性と (b)能率、という二つの条件に依存する。有効性は社会的、非人格的な性格の協働目的の達成に関連する。能率は個人的動機の満足に関連し、本質的にパーソナルなものである。有効性のテストは共通目的の達成であり、したがってそれは測定される。能率のテストは協働するに足る個人的意思を引き出すことである。

The persistence of coöperation depends upon two conditions: (a) its effectiveness; and (b) its efficiency. Effectiveness relates to the accomplishment of the coöperative purpose, which is social and non-personal in character. Efficiency relates to the satisfaction of individual motives, and is personal in character. The test of effectiveness is the accomplishment of a common purpose or purposes; effectiveness can be measured. The test of efficiency is the eliciting of sufficient individual wills to coöperate.

5:協働の存続

それゆえ協働の存続は、つぎのような相互に関連し依存する二種のプロセスにかかっている。(a)環境との関連における協働のシステム全体に関するプロセス、(b)個人間に満足を創造したり分配したりすることに関するプロセス。

The survival of coöperation, therefore, depends upon two interrelated and interdependent classes of processes: (a) those which relate to the system of coöperation as a whole in relation to the environment; and (b) those which relate to the creation or distribution of satisfactions among individuals.

6:管理者の職能

協働の不安定や失敗は、これらのプロセスの欠陥から別々に生ずるとともに、各プロセスの組み合わせの欠陥からも生ずる。管理者の諸職能は、これらのプロセスの有効な適応を確保するという職能である。

The instability and failures of coöperation arise from defects in each of these classes of processes separately, and from defects in their combination. The functions of the executive are those of securing the effective adaptation of these processes.

第2部 公式組織の理論と構造(The Theory and Structure of Formal Organizations)

第6章 公式組織の定義(The Definition of Formal Organization)

まず協働システムと組織との関係について、次のように言う:

協働システムとは、少なくとも一つの明確な目的のために二人以上の人々が協働することによって、特殊のシステム的な関係にある物的、生物的、個人的、社会的構成要素の複合体である。……。協働システムのなかの一つのシステムであり、「二人以上の人々の協働」という言葉のうちに含まれているシステムを「組織」と呼び、その意味をこの章で明らかにしてみよう

A coöperative system is a complex of physical, biological, personal, and social components which are in a specific systematic relationship by reason of the coöperation of two or more persons for at least one definite end. ... One of the systems comprised within a coöperative system, the one which is implicit in the phrase "coöperation of two or more persons," is called an "organization," and will be defined in this chapter.

ここから明らかなように、バーナードは協働を行っている様々な要素を含んだものを協働システムとし、その中の協働そのものを組織として押さえている。これを踏まえて、以下、まず組織の本質とは何かを精緻化していく。

第1節 定義の展開(Development of the definition)

協働システムは様々なものがあるが、多くの協働システムに共通してみられるものを、組織として取りだすとする。

協働システム一般に斉一性があるならば、それらすべてに共通な特定の側面、または部分のなかにも斉一性がみられることは明らかである。したがって協働システムを有効に研究するためには、これらの側面を他のものからひきはなして、その性格を明らかにすることが必要となる。この共通な側面を「組織」と呼ぼう。

It is evident that if there are uniformities with respect to them (coöperative systems) generally they will be found in particular aspect or sections of them that are common to all. Effective study of them will therefore require the isolation of definition of these aspects. We shall name one common aspect "organization."

協働システムの多様性をもたらすものは、物的環境、社会的環境、個人、その他の諸要因の差異である。バーナードはこれらの要因を検討して、すべて、組織からは除外する。ここで注目するべきなのは、個人(人間)を除外するという点である。人間の集まりは集団(group)という概念で押さえることができるわけだが、この概念は曖昧な部分が多すぎるとバーナードは言う。そして、以下のように集団の概念でとらえるべき本質は相互作用だとする:

社会的概念としての集団が通用するのは、集団内の人々相互間の重要な関係が個人のシステム的な相互作用の関係とみなされるという事実のためである。おのおのの協働的集団において、人々の協働行為は調整される。……。だから協働システムとの関連から、すなわち社会的な意味で集団という言葉が用いられる場合に、「集団」概念の基礎となると思われるのは、事実上は相互作用のシステムなのである。

また、たとえばメンバーという人であっても、一日の行為の多くは所属集団とは関係ない行為である。また、人の交代もある。あるいはメンバーでなくても協働に関係する人々の行為も少なくない。そうしたことから、バーナードはメンバーとしての人そのものは組織には含まれないとするのである。

組織の定義のなかに人を含めることは、物的環境を含める場合と同様に、ここでもまた特定の場合には非常に有効であるかもしれないが、一般的目的からは限られた意義しかもたないこととなる。

そして、人間をその構成要素から外した組織の概念を定義するならば、以下のようになるだろうとする:

……、組織とは意識的に調整された人間の活動や諸力のシステムと定義される。この定義によれば、具体的協働システムにみられる物的環境や社会的環境にもとづく多様性、および人間そのもの、あるいは人間がこのようなシステムに貢献する基礎に由来する多様性のすべてが、組織にとって外的な事実や要因の地位に追放され、かくして抽出された組織は、あらゆる協働システムに共通する協働システムの一側面であることが明白となる。

..., An organization is defined as a system of consciously coördinated personal activities or forces. It is apparent that all the variations found in concrete coöperative systems that are due to physical and social environments, and those that are due to persons or to the bases upon which persons contribute to such systems, are by this definition relegated to the position of external facts and factors, and that the organization as then isolated is an aspect of coöperative systems which is common to all of them.

このような組織の定義は、協働システムのかなり限定された一側面を捉えたものであるので、具体的状況関する議論での有効性は限られるかもしれないが、しかし、この定義によって分析を行うことで、協働システムの一般原則に到達できるとする。そして、この『経営者の役割』における中心仮説であるとして、以下のように組織の定義を述べるのである。

協働システムの経験を分析するために最も有効な概念が、公式組織を二人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力のシステムと定義することのうちに具現しているということこそ、本書の中心的仮説である。

It is the central hypothesis of this book that the most useful concept for the analysis of experience of coöperative systems is embodied in the definition of a formal organization as a system of consciously coördinated activities or forces of two or more persons.

ここで「組織の定義」=「公式組織の定義」になっている。「公式」の意味については、何の説明や導入も、この時点ではない。バーナードにとっては、組織とは公式組織なのである。

さて、このように組織を定義することが有効である理由として以下の2点を挙げる:

  1. この定義の組織は、変数が少なく、有効に研究できるから、広範な具体的状況に妥当する概念である
  2. この概念的枠組みと他のシステムとの間の関係が有効かつ有用に定式化されるから

ただし、先の定義の文章の中でも「中心的仮説」と述べていたように、あくまでも分析ツールとして役に立つかどうかが重要な点となる。この点について、以下のようにバーナードは述べる:

組織に関するかかる概念的枠組みを最終的にテストするものは、それを用いることによって、人々の間に、協働を有効的、意識的に促進したり操作できるかどうか、すなわちこの分野における有能な人々の予測能力を実際に増大できるかどうかにある。このような組織の概念は、指導者や管理者の行動のうちに内在し、さまざまな協働的事業における彼らの行動にみられる斉一性を説明するものであり、またそれを明確に定式化して展開すれば、さまざまな分野の経験を共通な言葉に翻訳し、活用することができるようになるということこそ、本書が展開しようとする前提なのである。

バーナードが自らの組織概念をどのような概念であると考えていたのかということについては、後で取り上げる「組織の概念」という論文(『組織と管理』に収められている)で詳しく語っている。

第2節 抽象的システムとしての公式組織の諸側面(Aspects of Formal Organization as Abstract Systems)

組織の定義に続いて、組織に関連する諸問題を取り上げていく。

●組織を象徴したり、擬人化する際の用語

バーナードの定義する組織は「関係によって特徴的づけられるような無形のもの」であるので、実用的に取り扱う場合には、具体的なもので象徴するか、擬人化する必要がある。通常、組織に関係する人々によって組織というシステムを象徴するということが行われている。そこで、バーナードは次のように述べる:

したがって一応組織を二人以上の人々の協働的活動のシステム−触知しえない非人格的なものであり、主として関係の問題である−と定義するのではあるが、意味の混同が生じない場合には、表現の便宜上、しばしば組織を人間の集団と考える通常の慣例に従い、かかる人々をその「メンバー」と呼ぶことにしよう。しかしこの書物では通常、理解をいっそうはっきりさせ、一貫した概念的枠組を保つために、「メンバー」を「貢献者」という語に置きかえ、組織を構成する活動を「貢献」に置きかえるが、まだ熟さない語法であるかもしれない。

Hence, although I define an organization as a system of coöperative activities of two or more persons - something intangible and impersonal, largely a matter of relationship - nevertheless sometimes for convenience of phraseology, where no confusion of meaning is likely, I shall follow the customary practice of referring to organizations as groups of persons and shall speak of such persons as "members." Usually, however, in this book, in the interest of clearer understanding and of a consistent conceptual scheme, I shall use the more awkward plan of substituting "contributors" for "members," and "contributions" for the activities constituting organization;

ここでバーナードは、組織に関与する人々を捉える概念として、メンバーではなく、貢献者という概念(および貢献という概念)を導入する。この貢献者は、組織という協働のシステムに関わる活動の提供者であり、その点で、メンバーよりも広い範囲の人々を含む概念である。同様に、「「貢献」は「メンバーであること」や「メンバーとしての活動」よりも、より広義の用語であることが注意されねばならない」。

メンバーではなく貢献者という概念を立てたことで、バーナードの組織論は、社会的な諸活動のなかで存立するシステムとしての組織(この後で論じられるように諸システムの階層性の中にある組織というシステムという見方)を捉えることが可能になったと言うことができる。しかしながら、メンバーという概念を、狭い、限定的で、慣習的な概念として退けたことによって、組織の編成・管理におけるメンバーシップの機能や意義といった問題はバーナードの組織論からは消えることになる。この点で、組織は諸活動のシステムでありながら、それを編成し維持していくには、メンバーという人間の囲い込み(メディウムとしての再領土化)が鍵になるというのがルーマンの公式組織論とは大きくたもとを分かつ。

●「組織」に類似する概念

前述のような組織の定義によれば、組織は物理学で用いられるような「重力の場」または「電磁場」に類似した一つの「概念的な構成体(construct)」である。この定義をとれば、関連するあらゆる現象が有効に説明されるし、また現在の知識や経験がこの考えと一致するというのが、われわれのとる仮説である。

この部分については、バーナードは、具体的な人間(パーソン)や行動の産物と組織とを混同しないようにと注をつけている。少し長いが、引いておく。

人間(パーソン)は、組織という場を占有する組織力の客観的源泉である。その力は、人間にのみ存在するエネルギーから由来する。この力は、一定の条件が場のなかで生ずる場合にのみ組織力となり、言語、動作のような一定の現象によってのみ立証され、かかる行為にもとづく具体的結果によって推論される。しかし人間にせよ、またその客観的結果にせよ、それ自体が組織ではない。もしそれらが組織として扱われたら、組織という現象を説明するに際して矛盾と不適切を生ずる。

Persons are the objective sources of the organization forces which occupy the organization field. These forces derive from energies that are found only in persons. They become organization forces only when certain conditions obtain within the field, and are evidenced only by certain phenomena such as words and other action, or are inferred by concrete results imputed to such action. But neither the persons nor the objective results are themselves the organization. If they are treated as if they were, inconsistencies and inadequacies of explanation of phenomena ensue.

●諸活動の非人格的性格

組織を構成する行為について考察が行われる。組織を構成する行為自体は物的なものではないが、組織には法人格が与えられたり、あるいは活動の記録が重要だったりするために物的な次元で組織をとらえがちになるが、「物体はつねに環境や協働システムの一部ではあっても、けっして組織の一部ではない」ことが確認される。

続いて、まず組織を構成する行為が、メンバーや従業員の行為にとどまらないことが述べられる。

組織力の証拠である行為には、あらゆる貢献の行為やエネルギーの収受が含まれるから、商品を購入する顧客、原材料の提供者、資本を提供する投資家もまた貢献者となる。

経営学的に言うなら、貢献者≒ステークホルダーということになるだろうか。このように貢献者が広い範囲の関与者を捉える概念であり、そのような貢献者の貢献が組織を成り立たせるという枠組みになっていることが、社会的責任など(お望みなら生態系まで含めて環境問題も)を論じる際には有効になるということはできる。

このように広範な人々の行為が組織を成り立たせるわけであるが、その行為は非人格的なものであることが確認される:

……、われわれが「組織」と名付けるシステムは、人間の活動で構成される一つのシステムである。これらの活動を一つのシステムたらしめるものは、さまざまな人間の努力がここで調整されるということである。この理由から、これらの活動の重要な諸側面は人格的なものではない。その様態、程度、時間はいずれも、システムによって決められる。……。したがって、われわれが調整された人間努力のシステムを取り扱うという場合には、たとえ人間が行為の担い手ではあっても、協働システムの研究にとって重要な側面では、その行為は人格的なものではないことを意味する。その性格はそのシステムの要求によって、あるいはそのシステムにとってもっとも重要なものによって、決められるのである。

The system to which we give the name "organization" is a system composed of the activities of human beings. What makes these activities a system is that the efforts of different persons are here coördinated. For this reason their significant aspects are not personal. They are determined by the system either as to manner, or degree, or time. ... Hence, when we say that we are concerned with a system coördinated human efforts, we mean that although persons are agents of the action, the action is not personal in the aspect important for the study of coöperative systems. Its character is determined by the requirements of the system, or of whatever dominates the system.

(強調は田中)

諸行為が、組織を構成する行為としての貢献というものになるのは、あくまでも組織というシステムが、自らの要素として行為の様態を規定するからである。つまり、組織というシステムは、自らの要素である貢献を自ら規定する=生産するものである。貢献が貢献足りうるのは、行為者個人の意図や意思の反映ではないという点で、貢献という行為は非人格的なものなわけである。このあたりは、作動における閉鎖性というオートポイエーシスなどの議論にも繋げられる論になっている。

●システムとは、諸システムの階層性

ここでバーナードのシステム観(システム論)が展開される。

われわれの目的からすれば、システムとは、各部分がそこに含まれる他の部分とある重要な方法で関連をもつがゆえに全体として扱われるべきあるものである、ということができよう。何が重要かということは、特定の目的のために、あるいは特定の観点から、規定された秩序によって決定される。したがって、ある部分と、他の一つあるいはすべての部分との関係にある変化が起こる場合には、そのシステムにも変化が起こり、一つの新しいシステムとなるか、または同じシステムの新しい状態となる。

For our purposes we may say that a system is something which must be treated as a whole because each part is related to every other part included in it in a significant way. What is significant is determined by order as defined for a particular purpose, or from a particular point of view, such that if there is a change in the relationship of one part to any or all of the others, there is a change in the system. It then either becomes a new system or a new state of the system.

(強調は田中)

部分間の特別な関係によって全体になっているもの、というスタティックなシステム観にはなっている。個と全体という視点が入り込んでいることにも注意が必要だろう。

続けて、システムというものは、通常、階層性をなしているという点に議論は進む。たとえば、システムは、部分の数が増えてくると、部分システムを形成する。あるいは地球は太陽系、さらには宇宙の下位システムである。このように考えると、現実のシステムというものは、諸システムが階層をなしているなかに存在し、関心の限定によって一つのシステムとして取り出されているわけである。組織も同様であるとバーナードは述べる:

まず第一に各組織は、われわれがこれまで「協働システム」と呼んできたより大きなシステムの一構成要素であり、物的システム、社会的システム、生物的システム、および人間などは、協働システムの他の構成要素である。さらにまた、たいていの公式組織は、より大きな組織システムのなかに含まれる部分システムである。最も包括的な公式組織は、通常「社会」と名付けられる非公式な、不確実な、漠然たる、方向の定まっていないシステムの中に包含されている(The most comprehensive formal organizations are included in an informal, indefinite, nebulous, and undirected system usually named a "society.")。

社会という非公式なシステムの中に、包括的な公式組織が存在し、その中の下位システムとして、各公式組織が存在し…… という階層的なシステムで社会をとらえているわけである。

●システム、特に組織の創発的属性(Emergent properties of systems, especially organization)

システムの部分と全体という問題が論じられる。問題は「全体は部分の合計以上のものであるか、システムはその構成要素のたんなる集合と考えられるべきものか」といった、組織は部分の総和を超えた創発性をもちうるか、ということである。当然のごとく?、バーナードは新しいものが創発するという:

本書を貫く見解は、たとえば5人の努力が一つのシステム、すなわち組織に調整される場合には、5人の努力の合計にあらわれるものとは、質および量において大きいか、小さいか、または異なる、何かまったく新しいものが作り出されるということである(there is created something new in the world)。

貢献という要素はシステムである組織が規定するものである、という先のバーナードの論から言えば、そもそも組織の要素になっていない行為の「合計」と、貢献のシステムを比較すること自体が「間違った問」ではないかとも言えるのだが、全体=システムと個=貢献=行為という枠組みが設定されていることによって、そのあたりが見えないのだとも言える。

このように全体の創発性とくれば、お約束の「生命」が出てくるわけである。

本書では、われわれが組織と呼ぶ協働のシステムを社会的創造物、すなわち「生き物」とみなすのであり、それはちょうど、個々の人間はこれを分析すれば部分システムの複合体であるが、これを構成する部分システムの合計−まことに「合計」という言葉がこの関連で何らかの意味をもつとすれば−とは異なるものとみなすのと同様である。

In this book, systems of coöperation which we call organizations I regard as social creatures, "alive," just as I regard an individual human being, who himself on analysis is a complex of partial systems, as different from the sum of these constituent systems - if, indeed, the word "sum" has any meaning in this connection.

●組織の広がりの特性(Dimensional characteristics of organization)

組織の空間的な広がりに関しては「組織は空間的には全く漠然としたものであるという印象を多くの管理者はもっているであろう」と、空間的な広がりとしては明確に捉えきれないものであることが確認される。

一方、時間的広がりについては、「時間的関係および継続性は組織の基本的側面である」点が確認される。「人間の行動はこれらのシステムの構成要素であるが、その人間はたえず変わるが、組織は存続する」。組織とは時間的な継続性をもつものである。ただし、時間的な連続性の点では、活動が一切行われない休止期間もありうるものであることが述べられる。

第7章 公式組織の理論(The Theory of Formal Organization)

この章の冒頭部分で「組織の3要素」が定義される:

組織は、(1)相互に意思を伝達できる人々がおり、(2)それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって、(3)共通目的の達成をめざすときに、成立する。したがって、組織の要素は、(1)コミュニケーション、(2)貢献意欲、(3)共通目的である。これらの要素は組織成立にあたって必要にして十分な条件であり、かようなすべての組織にみられるものである。

An organization comes into being when (1) there are persons able to communicate with each other (2) who are willing to contribute action (3) to accomplish a common purpose. The elements of an organization are therefore (1) communication; (2) willingness to serve; and (3) common purpose. These elements are necessary and sufficient conditions initially, and they are found in all such organizations.

単に日本語の語感の問題ではあるが、田中は、この「要素」という言葉に違和感を感じている。組織の構成要素(component)と混同されやすいからである。ここでいう要素(Element)は、言うなれば組織が成立し存立し続ける(いったん組織が成立した後であっても必要なものである)ための条件である。それゆえ、田中は自分の講義では「組織の存立条件」という言葉を使っている。

組織の成立の条件に続けて、存続の条件がまとめられる。

組織が存続するためには、有効性または能率のいずれかが必要であり、組織の寿命が長くなればなるほど双方がいっそう必要となる。組織の生命力は、協働システムに諸力を貢献しようとする個人の意欲のいかんにかかっており、この意欲には、目的が遂行できるという信念が必要である。実際に目的が達成されそうにもないと思われれば、この信念は消えてしまう。したがって有効性がなくなると、貢献意欲は消滅する。意欲の継続性はまた目的を遂行する過程において各貢献者が得る満足に依存する。

そして、組織の成立と存続について均衡の観点から要約される。長くなるが、ある意味でバーナードの組織管理のエッセンスが詰まっている部分なので引用しておく:

要するに、組織がまず成立するのは、前述の3要素をその時の外部事情に適するように結合することができるかどうかにかかっている。組織の存続は、そのシステムの均衡を維持しうるか否かに依存する。この均衡は第1次的には内的なものであり、各要素間の釣合いの問題であるが、究極的基本的には、このシステムとそれに外的な全体情況との均衡の問題である。この外的均衡はそのうちに二つの条件を含む。すなわち第一の条件は組織の有効性であり、それは環境状況に対して組織目的が適切か否かの問題である。第二は組織の能率であり、それは組織と個人との間の相互交換の問題である。このように前述の諸要素は、それぞれ外的要因とともに変化し、また同時に相互依存的である。したがってこれらの諸要素によって構成されるシステムが均衡を維持する、すなわち存続し、生存するためには、一つのものが変わればそれを償う変化が他のものにも起こらなければならない(Thus the elements stated will each vary with external factors, and they are at the same time interdependent; when one is varied compensating variations must occur in the other if the system of which they are components is to remain in equilibrium, that is, is to persist or survive.)。

細かいことを言うようだが、この文中では、バーナードは先ほどの要素を「組織(システム)を構成するもの(components)」と言っているのだが、それはやはりおかしいと田中は考える。

以下、この章では、組織の3要素のそれぞれと有効性と能率についての論究が展開される。

協働意欲(Willingness to coöperate)

まず、意欲が組織に不可欠なものであることが確認される。

定義上、人間をはなれて組織はありえない。しかし、組織を構成するものとして扱うべきは人間ではなくて、人々の用役、行為、行動、または影響力であるということを強く主張してきたから、協働システムに対して努力を貢献しようとする人々の意欲が不可欠なものであることは明らかである。

さらに貢献意欲というものの特質を以下のように述べる。

ここでいう意欲とは、克己、人格的行動の自由の放棄、人格的行為の非人格化を意味する。その結果は努力の凝集であり、結合である。その直接の原因は「結合」に必要な気持ちである。これなくしては、協働への貢献としての持続的な人格的努力はありえない。人格的行為を非人格的な行為システム−そこにおいて個人は、自己の行動の人格的統制を放棄する−に貢献しようという気持ちがまずなければ、活動は調整されうるものではない。

Willingness, in the present connection, means self-abnegation, the surrender of control of personal conduct, the de-personalization of personal action. Its effect is cohesion of effort, a sticking together. Its immediate cause is the disposition necessary to "sticking together." Without this there can be no sustained personal effort as a contribution to coöperation. Activities cannot be coördinated unless there is first the disposition to make a personal act a contribution to impersonal system of acts, one in which the individual gives up personal control of what he does.

この部分を読むと、協働における行為は、まったくの従属的な行為を強いられるかのように読める。確かに、行為を貢献として意味付け調整するのはシステムであり、貢献は非人格的なものであるが、その行為自体のコントロールを全く個人が行わないわけではないはずだ。自己裁量の余地は、どんな使役にあっても、かならず存在する。その点からすれば、田中は、自己の自由にならない(自己の意志でコントロールできるわけではない)意味付けをなされ調整された貢献は非人格的なものだが、行動は自己のコントロール下にあるはずで、貢献意欲は「自己の行動の人格的統制を放棄する」というのは極論であり、そのように捉えてしまうのは間違いではないかと考える。

さて、このように貢献意欲を確認した上で、バーナードは、協働への貢献ということに関して、「現代社会における多数の人々はつねにマイナスの側にいる。したがって貢献者となりうる人々のうちでも、実際はほんの少数の者だけが積極的意欲をもつにすぎない(強調はバーナード)」と述べる。それゆえに、「なんらかの公式的協働システムに対する潜在的貢献者の総意欲は不安定なものである」ので、組織の側から、何らかの誘因を提供することで貢献意欲を引き出す必要があることになる。

このように、個人の観点からすると、貢献意欲とは、個人的欲求と嫌悪との合成であり、組織の観点からすると、提供する客観的誘因と課する負担との合成である。しかしこの純結果の尺度は、まったく個人的、人格的、主観的なものである。したがって組織は、個人の動機と、それを満たす諸誘因に依存することとなる。

目的(Purpose)

まず、目的(目標)というものが組織には自明のものであるとする。

他人と交わりたいという漠然たる感情や欲望の場合は別として、協働意欲は協働の目標なしには発展しえない。このような目標のない場合には、いかなる特定の努力が個々人に必要なのか、また多くの場合に彼らがどんな満足を期待しうるかを、知ることも予想することもできない。このような目標をわれわれは組織の目的と呼ぶ。目的をもつことが必要なのは自明のことであり、「システム」「調整」「協働」という言葉のなかに含意されている。

このように、目標というものが必要不可欠なものだと言うわけだが、揚げ足取りのようだが、もし目的がなくても「いかなる特定の努力が個々人に必要なのか、また多くの場合に彼らがどんな満足を期待しうるかを」知ることや予想できればよいのではないか?と突っ込むことはできる。つまり、目的がなくとも調整が可能であればよいのではないか、ということである。調整のメカニズムは必要だが、それを目的に限定してしまうことは、組織概念を狭めてしまうように田中には思われる(もちろん、多くの組織において、目的が一番手っ取り早い調整の軸として作動することは言うまでもないが)。

目的というものは、ただ存在すればいいものではない。「目的が与えられても、目的が組織を構成する努力を提供している人々によって容認されるのでなければ、協働的活動を鼓舞することにはならない。したがって本来、目的の容認と協働意欲とは同時的なのである」。

ここでバーナードは協働目的は、協働する人々の観点からすると、協働的側面と主観的側面の二面があるとする。

●協働的側面

協働的行為として目的について考える/見る場合、組織の利益という立場をふまえて目的をみることになるので、そこで捉えられる目的とは、「とらわれぬ観察者の見方」によって見出される「客観的にみられる」目的というものに近いことになる。協働を行っている人は「組織全体にとっての意味」を考えるわけである。

しかしながら、協働を行っている者が協働の一環として目的を解釈したものと、客観的な目的というものは、かならずしも一致するわけではない。客観的目的と、各人によって協働的に見られた目的との間の相違が大きくなると、協働が分裂する場合もある。

そこで協働の参加者が、協働の対象としての目的の理解にはなはだしい差異があると認められない場合にのみ、目的は協働システムの一要素として役立ちうるといえよう。……。協働システムの基礎として役立ちうる客観的目的は、それが組織の決められた目的であると貢献者(もしくは潜在的貢献者)によって信じ込まれている目的である(An objective purpose that can serve as the basis for a coöperative system is one that is believed by the contributors (or potential contributors) to it to be the determined purpose of the organization.)。共通の目的が本当に存在しているという信念をうえつけることが基本的な管理職能である。

●主観的側面

ここでは、まず、組織人格と個人人格の二重性が述べられる。

組織のすべての参加者は、二重人格−組織人格と個人人格(an organization personality and an individual personality)−をもつものとみなされる。厳密に言うと組織の目的は、個人にとっては直接にはいかなる意味ももたない。彼にとって意味をもつのは、個人に対する組織の関係である−組織が彼に課する負担や与える利益いかんが問題なのである。協働的にみられた目的の側面に言及するとき、われわれは個人の組織人格をほのめかしている。多くの場合において、二つの人格は非常に明白に展開する(clearly developed)ので、両者はまったく明白なものとなる。

組織人格と個人人格の二重性は、組織目的と個人動機の区別の必要性に結びつく。

われわれは組織目的と個人動機を明らかに区別しなければならない。組織を考える場合、共通の目的と個人の動機が同一であるとか、同一であるべきだということがしばしば想定される。……、けっしてそうではない。現代の諸条件のもとではおそらくありそうにも思われない。個人的動機は必然的に内的、人格的、主観的なものである。共通の目的は、その個人的解釈が主観的なものであろうとも、必ず外的、非人格的、客観的なものである。

目的についての論述の最後に、組織は、確立後も目的を変更する場合があることが述べられる。

組織は自らを永続させる傾向があり、存続しようと努力してその存在理由を変えることもある。この点に管理職能の重要な側面があることを、のちにもっと明らかにしよう。

コミュニケーション(Communication)

まず組織を現実のシステムにするのはコミュニケーションであることが確認される。

共通目的の達成の可能性と人間の存在−その人々の欲求がかかる共通目的に貢献する動機となっている−とは、協働的努力システムの相対する両極である。これらの潜在的なものを動的ならしめるプロセスがコミュニケーションである。

続けてコミュニケーションの実際についての考察が行われるのだが、この中でバーナードは、「以心伝心(observational feeling)」の重要性を言う:

……、原始的な社会でも、高度に複雑な社会でも、ともに「以心伝心」は同じく重要なコミュニケーションの一側面であるが、まだ一般には認められていないように思う。言葉では表現できない場合や、言葉を使う人々の言語能力に差異があるためにそれらが必要である。特別な経験や訓練および個人的な交際の継続に際して非常に大きな要素となるのは、たんに情況とか条件のみでなく、その意向をも言葉を通じないで理解する能力である。

以心伝心と訳されている observational feeling というのは、バーナードの造語である。バーナードは、この用語によって、神秘的な能力のようなものを言おうとしているのではなく、コミュニケーションの進行の中で、関与している人々が言語を介さずとも感得しあうようなこと(共鳴のようなこと)を言おうとしている。最近よく使われる言い方なら「空気を読む」である。

コミュニケーションの考察は、以下のように、組織の理論の中心にコミュニケーションの問題があることが述べられて終わる。

組織の構造、広さ、範囲は、ほとんどまったくコミュニケーション技術によって決定されるから、組織の理論をつきつめていけば、コミュニケーションが中心的地位を占めることとなる。……。さらにまた組織内の多くの専門化は、本質的にはコミュニケーションの必要性のために生じ、またそのために維持されているのである。

協働の有効性(Effectiveness of Coöperation)

組織の存続にとって有効性が必要であることが確認される。

組織の継続は、その目的を遂行する能力に依存する。これはその行為の適切さと環境の条件の双方に依存する。換言すれば、有効性は主として技術的プロセスの問題である。

続けて、有効性の逆説に触れる。

組織は、その目的を達成できない場合には崩壊するに違いないが、またその目的を達成することによって自ら解体する。非常に多くのうまくいっている組織が成立し、やがてこの理由のために消滅していく。したがって、たいていの継続的組織は、新しい目的をくりかえし採用する必要がある。

実際の組織においては、具体的な遂行目的とは別に、一般的な目的というものが定式化されるため、たえず新しい目的を採用していても気がつかないことがある。「われわれは通常一般的目的をもって、本当の目的たる具体的な遂行の代わりに考えているのである」。

したがって有効的でないことが組織の瓦解の真の原因ではあるが、新しい目的の採用をもたらす決定をしないことも同様の結果となる。それゆえ、目的の一般化は、実は毎日の出来事によってのみ具体的に規定されうるのではあるが、永続的な組織のきわめて重要な側面なのである。

目的の一般化が、変動や適応のための柔軟性を確保するわけである。

組織の能率(Organization Efficiency)

組織にとっての能率とは「協働システムに必要な個人的貢献の確保に関する能率」ということになる。この能率に関しては、組織というレベルにおいては「存続という絶対的なテストのみが客観的に重要な意味をもち、個々の能率を比較する基礎は存在しない」。

貢献は誘因によって引き出されるわけであるから、「組織の能率とは、そのシステムの均衡を維持するに足るだけの有効な誘因を提供する能力である」ということになる。「組織の生命力を維持するのは、この意味での能率であり、物質的生産性の意味での能率ではない」。誘因としては非物質的なもの、非経済的なものがありうるし、実際、重要である。「非経済的誘因が多くの場合に有効性に不可欠であるばかりでなく、基本的な能率に不可欠なものである」。

第8章 複合公式組織の構造(The Structure of Complex Formal Organization)

この章では、組織論(システム論)的な関心からは興味を引く論述が少ないので、おおはばに端折って紹介しておく。

組織は単位組織から生まれ、規模が拡大するにつれて、複合組織へと分化していくことが論じられる。複合化した組織では、管理組織を上層としてもつことになる。こうした構造的特徴は、コミュニケーションの必要性が組織の規模に及ぼす影響によって決定される。

第9章 非公式組織およびその公式組織との関係(Informal Organizations and Their Relation to Formal Organizations)

第2部の最後に、非公式組織についての論考が展開される。

非公式組織とは何か(What Informal Organization are)

非公式組織とは、個人的な接触や相互作用の総合、およびすぐ前に述べたような人々の集団の連結を意味する。定義上、共通ないし共同の目的は除外されているが、それにもかかわらず、重要な性格をもつ共通ないし共同の結果がそのような組織から生ずるのである。

By informal organization I mean the aggregate of the personal contacts and interactions and associated groupings of people that I have just described. Thought common or joint purposes are excluded by definition, common or joint results of important character nevertheless come from such organization.

続けて、「非公式組織とは不明確なものであり、むしろきまった構造をもたず、はっきりとした下部単位をもたないということである」と述べて、不定形の定まりがたいものであること、「密度の程度の様々な、形のない集合体」であるという。

そして、「われわれの目的にとっては、どんな公式組織にもそれに関連して非公式組織があるということが重要である」。

非公式組織の諸結果(Consequences of Informal Organizations)

非公式組織は次の2種類の結果をもたらすとバーナードは言う:

  1. 一定の態度、理解、慣習、習慣、制度を確立するということ

  2. 公式組織の発生条件を創造するということ

まず、最初の点については、公式組織との関連で以下のことが述べられる。

第一の点は、公式組織への注意が適切でないために、公式組織のプロセスから直接生ずる公式制度と、非公式組織のプロセスから生ずる非公式制度との間にかなりの混同があるということである。……、非公式に発展してきた制度と公式組織の慣行によって精緻化された制度との間には相違があり、相互に他を修正しあう作用がある。非公式制度は、個人の無意識的あるいは非理性的な行為や習慣に対応し、公式制度は、個人の思考と計算にもとづく行為と政策に対応するのである。公式組織の行為は相対的にはきわめて論理的である。

このように公式/非公式と論理的・意識的/非論理的・無意識的を重ねるのは、はたして意味があるのかと感じられなくもない。目的の有無という差異から目的合理性/非・目的合理性はよいとしても、合理/非合理まで引っ張ってどうするのよ、と田中は考える。

続いて、非公式組織は公式組織に先行するものだということが確認される。

非公式な結合関係が、公式組織に必ず先行する条件であることは明らかである。共通目的の受容、コミュニケーション、協働意欲のある心的状態の達成、これらを可能ならしめるためには事前の接触と予備的な相互作用が必要である。

このように、非公式的な関係がある状況から公式組織が生まれてくるわけでが、非公式組織の側から見ても、公式組織が生まれることが必要であるという議論がなされる。

われわれの目的にとって重要な問題は、非公式組織はどうしてもある程度の公式組織を必要とし、おそらく公式組織が出現しなければ非公式組織は永続も発展もできないということである。

この点についてバーナードは、人間が関係を長続きさせるためには、目的、明確な行為対象が必要であるという議論を展開する。

人間は一般に能動的であり、活動目的を求めることは周知のところである。……、活動がなければ社会的接触を継続することが一般に不可能になることが観察される。……。人はなにか行為をしなくてはおれないように思われる。組織の存続がたんなる結合による満足に依存し、そのような結合がすべての参加者の共通で唯一の動機である場合も多い。しかしかかる場合でも、たとえ目的があまり重要でなくても、またつまらないものであっても、なんらかの目的、すなわち具体的な行為対象がつねに存在するものである。……。具体的な行為対象が社会的満足のためには必要である。……。一団の人々がいる場合、行為のなされる必要性があるのはほとんど絶対的と言ってもよいほどである。

また、逆に多様な行為の可能性がある複雑な情況においても、選択不能による麻痺状態(バーナードはデュルケイムのアノミーを引いている)が生ずる。「これは行為の有効な規範の欠如による社会的行為の個人的麻痺状態であると考えられる」。

さらに、個人の社会的結合をもとめる行為は、かならずローカルなものとして行われるという点が論じられる。

個人の諸活動は必ず局地的な直接的集団の内部で行われる。人間の、ある大規模組織、すなわち国家とか教会に対する関係は、かならず彼が直接に接触している集団を通じて生ずる。社会的活動は遠隔的な行為ではありえない。……。個人の本質的欲求は社会的結合であり、この欲求が個人間における局地的活動、すなわち直接的相互作用を求めることにとなる。社会的結合がなければ人間性は失われる。したくなければしなくてもすむやっかいな日常の仕事や危険な仕事でも、すすんでがまんしようとするのも、社会的統合感を維持するために、いかなる犠牲を払っても行為をするこのような必要性によって説明される。

The activities of individuals necessarily take place within local immediate groups. The relation of a man to a large organization, or to his nation, or to his church, is necessarily through those with whom he is in immediate contact. Social activities cannot be action at a distance. ... The essential need of the individual is association, and that requires local activity or immediate interaction between individuals. Without it the man is lost. The willingness of men to endure onerous routine and dangerous tasks which they could avoid is explained by this necessity for action at all costs in order to maintain the sense of social integration.

最後に、人間にとっての目的協働の意味が確認される。「目的的協働は人の論理的能力や科学的能力のおもなはけ口であり、またその能力の主な源泉でもある。合理的行為は主として目的的協働行為であり、主としてそれから合理的行為をする個人的能力が生ずるのである(Rational action is chiefly a purposive coöperative action, and the personal capacity of rational action is largely derived from it.)」。

以上を踏まえて、「小さい永続的非公式組織でも大きい集合体でも、いずれも、つねにかなり多くの公式組織を持つようである」ことが確認される。さらに、全体社会にとっての公式組織の意義が述べられる:

公式組織は全体社会の明確な構造素材であり、それによって個人的結合関係が継続性を保ちうるに十分な一貫性を与えられる支柱でもある。……。公式組織がその領域を拡大するのに伴い、全体社会の凝集性を拡充せしめ、またそれを必要とすることになる。……。いかなる全体社会でも、事実上公式組織−それは家庭に始まり、国家や宗教という大複合体にいたる−によって完全に構造化されていないものはないであろう。

These (=formal organizations) are the definite structural material of a society. They are the poles around which personal associations are given sufficient consistency to retain continuity. ... As formal organization becomes extended in scope it permits and requires an expansion of societal cohesiveness. ... There appear to be no societies which in fact are not completely structured by formal organizations - beginning with families and ending in great complexes of states and religions.

このような公式組織の意義を押さえた上で、非公式組織との関係が以下のように語られる。

……、全体社会は公式組織によって構造化され、公式組織は非公式組織によって活気づけられ、条件づけられるのである。確言しうることは、一方がなくては他方が存在しえないということである。もし一方が挫折すれば他方が解体する。……。公式組織がまったく存在しなければ、ほぼ完全な個人主義の状態、および無秩序の状態となるだろう。

公式組織による非公式組織の創造(The Creation of Informal by Formal Organization)

「公式組織が作用し始めると、それは非公式組織を創造し、必要とする」。

公式組織と結合した非公式組織は、多くの場合、経営者、政治家、ならびに他の組織の首脳部によって直観的に理解されてはいるが、私の知っているかぎりでは、いままで経営組織の生産レベルだけについて明確に研究されてきたにすぎない。実際、非公式組織は、公式組織に関連すると否とにかかわらず、日常の結合関係というあたりまえの身近な経験の一部であるから、それに含まれる特定の相互作用の一部のみを見ているだけで非公式組織には気がついていないのである(In fact, informal organization is so much a part of our matter-of-course intimate experience of everyday association, either in connection with formal organizations or not, that we are unaware of it, seeing only a part of the specific interactions involved.)。しかし、公式あるいは特定の活動との関連における人々の結合関係には、それに付随的な相互作用が必ず含まれていることは明らかである。

公式組織における非公式組織の機能(The Functions of Informal in Formal Organizations)

公式組織における非公式組織の機能として、バーナードは3つの機能をあげる。

  1. コミュニケーション機能

  2. 貢献意欲と客観的権威の安定とを調整することによって公式組織の凝集性を維持する機能

  3. 自律的人格保持の感覚、自尊心および自主的選択力を維持すること

非公式組織の相互作用は、一定の非人格的目的や組織表現としての権威によっては意識的に支配されていないから、その相互作用は明らかに選択力によって特徴づけられており、しばしば人間的な態度を強める機会を提供するのである(Since the interactions of informal organization are not consciously dominated by a given impersonal objective or by authority as the organization expression, the interactions are apparently characterized by choice, and furnish the opportunities often for reinforcement of personal attitudes.)。この機能は公式組織にとって有害であると考えられることが多いけれども、個性を分裂させがちな公式組織の影響に対して各人の個性を維持する手段とみなされるべきものである。

非公式組織については、「世界政府の計画化について」(『組織と管理』に収められている)の中でも詳しく論じている。後ほど、この論文も見ておくことにしよう。

第3部 公式組織の諸要素(The Elements of Formal Organizations)

第3部から、いわゆる管理論に入っていく。組織の諸側面を捉えて、そこに潜む管理の問題点が論じられていく。もちろん、そこでは、組織に関する論述も入ってはくる。そこで、以下においては、章の内容を順に追っていくのではなく、われわれの関心である組織に関係する発言を中心に引用していくという形で見ていくことにする。ただし、権威と意思決定に関する部分は、組織論的に重要な章であるので、細かくみることにしたい。

第10章 専門化の基礎と種類(The Base and Kinds of Specifications)

この章で論じられるのは、分業あるいは組織構造の問題である。この分化は、共通目的を下位の目的へと分化させる(精緻化、具体化)ことであると同時に、意思決定の分化でもあるということになる。

社会結合の専門化

組織の分化は、基本的には合目的な分化であるが、同時に、バーナードの言う非公式的な側面においても分化が起きることを述べている。

組織のあるところには、必ず、私が「社会結合の専門化」と呼ぶものがただちに始まる。これは協働的努力における人間間の反復的な相互調整を意味する。

……

組織関係のなかで作業をする人間に関する専門化と、組織自体に関する専門化を、私は「社会結合の専門化」と名付けた。この専門化が存在し、機能していることは、通常、「彼らはいっしょに働くのに慣れている」とか「いっしょに働いてはじめてその人がわかる」とか「彼は部下をよく知っている」とかで表現されている。すべての、かなり安定した、あるいは永続性のある単位組織は、それ自体一つの社会結合の専門化である。
この意味での専門化は、管理組織の最も重要な側面の一つであり、第十五章でかなりくわしく述べるつもりである。これはまた第九章で述べたような小さい非公式組織の一側面でもある。

専門化の一般的命題

複合的な組織における組織全体の有効性は、どのような分化=複合化を行うかという点での工夫が大きく影響する。バーナードは、専門化のイノベーションの工夫という言葉を使っている。

(1)協働システムの有効性は、ほとんどまったく専門化の革新innovations)の工夫、あるいはその採用に依存している。(2)専門化の第一義的側面は、目的の分析、すなわち一般的目的を中間目的―それらはより遠い目標の手段となる―に分析することである。

その時の具体的な情況に即したものというのは、その都度、その組織が新しく作り出す(考案する)しかないという点で、イノベーションなのだということであろう。組織構造(専門化)に一般的・汎用的な解など存在しないということだと考えることができる。

組織と専門化

専門化は共通目的を下位の細部目的へと精緻化すること、つまりは目的の分析であり、それは同時に情況(環境)の分析であるということである。

重要な側面では、「組織」と「専門化」とは同意語である。協働の目的は専門化なしには成就されない。そこに含まれる調整は組織の機能面である。この機能は、目的をなし遂げうるような仕方で、個人の努力を協働情況全体の諸条件に相関させることである。
この相関をなし遂げる方法は、目的を諸部分ないし細部諸目的に分析することであり、それらを適当な順序で達成すれば最終目的達成が可能となるであろう。また全体情況を諸部分に分析することであり、それらは組織活動によって細部諸目的と特定的に調整されることになるであろう。もしこれらのことがなし遂げられれば、最終目的達成の手段となる。このプロセスの性質と専門化の機能とは、管理作用の理解にきわめて重要である。

目的の精緻化=環境の分析については、後の「機会主義の理論」でくわしく展開されている。

一般目的の受容・理解

複合体の一般目的を理解することや受容することは必須のものではない。それは細部目的を説明し、あるいは受入れやすいようにするのに望ましいだろうし、またつねにでなくとも通常は望ましいものである。……。しかし一般に複合組織は、その一般目的を完全に理解せず、また完全に受容していないところに特徴がある。かように中隊が軍隊全体の特定目的を知ることは必須ではなく、また通常不可能であるが、しかし中隊はそれ自体の一つの目的を知り、受入れることが必須である。そうでなければそれは機能しえない。……。主として重要なのは目的の知的理解よりも、むしろ行動根拠に対する信念である。「理解」はただそれだけでは、むしろ麻痺させ分裂させる要素である。

組織の存立条件として共通目的は、実際の個々具体的な活動のレベルは、細部目的を根拠づけ正当化するものとして機能すればよいということになる。極論すれば、自分たちのやってること(細部目的のもとでの活動)は意味があるということを保証するものとして共通目的は機能することが重要であるということになる。専門化が組織の複合化としてなされると、組織の内部に、新たに環境としての全体組織と、それぞれの下位組織という組織−環境の関係が成立することになる。ルーマンのいうシステム分化である。しかし、バーナードの場合は、組織の複合化あるいは専門化の問題として、この点が厳密に論じられることはない。

第11章 誘因の経済(The Economy of Incentives)

バーナードの組織を構成する「貢献」は、組織が個人に与える誘因との交換の形で発生するものである。つまり、組織と個人とは、誘因と貢献の交換関係になる。この交換について論じたのがこの章である。なお、バーナードの場合、貢献は、その都度、誘因との交換として出てくるという図式があり、誘因が効果がなくなると即座に貢献者の貢献はなくなると考えられている。この枠組では、長期的なコミットメントのようなものが捉えきれないはずであり、関与者がきわめて流動的な組織ということになる。後で見る「組織の概念」で、顧客との関係もこの章で展開する誘因の経済で分析できることを述べているのだが、逆にいうと、顧客との関係(その都度の交換関係)が、すべての貢献者と組織の関係の基本とされているともいえる。

貢献と誘因

すでに述べたように、組織の本質的要素は、人々が快くそれぞれの努力を協働システムへ貢献しようとする意欲である。協働の力は、……、結局のところ、個人の協働しようとする意欲と協働システムの努力を貢献しようとする意欲とに依存している。組織のエネルギーを形作る個人的努力の貢献は、誘因によって人々が提供するものである。自己保存や自己満足というような利己的動機は支配的な力をもっているから、一般に組織は、これらの動機を満足させうるときにのみ、もしそれができなければ、こんどはこれらの動機を変更しうるときにのみ、存続しうるのである。個人はつねに組織における基本的な戦略要因である。個人の来歴または義務にかかわりなく、個人は協働するよう誘引されねばならない。そうでなければ協働はありえないのである。

誘因の問題の困難

……、いかなる目的をもつものであっても、あらゆる型の組織において、必要な貢献を獲得し、維持していくためには、いくつかの誘因と ある程度の説得がともに必要である。まれな場合は例外として、誘因提供の手段を得、誘因の対立をさけ、効果的な説得努力をすることなどがもともと非常に困難であり、また効果的でしかも実行可能な誘因と説得の明確な組み合わせを決めることが、非常にデリケートな問題であることもまた明らかであろう。……。かような誘因システムに関連する問題は、主として、組織の存続途上におけるそのときどきの戦略的要因の問題となる。誘因システムは協働システムの要素のうちでおそらく最も不安定であることももちろん事実である。なぜなら外的環境がたえず物質的誘因の可能性に影響を与えるからであり、また人間の動機が同様に非常に変動的だからである。……。
この固有の不安定性から生ずる二つの一般的な帰結に注意する必要がある。第一は、あらゆる組織がもつ固有の拡張傾向である。誘因、とくに威信、社会結合の誇り、ならびに共同体の満足などに関する誘因を維持するためには、組織の成長、拡大、拡張が必要である。……、成長はあらゆる種類の効果的な誘因を実現させる機会を提供するように思われる。……。
……、第二のより重要な結果は、組織が必要な人員を充足するときに見られる高度に選択的な性格である。……、その主要な方法は差別的誘因の維持である。……、誘因の分配は、いろいろな貢献の価値と有効性に釣り合ったものでなければならないのである。

第12章 権威の理論(The Theory of Authority)

この章は、バーナード組織論の一つのキーである「権威受容説」(権限受容説)が述べられた章である。組織論的に重要な論点を含む章なのでくわしく見ていくことにする。

この章での「権威」の問題とは、命令・指示の受容の問題である。「他人の言うことに従う」という関係がいかに成立するのかという問題である。つまり、コミュニケーションにおいて「他人の指示に従わせるもの(指示を受容させるもの)」が権威とされる。

バーナードがここで展開する権威の議論は、権力(受け手の意思にそむいて/意思には関係なく、命令が受容されること)の問題と重なるものではあるが、権力論は展開されていない。あくまでも、自由意思をもち選択できる立場にある者が、他人の指示命令を受入れて従うのは、どのようなメカニズムが働いているのかを明らかにすることにある。

*なお、Authority は「権威」「権限」などの複数の訳語があてられる言葉であるが、バーナードの翻訳の場合(バーナード研究者が訳す場合)、「権威」と訳すのが一般的になっている。ちなみに、飯野春樹氏は、受容説にたつ考え方の場合は権威、権力図式の場合は権限と使い分けられていた。

第1節 権威の源泉(The Source of Authority)

●権威の現実

まず、一般社会において、いかに法や命令が「権威がない」ことをとりあげ、権威の問題は受容がポイントであるという彼の論点に導かれる。

権威に関して一般的に観察されるはなはだ重要な事実は、特定の場合にいかに権威に効果がないかということである。権威に効果がないために、その違反が当然のこととみなされ、その包含する意味が考慮されもしない。……。
これらの観察の意味するところは、ただ、特定の法律が個々の市民によって遵守されるかどうかは、その特殊情況化では、その人自身が決定するということである。これが個人的責任をうんぬんする場合の意味である。また個人が教会のどの戒律に違反するかは、一定の時と所では、その人によって決定されるということである。すなわちこれが道徳的責任の意味である。

(強調は田中)

●権威の定義

権威とはコミュニケーションの受容の問題である(受容されてはじめて権威は成り立つ)というバーナードの権威受容説がここで述べられる。

ここで権威とは、公式組織におけるコミュニケーション(命令)の性格であって、それによって組織の貢献者ないし「メンバー」が、コミュニケーションを、自己の貢献する行為を支配するものとして、すなわち、組織に関してその人がなすこと、あるいはなすべからざることを支配し、あるいは決定するものとして、受容するのである。

Authority is the character of a communication (order) in a formal organization by virtue of which it is accepted by a contributor to or "member" of the organization as governing the action he contributes; that is, as governing or determining what he does or is not to do so far as the organization is concerned.

この定義によれば、権威には二つの側面がある。第一は主観的、人格的なものであり、コミュニケーションを権威あるものとして受容することであり、この節で述べようとする面である。第二は客観的側面―受容されるコミュニケーションのもつべき性格―であり、次節「調整システム」において述べる面である。

According to this definition, authority involves two aspects; first, the subjective, the personal, the accepting of a communication as authoritative, the aspects which I shall present in this section; and, second, the objective aspect - the character in the communication by virtue of which it is accepted - which I present in the second section, "The System of Coöperation."

権威は受容されることに根拠づけられるということ(権威受容説)と、コミュニケーションが受容されるための条件(組織内のコミュニケーションはどうあるべきか、という問題)の二つの側面を考えることになるわけである。

●権威と受容

もし命令的なコミュニケーションがその受令者に受入れられるならば、その人に対するコミュニケーションの権威が確認あるいは確定される。それは行為の基礎と認められる。かかるコミュニケーションの不服従は、彼に対するコミュニケーションの権威の否定である。それゆえこの定義では、一つの命令が権威を持つかどうかの意思決定は受令者の側にあり、「権威者」すなわち発令者の側にあるのではない。

●権威の受容条件

個人に対する権威を確立するためには、どうしてもその個人の同意が必要である。人はつぎの4条件が同時に満たされたときにはじめてコミュニケーションを権威あるものとして受容でき、また受容するだろう。すなわち、(a)コミュニケーションを理解でき、また実際に理解すること、(b)意思決定に当り、コミュニケーションが組織目的と矛盾しないと信ずること、(c)意思決定に当り、コミュニケーションが自己の個人的利害と両立しうると信ずること、(d)その人は精神的にも肉体的もコミュニケーションに従いうること、がこれである。

The necessity of the assent of the individual to establish authority for him is inescapable. A person can and will accept a communication as authoritative only when four conditions simultaneously obtain: (a) he can and does understand the communication; (b) at the time of his decision, he believes that it is not inconsistent with the purpose of the organization; (c) at the time of his decision, he believes it to be compatible with his personal interest as a whole; and (d) he is able mentally and physically to comply with it.

(c)に関連して:

純誘因が存在するということが、どんな命令でも権威あるものとして受容する唯一の理由である。

The existence of a net inducement is the only reason for accepting any order as having authority.

このように、基本的には、受容者の意思決定の問題であり、また、受容の最終根拠は、受容者にとってそうすることにメリットがあるからとされる。

●権威の維持

権威が根本において受容されることで確定するものである以上、命令指示は、拒否されるかもしれないという不確定性をつねにはらんでコミュニケーションされていることになる。しかし、現実において、この不確定性が問題にならないような理由があることをバーナードは述べる。

もし原則的にも実際的にも権威の決定が下位の個人にあるのならば、われわれの見るような重要かつ永続的な協働の確保が以下にして可能なのか。それは個人の意思決定が次の条件のもとでおこなわれるから可能である。(a)永続的な組織において慎重に発令される命令は、通常前述の4条件と一致している。(b)おのおのの個人には「無関心圏(zone of indifference)」が存在し、その圏内では、命令はその権威の有無を意識的に反問されることなく受容しうる。(c)集団として組織に貢献している人々の利害は、個人の主観あるいは態度に、この無関心圏の安定性をある程度まで維持するような影響を与えることとなる。

(a)は実際に受け手が受容するかどうかの意思決定を行っても受容されるようになっているということであるが、(b)と(c)は、受け手が受容に関する意思決定を行わないようになっているということである。そのようなことが行われている理由として「無関心圏」というものを持ち出してくる。

●「無関心圏」とは

「無関心圏」という言葉は、次のように説明することができる。もし合理的に考えて実行可能な行為命令をすべて、受令者の受容可能順に並べるとすれば、第一には明らかに受入れられないもの、すなわち、確実に服従されない命令がいくつかあり、つぎに、多かれ少なかれ中立線上にあるもの、すなわち、どうにか受入れられるか、あるいは受入れられないかの瀬戸際にある第二のグループがあり、最後に、問題なく受入れうる第三のグループがあると考えられよう。この最後のグループのものが「無関心圏」内にある。受令者はこの圏内にある命令はこれを受入れるのであって、権威の問題に関するかぎり、命令がなんであるかについて比較的に無関心である。このような命令は組織と関係を持ったとき、すでの当初から一般に予期された範囲内にある(Such an order lies within the range that in a general way was anticipated at time of undertaking the connection with organization.)。……。
無関心圏は、組織に対する個人の執着を決定する誘因が、負担と犠牲をどの程度超過するかに応じて、広くもなり狭くもなる。したがって受入れられる命令の範囲は、組織に貢献するよう、かろうじて誘引されている人々にとっては非常に限定されたものとなるであろう。

予期によって当然と受容される命令・指示群があることを無関心圏という概念で説明しているが、この無関心圏は誘因との関係で生じてくるとされる。バーナードの組織論においては、メンバーというものの意義が重要視されない。そのため、メンバーとしての参加が一般的な命令・指示の受容の承認を確保するという点が見えなくなっている。もちろん、メンバーでなくとも、無条件的な受容は起こりうることには違いない。たとえば一般的な消費者の立場で商品を買う場合を考えてみれば、特定のメーカーの新製品であれば信頼して買うといったことがありうる。しかし、組織の運用にとって重要なのは、各人に無関心圏があるかどうかということではなく、各人に無関心圏があることを前提としてよいかどうかにある。メンバー制の一つのポイントは、この、「みなしてよい」とできることにある。この点で、無関心圏だけでは、受容による確定のもつ「不安定さ」を回避することはできない。そこで、バーナードは、上位権威というものをフィクションとして導入する。

●上位権威というフィクション

組織の能率は個人が命令に同意する程度によって影響されるから、命令がだれにも受入れられない場合は別として、組織伝達の権威を否定することは、その組織との関連から純利益を確保しているすべてに人々にとって一つの脅威となる。したがって、いつでも大部分の貢献者間には、自分らにとって無関心圏にある命令は、すべてその権威を維持しようとする積極的な個人的関心がある。この関心の維持は主として非公式組織の機能である。それは一般に「世論」「組織意見」「兵卒感情」「集団態度」などの名で呼ばれている。かように非公式に成立した共同体の共通感は、人々の態度に影響を与え、彼らに、無関心圏あるいはそれに近いところにある権威を個人として問題にすることを忌避させる。この共通感を形式的に述べたものが、権威は上から下へ下降し、一般的なものから特殊なものにいたるというフィクションである。このフィクションは、ただ、上位者からの命令を受入れやすくするような予想を個人間に確立し、人格的屈従感を招くこともなく、また同僚との人格的、個人的地位を失うこともなく、こういう命令に黙従することを可能にするにすぎないものである。
かように貢献者たちが、コミュニケーションの権威を維持しようとするのは、……、また共同体意識がたいていの貢献者の動機に影響を与える場合がほとんどだからである。この意識の実行の用具が上位権威というフィクションであって、それが人格的な問題を非人格的に扱うことを一般に可能としている。

(強調は田中)

非公式組織の作用による仲間意識、一体感によって、命令・指示の非選択的(非意思決定的)受容が行われるようになり、こうした情況を正当化する概念装置=フィクションが上位権威だとされるわけである。この概念装置が組織の実際的な運用においては不可欠なものになるわけである。

●上位権威の必要性

上位権威というフィクションが必要な二つの理由

(1)それはいわゆる組織的決定−その調整的性格の事実によって非人格化されている行為−をする責任を個人から上方へ、すなわち組織へ委譲するプロセスである。……。たいていの人々は、普通ならば受入れる個人的責任を好まないから、権威を認めようとする。責任を受入れにくい立場にあるときには、とくにそうである。組織運営上の実際的困難は、自己および他人の組織行為に対する責任を必要以上に引き受けたがることにあるのではなく、むしろ組織における自己の行為に対する責任を取りたがらないことにある。

(2)このフィクションから、重要なのは組織の利益だという非人格的な見方が生ずる。

第2節 調整システム(The System of Coöperation)

●コミュニケーションの公式性

まず、権威が公式性と結びついたものであることが確認される。

コミュニケーションは組織努力あるいは組織行為でなければ、権威をもつものではない。……、人は「公的に」行動するときにのみ権威を行使しうるという場合の意味である。それゆえ、コミュニケーションの公的性格を確立するため、コミュニケーションについての時間、場所、服装、儀式ならびに認証などが重要だとみなされる。これらの慣行は、権威が「公式組織における」コミュニケーションに関連するという所説を確証する。……、権威はあくまでも明確に組織されたシステムの内部にある何ものかと関連している。

●権威と「メンバー」

そして、権威の問題が、貢献者一般ではなく、貢献者のうちの「メンバー」にかかわるコミュニケーションの問題であることが確認される。ここで、はじめて、貢献者とメンバーの差異にバーナードは言及することになる。

このような事情は、組織コミュニケーションにおける権威の性格はコミュニケーションを受ける人々の同意の可能性にあるという事実から生ずる。だからただコミュニケーションはただ組織の貢献者、すなわち「メンバー」に送られるのみである。すべての権威あるコミュニケーションは公的であり、組織行為のみに関係するから、その行動が協働システムの中に含まれない人々にとっては意味をもたない。

もっとも、上の文章では組織の貢献者=メンバーという言い方になっている点は、彼の貢献者の定義からはおかしいということになる。その後に出てくる、協働システムに含まれる人々というのが、おそらくバーナードのメンバーの理解を一番素直に表現したものであろうが、それにしても、協働システムのなかにある組織の貢献者と、協働システムの中のメンバーとの食い違いは残る。このように、権威(協働のためのコミュニケーションの受容の問題)を考えるかぎりは、コミュニケーションの関与者としてメンバーに話を限定しないといけないことは確認されるわけである。

上位権威(=権威は命令・指示の送り手に認められるものである)のもとでの権威、客観的権威をバーナードは2種類に分ける。

●職位の権威

上位の職位から送られるコミュニケーションが、その職位にふさわしいすぐれた視野と展望とにうまく一致しているならば、人々はこれらのコミュニケーションに権威を認める。この権威はかなりの程度までその職位にある人の個人的能力とは別のものである。……。これが職位の権威(authority of position)である。

●リーダーシップの権威

明らかに、人によってはすぐれた能力をもっていることがある。彼らの知識と理解力とは職位とは無関係に尊敬をかちうる。ただこれだけの理由で、人は組織において彼らの言葉に権威を認める。これがリーダーシップの権威(authority of leadership)である。

●二つの権威の相乗効果

二つの権威の相乗効果が生じると、人々がより権威を受入れるようになるが、それでも、最終的には権威は受容によって確定されるものであるということが消え去るわけではない。

リーダーシップの権威が職位の権威と組み合わされると、組織とすでにきまった関係をもつ人は一般に権威を認め、はるか無関心圏外にある命令でもこれを受入れるようになる。かような信頼が生じてくれば、命令への服従それ自体が一つの誘因にさえなるであろう。
それにもかかわらず、権威の決定は個人の手中にある。たとえば、権威あるこれらの「職位」を占める人が現実に不適格であり、状況を知らず、当然伝えられるべきことをコミュニケーションしない時、あるいはリーダーが(主としてその具体的行為により)、リーダーシップというものが個人の組織との関係の内在する本質的な性格に依存していることを暗黙のうちにも認識しえないときには、権威はもしそれがテストされれば消滅するであろう。

●リーダーシップと組織人格

先ほどのリーダーシップの権威に関連して、権威が帰属されるリーダーの条件を論じている。

たいていの場合、組織努力に関して助言を与える真のリーダーは、責任ある職位を受入れることが必要である。なぜなら、組織権威の基礎として彼らの言うことに価値があるためには、彼らの特別な知識あるいは判断が抽象的な問題にではなく、具体的な組織行為に適用しうるのだということがわかっていなければならないからである。言い換えれば、彼らは個人人格とは別に、リーダーシップの影響力に相応した組織人格をもっている。一般的に表現すれば、相応した責任を伴わぬ権威はありえないということである。もっと正確に表現すれば、組織職位にある人がその意思決定に関して主観的に組織に支配されていなければ、客観的権威は彼らに帰属させえないということである。

ここに見られる「意思決定に関して主観的に組織に支配されて(いる)」ことというのは、バーナードが管理者に求める責任、要件の本質的なものの一つである。

●コミュニケーション・システムと権威

「客観的権威は、その職位あるいはリーダーがつねに適切な情報を受けている場合にのみ維持される」のであり、組織のコミュニケーション・システムの運用が重要であるということが論じられる。

上位権威のフィクションを支持するに十分であるとともに、無関心圏を実現せしめる客観的権威の維持は、組織におけるコミュニケーション・システムの運用いかんに依存するといってよかろう。コミュニケーション・システムの機能は権威ある職位に対し適切な情報を提供し、発令に適切な便宜を供給することである。……。
かように権威は、一方では、個人の協働的態度に依存し、他方では、組織のコミュニケーション・システムに依存する。後者なくして前者は維持され得ない。

●コミュニケーション・システムと組織の維持

コミュニケーション・システムないしその維持は、公式組織の基本的な、あるいは本質的な継続的問題である。有効性ないし能率−すなわち組織の存続要因−に関するあらゆる実際的な問題はコミュニケーション・システムに依存している。今述べているコミュニケーション・システムは、専門的な言葉で表現すれば、しばしば「権限のライン」[命令系統]として知られているものである。

●コミュニケーション・システムの規定的要因

客観的権威が維持されるためにコミュニケーション・システムが満たすべき条件として、以下のものをバーナードは挙げている。

第3節 法律的概念との調和(Reconciliation with Legalistic Conceptions)

この節では法律的概念を権威受容説的に検討することが行われるが、内容の検討は省略する。この説の最後に、権威の問題が、単なるコミュニケーションの問題に限るものではなく、組織の本質である調整にかかわるものであることが述べられて、この章がくくられる。

●コミュニケーションと調整

ちょっと考えれば、組織におけるコミュニケーションという要素はただ一部分だけ権威に関係しているにすぎないようにみえるかもしれない。しかしもっと徹底的に考えれば、コミュニケーション、権威、専門化および目的は、すべて調整に包含される側面であることがわかるであろう。すべてのコミュニケーションは、目的の定式化、行為を調整する命令のコミュニケーションに関係し、それゆえにコミュニケーションは協働意欲をもつ人々とのコミュニケーション能力に依存している。
権威は協働システムの要求に服従しようとする個人の意欲と能力に与えられた別名である。権威は、一方では協働システムの、他方では個人の、技術的、社会的制約から生じてくる。したがって社会における権威の状態は、個人の発展と社会の技術的、社会的情況との双方の尺度である。

第13章 意思決定の環境(The Environment of Decision)

まず、バーナードの考える意思決定とは何かが論じられていく。

●意思決定

個人の行為を区別すれば、原理的には、熟考、計算、思考の結果である行為と、無意識的、自動的、反応的で、現在あるいは過去の内的もしくは外的情況の結果である行為とに分けうるであろう。一般に前者の行為に先行するプロセスは、どのようなものであれ、最後には「意思決定」と名付けうるものに帰着する。

●意思決定の二つの条件

意思決定が問題となるときには、意識的に二つの条件が存在する。すなわち達成されるべき目的と用いられるべき手段とがこれである。

●論理的プロセス

どのようなプロセスによるにせよ、ひとたび目的がきまると、手段に関する決定それ自体は、識別、分析、選択という論理的プロセスである。

●組織行為の論理性

組織の行為は、個人目的でなく、組織目的によって支配されている個人の行為である。……。一般的に、個人の行う重要な組織行為は、それが個人的でない目的を達成する手段の意識的な選択を必要とし、したがって直接的には自動的、反応的な反作用ではありえないというような意味で、やはりおそらく論理的であることが観察されよう。
こういっても、組織には無意識的、自動的、反応的な行為が含まれていないという意味ではない。反対に第9章で非公式組織を論じたときに示したように、非論理的組織プロセスは公式組織にとって不可欠である。さらに組織に参加している個人の行為は、その多くが習慣的、反復的であり、また組織設計(organization design)……によってたんに反応的であることもある。しかしここで重要なことは、個人行為とは対照的に、組織行為が最高の程度まで論理的プロセスによって特徴づけられねばならないし、また特徴づけうるということ、および意思決定が組織においてどこまで専門化されるかということである。

●組織行為と意思決定

……、意思決定行為が、個人行動と対照してみるとき、組織行動を特徴づけるものであり、意思決定プロセスの記述が、個人の場合よりも組織行動を理解するのに比較的により重要であるということである。

このように、組織行動は、意識的・論理的に行われるもので、最終的に意思決定に帰着するものであることが確認される。バーナードの場合、計算による選択も意思決定に含まれている。意思決定(決定)というものを厳密に考えると、論理的に選択肢が選ばれるものは意思決定ではない。決定しなくても答えは明らかだからだ。しかし、バーナードの場合は、意思決定をそのような特別な行為として位置づけるものではない。むしろ、意識的行動(意図的行動といった方がよいかもしれないが)は、ある種の選択的行動であり、その意味において意思決定的であると考えているようである。

●二つの意思決定行為

組織の行為の背景には、組織に貢献するという意思決定があって、その上に、組織的な意思決定がなされるという二重になっていることが確認される。

組織の構成要素であるすべての努力、すなわちすべての調整された協働努力は、二つの意思決定行為を含むであろう。第一のものは、個人的選択の問題としてかかる努力を貢献するかどうかに関する当該個人の意思決定である。それはその個人が組織の貢献者となるかどうか、あるいはそれを続けるかどうかを決定する反復的な個人的意思決定のプロセスである。……。この意思決定行為はすでにみたように周到な注意を要する問題であるが、第6章で規定したごとく組織を構成する諸努力のシステムの外部にあるものである。
意思決定の第二の型は、個人的結果に直接の、あるいは特定の関係をもたないものであるが、意思決定を必要としているその努力を、それが組織に与える効果と、それが組織目的にもつ関係の見地から、非人格的なものとしてみるものである。この第二の意思決定行為は、直接的な意味では、個人によってなされることが多いが、その意図と効果においては非人格的かつ組織的なものである。

上の文章に「反復的な個人的意思決定のプロセス」という表現があるように、バーナードの貢献者は、貢献するかどうかの意思決定を頻繁におこなっているものとされている。この点は、先ほどの権威のところでも触れたように、顧客のような存在であれば該当するが、従業員の場合は、該当するとは言い難い。もちろん、反復的というのは、行為のその都度という意味ではないから、従業員であっても貢献するかどうかの意思決定は潜在的にはつねに行いうるという点で、従業員であってもあてはまるであろう。しかし、従業員(メンバー)は、入会/脱退の意思決定を特別な意思決定と位置づけることによって作動するメカニズムであり、貢献するかどうかの意思決定を普段は行わないようにするところに意味がある。このように、バーナードは貢献者と組織という枠組で見るがゆえに、メンバー制と意思決定の関係はすっぽりと見えなくなっているわけである。

第1節 意思決定の機因(The Occasions of Decision)

この節では、どのような場合に意思決定が発生するかを論じている。組織論的には、以下の引用で述べられている、組織的な意思決定の連鎖と、そこでの管理的意思決定の意義の話が重要。

●管理的意思決定の重要性

特定の意思決定の相対的重要性の観点からすれば、管理者の意思決定がまず第一に注意をひくのは当然である。しかし総体的重要性の見地からすれば、主要な関心を要するのは管理者の意思決定ではなく、非管理的な組織参加者の意思決定である。まさしくこれらの理由によって、多くの管理的意思決定が必要なのである。というのは、管理的意思決定は、他の人々の間の適切な意思決定を伴う正しい行為の促進に関連するからである。……、行為の調整には、効果的な組織行為が行われる「現場」での、反復的な組織的意思決定が必要だということである。

第2節 意思決定の証拠(The Evidences of Decision)

ここでは、意思決定が行われたことがつかまえにくいということが述べられる。こうした点も、決定はかならず後の決定から参照可能になることとする決定をコミュニケーションでとらえていくルーマンの決定とは大きくことなる。

●意思決定の捉えにくさ

管理職能ないし管理者の相対的業績の評価がむずかしいのは、一つは意思決定の本質的作用を直接に観察する機会がほとんどないという事実による。困ったことには、たいていの管理的意思決定は、それ自体の直接的証拠を生まず、それを知るにはただ間接的証拠の積み重ねによらなければならない。管理的意思決定は、それがたんに一要素でしかない全般的結果から推察されねばならず、また漠然たる性格の特徴的なあらわれから推察されねばならない。

なお、バーナードは、決定しないことの重要性も論じている。管理論的に面白いので引用しておく。

●決定しないことの決定

決定しないことが決定であるかもしれない。これはきわめてよくある意思決定であり、ある観点から見れば、たぶん最も重要な意思決定である。……。
管理的意思決定の真髄とは、現在適切でない問題を決定しないこと、機熟せずしては決定しないこと、実行しえない決定をしないこと、そして他の人がなすべき決定をしないことである。

●二つの意思決定

意思決定には二つの主要な種類があることがわかる。一つは積極的意思決定、すなわち、あることをなし、行為を指示し、行為を中止し、行為をさせない決定であり、他は消極的意思決定で、決定しないことの決定である。双方とも避けえないものであるが、消極的意思決定は、しばしば主として無意識的で、相対的に非論理的で、「本能的」なものであり、「良識」である。

第3節 環境の性質(The Nature of The Environment)

この節では、意思決定が、目的と状況というものを互いに精緻化していく分析のプロセスであることが述べられる。

●意思決定の環境

  1. 目的
  2. 物的世界、社会的世界、外的事物と諸力、そのときの情況

意思決定の機能はこの二つの部分の間の関係を調整することである。この調整は、目的を変更するか、あるいは目的を除いた環境を変えるか、のいずれかによって達成される。

●目的と環境

環境というものが、つねに、組織の側から目的によって見出されていくものであること、その意味において環境とは組織が認識する環境でしかないことが確認される。

目的は、それ以外の環境の部分になんらかの意味を与えるために必須のものであることに注意しなければならない。環境は理解されうるためには、ある見地から観察されねばならない。……、このあらゆる物の集合をなにか意味のあるものにするには、区別のための基準、すなわちこれとあれとを適当であり、関係があり、関心あるものとして拾い上げるための基準を必要とする。この基準とは、この情況ではあることがなされるべきであり、あるいはなされるべきでないということである。その情況は、この観点からみると促進的であり、あるいは妨害的であり、あるいは中立的である。そしてこの区別のための基準となるのが、達成されるべき目的であり、目標であり、対象なのである。
しかしながら目的そのものは、ある環境における場合を除いては意味をもたない。目的は環境に即してのみ決定しうるのである。……。目的がいったん形成されると、それがただちにその環境をより明確な形にするのに役立つ。そしてその結果、ただちに目的はより特定的な形になる。……。このように目的をたえず精緻化してゆくことは、ますます詳細になってゆく反復的意思決定の効果であり、そして最後には細部目的がそのまま同時に目的の達成となるのである。……。
かように相前後しながら、目的と環境とは、継続的な意思決定を通じて、一歩一歩、ますます詳細に相互反応をする。

(環境は)目的に照らして識別されるとき以外は、その多様性も変化も意味をもたない。……。(目的に照らした)識別は、いっさいのものを次の二つに分ける。すなわち、取るに足らず、無関係で、たんなる背景にすぎぬ事実と、明らかに目的達成を促進し、あるいは阻害する事実を含む部分とである。この識別がなされるやいなや意思決定は発芽状態となり、いろいろの代替案のなかから選択する状態になる。

●目的の変更

目的の変更は新しい環境の創造である。

意思決定が環境を取り扱うよりは目的を変更することにあるならば、親目的は子を生まぬことに注意されたい。親目的は放棄され、新しい目的が選ばれ、それらによってその目的に照らした新しい環境が創造される。

第14章 機会主義の理論(The Theory of Opportunism)

この章では、意思決定のプロセスの原則が論じられる。意思決定は、先に確認されたように、最終的には、環境を変えるか、目的を変えるか、どちらかの行為に行き着く。目的を変える、それも組織の共通目的を変えることに関連して、バーナードは目的の道徳的要因の重要性を述べる。

●組織目的の道徳的側面

……、たいていの場合、組織行為の目的は組織自体の行為の独自の結果である。この目的は、個人の参加意思が協働目標の性質によって影響されることが多いという意味で、参加者個人の考えにいくらか制約されはするが、目的自体はこのような制約によって決定されるのではない。反対に、協働行為の手段と条件によって影響されることは別として、組織目的は組織の「利益(good)」にもとづいて明確な形をとるようになる。この「利益」は、主として参加者に対する関係に作用する組織の内的均衡か、あるいは(社会的環境を含む)一般的環境に対する関係に作用する組織の外的均衡か、のいずれかに主として関連をもつであろう。しかしどの場合にも、それはつねに未来に関係し、願望のなんらかの標準ないし規範からみた見通しを意味する。
組織目的のこの側面は理想である。われわれはそれを道徳的要因と呼ぼう。公式組織が道徳的要因をもたずに行為しうるということは定義上不可能なことである。それは公式組織に不可欠である。

... in most cases the ends of organization action are the unique results of the action of organization itself. The ends are in part limited by the ideas of the individuals participating, in the sense that their willingness to participate is often affected by the nature of the coöperative objective; but the ends are not determined by such limits. On the contrary the evolve to their precise form, except insofar as they are affected by the means and conditions of coöperative action, on the basis of the "good" of the organization. "Good" may have reference primarily either to the internal equilibrium of the organization as affecting its relations with participants, or to external equilibrium as affecting its relations with the general (including the social) environment. But in any case it always refers to the future, and implies foresight in terms of some standard or norm of desirability.
This aspect of the purpose or ends of organization is the ideal. We shall call it the moral element. It is impossible by definition that formal organization can act without the moral element. It is indispensable to them.

日本語で読むと道徳的という言葉がやや奇異な感じすらするのだが、それが組織にとっての Good (善、徳、幸福、利益)というにかかわるもの、ということで道徳的という言葉が出てきているのである(有名なベンサムの功利主義の「最大多数の最大幸福」は、英文では the greatest good of greatest number)。

この章においては、こうした道徳的要因が関連する目的の変更は論じられない(第17章の「管理責任の性質」で展開される)。組織目的を所与としたときの環境分析(認識)のプロセスのあり方の方を機会主義的要因(the opportunistic element)として、それについて論じられる。

●機会主義的要因

本章では道徳的要因の反対物、すなわち機会主義的要因を取り扱うこととする。これは、現状のもとで、今利用しうる手段による以外は、いかなる行為もなしえないという事実の示す要因である。明らかに意思決定における機会主義的要因は組織理論に不可欠である。

●客観的領域

機会主義的要因は、その範囲内で行為がなされるべき客観的な領域に関連する。意思決定の過程は、……、この客観的領域に関係するかぎり、本質的に分析のプロセスである。現在の情況の分析は、一部分はそのまま目的の規定となるが、それはまた、その目的に関してどんな情況が重要であるかを発見するプロセスでもある。

●戦略的要因

意思決定のために必要な分析とは、要するに「戦略的要因(strategic factors)」を捜し求めることである。

(情況の)諸要素ないし諸部分はつぎの二種類に区別されるようになる。(他の要因が不変のままならば)

以下、環境のなかから戦略的要因を見つけ出していく意思決定のあり方が論じられていく。

制約的(戦略的)要因は、正しい方法で正しい場所と時間にそれをコントロールすれば、目的を満たすような新しいシステムないし一連の条件を確立せしめるごとき要因である。

存在するか、あるいは欠如する決定的要素ないし部分が、物、物的要素、混合物、構成分などである場合、それを「制約的」要因と呼ぶのが便利である。しかし、すべての目的をもつ努力において究極的にはそうであるように、個人行為ないし組織行為が決定的要素であれば、「戦略的」という言葉のほうがのぞましい。

……このように戦略的要因を決めることは、それ自体ただちに目的を新しいレベルに変形させる意思決定であり、新しい情況において新しい戦略的要因を探索することを強いる。

……新しい戦略的要因をたえず決定してゆく反復的意思決定が広い目的、すなわちすぐには達成されない目的の成就に必要であるということである。個人では、このために異なる時と場所における連続的意思決定が必要となる。組織では、異なる時における、そしてまた異なる職位にいる、異なる管理者およびその他の人々による連続的意思決定が必要である。広い目的と広い問題についての意思決定とは、それぞれ、その目的の細部目的への分割、主要一般的な意思決定の細部補助的意思決定への分割を必要とする。後者は大部分、正しい順序でなされるときのみ、効果的となる。事の成行きを決めるのは、一連の戦略的要因とそれに直接関係する行為であって、一般的意思決定ではない。

……、意思決定プロセスは漸近法のプロセス−目的のたえざる精緻化、事実のますます綿密な識別−であり、そのプロセスでは時間の経過が必須である。……。目的は実行可能な条件に細分化されなければならず、情況は時を経て展開するにつれて正確に確かめられねばならないのである。

戦略的要因を正確に識別することは技術の目標である。

戦略的要因の認識の難しさ(困難)、特に過去というものの扱いの難しさが確認される。

人間の目的が適用されるかかる情況は、すべてつねにいくらか物理的、化学的、生物的、生理的、心理的、経済的、政治的、社会的および道徳的要素を含んでいる。識別力は私がこれらの要素を列記したような順番で最もよく発達している。だから、すべての意思決定が全体として関係する全体環境の種々の要素を認知するにあたって、どうしてもアンバランスがある。したがって意思決定の精密度もその同じ順序でより大きくなる。

……、環境の諸事実の識別におけるアンバランスのうえに、現在の環境と過去の環境との混同が加わることとなる。われわれは、現在ないしごく近い将来になすべき行為の決定にあたって、ときには、それがあたかもすでに過ぎ去った過去にもあてはまるかのように思って決定する。この事態はそれ自体、すべての比較的一般的な意思決定の執行に関して避けられない一つの戦略的要因である。どんな決定も、その後に続く多くの意思決定が誤ってなされるかもしれないと想定しなければ、正しくはなしえないのである。これが管理的意思決定の環境につねにつきまとう要素である。

過去というものの正当な意義は、現在の客観的環境にあるのではなくて、新しい目的を設定するという道徳的側面にある。……。過去の知識は、いま、現在の事実に影響を与えないが、しかし経験にもとづいてのみ、われわれは現在の目的に照らして今観察していることの将来的意義を判断しうる。目的は、過去と未来をつなぐ橋梁であり、それが現在にもとづいているときにのみ機能する。現在よりあとに始まらない未来はなく、現在より前に終わらなかった過去もない。また現在の目的でないようないかなる目的もない。

組織的意思決定のプロセスは専門化されるものである。組織は意思決定が専門化され割り当てられた人々の努力のシステムである。

意思決定が個人的な場合には、意思決定の事実はその個人に特定的であるが、個人の内部での意思決定プロセスは、決定がある時間順序と特定の場所でなされることを除いては、たぶん専門化されないであろう。反対に受容された事実としての、すなわち権威をもつ組織的意思決定は個人に特定化されるものではなく、全体としての組織の機能であるが、意思決定のプロセスは必然的に専門化される。組織目的および組織行為は非人格的である。それらは調整される。組織における個人の努力は、一部分は非人格的に行為する他の人々によって必然的になされた意思決定の結果から生ずる。組織の概念は、意思決定の諸プロセスが割り当てられ、専門化されている人間努力のシステムを意味する。

Where decisions are personal, the fact of decision is specialized to the individual, but the processes of decision within the individual are perhaps not specialized, except that decisions are made in some order of time and at particular places. Organization decisions as accepted facts, that is, having authority, on the contrary are not specialized to individuals but are functions of the organization as a whole; but the processes of decision are necessarily specialized. The purposes and action of organization are not-personal. They are coördinated. The efforts of the individual in organization result from decisions which in part are necessarily made by others acting non-personally. The concept of organization implies a system of human efforts in which the processes of decision are distributed and specialized.

管理的意思決定の場合は、組織内部環境に対する意思決定になることが確認される。

管理的意思決定の直接的環境は、第一義的に組織自体の内部環境である。管理的意思決定の戦略的要因は、主として、かつ第一義的に、組織運営上の戦略的要因である。外部環境に働きかけるのは組織であって管理者ではない。管理者は第一義的に組織の有効的、能率的運営において、他の人々の意思決定を促進し、あるいは阻止するところに意思決定に携わっている。

最後に、意思決定の機会主義的側面と道徳的側面についての考えが述べられる。機会主義的な環境の分析が、専門化を導き、それが協働の威力をもたらすということが述べられている。

意思決定の機会主義的側面は一般に目的達成の手段および条件に関係するといえよう。この側面は、組織行為の部面のうち、論理的、分析的方法と経験的観察、観察、実験などが有効に働く部面である。それらは組織に内在的な専門化を要求し、それがこんどは専門化を可能にする。協働の威力が最も明白なのはこの部面においてである。
道徳的部面とは、物的、生物的、社会的経験の無数の経路を通じて人々の感情に影響を与え、そして協働の新しい特定目的を形成する、態度、価値、理想、希望の部面である。一方において、これらの態度によって客観的環境の抵抗は克服され、環境は修正される。そして他方、環境の抵抗はこれらの目的の修正を強制し、終局的にはこれらの目的が示す抱負を限定する。この二側面は具体的行為に統合される。

It may be said that the opportunistic aspect of decision in general relates to the means and conditions of attaining ends. This is the sector of organization action in which logical and analytical processes and empirical observations, experience, and experiment can be effective. They require and in turn make possible the specialization which inherent in organization. It is in this sector that the power of coöperation is most apparent.
The moral sector is that of attitudes, values, ideals, hopes, impressed upon the emotion of men through countless channels of physical, biological, and social experiences and distilled into new specific purposes of coöperation. The resistance of the objective environment on the one hand is overcome and the environment modified by these attitudes; and on the other hand, the resistance compels the modification of these purposes and ultimately qualifies the aspirations they represent. The two aspects are synthesized in concrete acts.

以上で14章は終わり第3部も終わる。

第4部 協働システムにおける組織の機能(The Functions of Organizations in Coöperative Systems)

第4部は管理論を展開した部分である。第4部のタイトルでは「組織の機能」を論じたかのようになっているが、実際は、組織を成立・維持させるために必要な機能、また存続のための実践的な課題(プロセス)、さらには組織の創造のための道徳創造が論じられる。

第15章 管理職能(The Executive Functions)

この章では、管理者の果たすべき機能が論じられる。

まず最初に、組織の管理というものが集団を管理することではないこと、また組織を存立・維持させるという管理という作用は、管理者のみが担ったりするものではなく、組織全体として作用するものであり、管理者はそうした全体に対して働きかけるものであることが確認される。

管理職能は協働努力のシステムを維持する作用をする。それは非人格的である。その職能は、しばしば言われるように、人々の集団を管理することではない。このように狭く、便宜的で、厳密にいえば誤った考え方が行われるならば、管理職務の正しい理解が得られるとは思えない。また、管理職能は協働努力のシステムを管理することであるということさえも正しくない。協働努力のシステムは全体として自ら管理するものであって、その一部である管理組織によって管理されるのでない。われわれが問題にしている管理職能は、頭脳を含めた神経系統の、身体の他の部分に対する機能のようなものである。

The executive functions serve to maintain a system of coöperative effort. They are impersonal. The functions are not, as so frequently stated, to manage a group of persons. I do not think a correct understanding of executive work can be had if this narrower, convenient, but strictly speaking erroneous, conception obtains. Is is not even quite correct to say that the executive functions are to manage the system of coöperative efforts. As a whole it is managed by itself, not by the executive organization, which is a part of it. The functions with which we are concerned are like those of the nervous system, including the brain, in relation to the rest of the body.

管理者の機能=職能は、バーナードの言う組織の3要素(組織の存立条件)に対応した、この条件の確立・維持であることが述べられる。

われわれが述べようとする本質的な管理の諸職能は、……、組織の諸要素に対応する。管理職能は、第一にコミュニケーションシステムを提供し、第二に不可欠な努力の確保を促進し、第三に目的を定式化し、規定することである。組織の諸要素は相互関連的であり、相互依存的であるから、管理職能も同様である。

以下、3要素(3条件)のそれぞれに対応する管理者の機能が論じられていく。

第1節 組織コミュニケーションの維持(The Maintenance of Organization Communication)

まず「明確なコミュニケーション・システムの必要が組織者の最初の仕事を作り出し、それがまた管理組織の直接起源となる」として、コミュニケーション・システムの構築の重要性が確認される。

コミュニケーション・システムの構築は、人の配置とその関係の構築(職位=ポジションの規定)の二面があることが述べられる。

コミュニケーションは人を介してのみ遂行されるのであるから、管理組織に充当されるべき人々を選択することが、コミュニケーションの手段を確立する具体的な方法である。しかし、その後ただちに、職位すなわちコミュニケーションのシステムが創造されなければならない。……コミュニケーション職位と、それに人の活動を「配置すること」とは相互補完的な2側面である。

コミュニケーション・システムの構築は、ほかの管理職能(管理機能)の基礎となるものである。

コミュニケーションシステムの確立と維持の問題、すなわち管理組織の第一の課題は、つねに管理職員と管理職位という二つの側面を結合するということである。……。これが管理職能の中心課題である。この問題を解決しても、それだけではすべての管理職能の働きを達成するのに十分ではないが、しかしながら、それが解決されなければ他の職能が遂行できないのであり、また、それが立派に解決されなければ、どの職能もうまくゆかない。

コミュニケーション・システム構築の二側面を以下のように整理し、これに非公式組織の問題を加えた3点について、考察が進められることになる。

●1 組織構造 The Scheme of Organization

まず、組織におけるポジションの規定を「組織構造」と呼ぶ:「組織職位の規定(the definition of organization positions)を「組織構造(The Scheme of Organization)」と名付けよう」。

組織構造は、目的の細分化、専門化という既に述べられた内容をポジションとして「表現する」ものである。:「組織構造は組織の行う仕事の調整、いいかえれば補助目的、専門化、課業などに細分化された組織目的にもとづき、あるいはこの調整を表現するものである」。

●2 人事 Personnel

ここでは、管理者のポジション(=コミュニケーション・システムのノード)にふさわしい人間についての考察がなされる。

まず、忠誠があげあれるのだが、バーナードは、忠誠を組織人格による支配ととらえる:「管理者に要求される唯一の最も重要な貢献、たしかに最も普遍的な資質は、忠誠、すなわち組織人格による支配である。これはまず第一に必要なものである」。

それは、「責任」、「信奉」、忠誠、忠節、帰依と呼ばれているものに相当する。そして、これらは有形の誘因によって導き出せるものではないことを述べる。

人格的忠誠ならびに帰依という貢献は、有形の誘因にはほとんど動かされない。それは物質的誘因によっても、その他の積極的刺激によっても購われないのである。

「威信への愛着」、「仕事への興味と組織の誇り」などが誘因として効果を持ちうるが、「いかなる組織においても、管理活動に対する適切な誘因を提供することは困難であるのが事実のようである」とされ、誘因の難しさが述べられる。

管理者のポジションの人間に必要なもので、忠誠心以外に必要な能力について、二つの種類の能力をあげる:

忠誠心、責任感、および組織人格になりきる能力の次には、より特殊的な個人能力が問題となる。それらはおよそ二つの種類に分けられる。すなわち、一つには、一般的な機敏さ、広い関心、融通性、適応能力、平静、勇気などを含んだ、かなり一般的な能力であり、他の一つは、特殊的な資質とか習得技術にもとづく専門能力である。第一の一般能力は、全般的な経験を経て成長した天性に依存するから、評価が比較的困難である。

このうち、一般的な能力というものを備えた人間は数多くないこと、そのことが組織の制約になることを言う。

権威のライン上の職位が高くなればなるほど、より一般的な能力が必要となる。かかる能力の希少性が、権威のラインをできるだけ短縮する必要性とあいまって、管理業務の組織を制約する。このことが、ひいては公式管理職位の数を最小限に縮小することになる。

組織構造の人事というものが、組織の統制として中心的になるとされる。

組織構造の展開に伴って、人の選択、昇進、降格、解雇などがコミュニケーション・システム維持の核心となる。選択はある程度まで、……、監督、あるいはいわゆる「統制(control)」の作用に依存する。……。統制は、直接的に、また意識的な適用にあたっては、主として、管理者の業務そのものよりも、むしろ全体としての組織の働きに関係する。しかし、協働の成否は管理組織の機能いかんに強く依存しているので、統制は実際上ほとんど管理者に加えられる。

●3 非公式管理組織(Informal Executive Organization)

「管理者の伝達職能の中には、必要欠くべからず伝達手段としての非公式管理組織を維持することも含まれる」として、コミュニケーション・システムの確立・維持において、非公式組織への働きかけも重要であることを述べる。なお、ここで、唐突に、非公式管理組織というものが導入される。管理組織の非公式組織の関連する側面を一括して呼ぶためのタームであると考えられるが、あたかも非公式組織には非公式な管理組織が存在するかのように読めてしまうのは問題があるようにも思う。

基本的には、コミュニケーションが良好に行われるような管理者が重要ということであり、場合によっては、この非公式的管理への適正によって解任などもありうることが述べられる。

非公式管理組織を維持する一般的方法は、人々の間に調和という一般的状態が維持されるように運営し、そのように管理者を選択し、昇進させることである。公式の能力についてなんら問題がない場合でも、職能を果たすことができないとか「適任でない」ために、昇進も選択もされず、あるいはむしろ解任されねばならないことさえ、おそらくしばしばあるだろうし、またときどきあることは確かである。

また、非公式なものゆえに、一般的な解のようなものがない問題であるとする:「この問題には、少なくとも名目上他の形式的事項にもとづいた法則は別として、何か法則があるとしても少なく、ほとんどないに等しい。この問題はせいぜいのところ、公式組織における個人的関係の政治的側面をあらわすのである」。

非公式的な管理の機能は、まさに非公式に処理することで公式化された場合のトラブルを回避することにある。

非公式管理組織の職能は、公式組織を経由すれば、かならず意思決定を必要とする問題を生ずるとか、威厳ならびに客観的権威を失墜するとか、管理職位に過重の負担をかけるような、目に見えない事実、意見、示唆、疑惑を伝達することであり、また利害および見解の過度の違いから生ずる目に余る政治的派閥を最小限に食い止め、集団の自己鍛練(self-discipline)を促進し、組織における重要な個人的影響力(人格的影響力)の発展を可能にすることである。おそらくそのほかにも色々の職能があろう。

以上で、コミュニケーション・システムの確立・維持に関する職能=機能の考察は終わる。

第2節 必要な活動の確保(The Securing of Essential Services from Individuals)

組織の素材(マテリアル)としての活動を引き出すことが2つ目の管理職能である。

「管理組織の第二の職能は、組織の実体を構成する個人的活動の確保を促進することである(The second function of the executive organization is to promote the securing of the personal services that constitute the material of organizations.)」。

この職能は、関係の誘引(=人を組織との協働関係に誘引すること)と、活動の抽出(=関係に誘引したのち、活動を引き出すこと)の二つに分けられる。

●関係の誘引

●活動の抽出

組織に関わる意思を持った人からいかに活動を引き出すかが、持続的組織における大きな問題である:「確固たる継続的な組織においては、その支持者から質的にも量的にもすぐれた努力を引き出すことが一般により重要であり、人事管理のより大きな部分を占めている」。

ここで、バーナードは、メンバーであること(メンバーシップ)というのは、活動の確保という点からは、最低限の活動しか確保できないとする。メンバーシップだけに頼っていては組織の持続は難しいというのである。組織の持続・発展には、メンバーであることから得られるよりも大きなコミットメントの確保が必要であるというのが、バーナードの立場である。

「メンバーになる」こと、「従業員」であることなどがより具体的な性格をもつために、人事管理の分野としては、組織の真の実体である努力や影響力を実際に生み出すことを促進する業務よりも、採用のほうが注意を受けやすい。メンバーであること、すなわち名目上の結びつきは、たんに出発点であるにすぎない。かかる結びつきの持続を可能ならしめるだけの最低の貢献だけでは、一般に活発または生産的な組織の存続には不十分であろう。したがって、教会、政府、その他のいかなる重要な組織でも、活動を抽出する努力がない場合の水準あるいは量以上に、メンバーの貢献を強化あるいは倍化しなければならないのである。……。要するに、どんな組織も存続するためには、調整、有効性および能率に必要なことをする組織の権威を維持し、成長させるよう慎重に留意せねばならないのである。これまで考察してきたとおり、上述のことは、すでに組織に関係している人々に対する組織のアピールいかんによるのである。

Because of the more tangible character of "membership," being an "employee," etc., recruiting is apt to receive more attention as a field of personnel work than the business of promoting the actual output of efforts and influences, which are the real material of organization. Membership, nominal adherence, is merely the starting point; and the minimum contributions which can be conceived as enabling retention of such connection would generally be insufficient for the survival of active or productive organization. Hence every church, every government, every other important organization, has to intensify or multiply the contributions which its members will make above the level or volume which would occur if no such effort were made. ... In short, every organization to survive must deliberately attend to the maintenance and growth of its authority to do the things necessary for coördination, effectiveness, and efficiency. This, as we have seen, depends upon its appeal to persons who are already related to the organization.

(強調は田中)

メンバーシップを「名目上の付着(nominal adherence)」と言い換えるところに、バーナードのメンバーシップの捉え方が端的に現れている。

第3節 目的と目標の定式化(The Formulation of Purpose and Objectives)

「第3の管理職能は、組織の目的や目標を定式化し定義することである」。

全体的な見地から目的の細分化さどができるのは管理組織である。

無数の同時的および継続的な行動―それは目的あるいは行動を構成する統合の流れである―を定式化し、再規定し、細分し、かつ意思決定をするのは全管理組織(an entire executive organization)であるということが、他の管理職能の場合よりも、この場合に、いっそうはっきりしている。

目的の細分化と割り当ては、責任の割り当てであり、権威の委譲である。

したがって、この職能の決定的側面は責任の割り当て、すなわち客観的権威の委譲である。だからある意味では、この職能はすでにのべた職位構造すなわちコミュニケーション・システムの職能である。コミュニケーション・システムはこの職能の潜在的側面である。他の側面はこの職位構造を生きたシステムたらしめる現実の意思決定であり、行為である。

Hence the critical aspect of this function is the assignment of responsibility - the delegation of the objective authority. Thus in one sense this function is that of the scheme of positions, the system of communication, already discussed. That is its potential aspect. Its other aspect is the actual decisions and conduct which make the scheme a working system.

責任が分化することが述べられる:

抽象的、一般的、将来的、長期的意思決定の責任上層部に委譲されるが、目的の限定の責任や行為の責任は、つねに努力に対する権威が宿る基底部に残されるのである。

Responsibility for abstract, generalizing, prospective, long-run decision is delegated up the line, responsibility for definition, action, remains always at the base where the authority for effort resides.

管理者と現場との乖離という困難が生じることになる。

目的の定式化と規定は広く分散した職能であり、そのうちより一般的な部分だけが管理者の職能である。この事実にこそ、協働システムの運営に内在的で最も重大な困難、すなわち下層の人々に一般的目的、いいかえれば重大決定を教え込んでつねに結束をたもち、究極の細部決定をその線に沿わしめる必要性と、上層部にとっては、とかく遊離しがちな「末端」貢献者の具体的状況ならびに特殊決定をつねに理解している必要性、が存在するのである。

The formulation and definition of purpose is then a widely distributed function, only the more general part of which is executive. In this fact lies the most importatnt inherent difficulty in the operation of coöperative systems - the necessity for indoctrinating those at the lower levels with general purposes, the major decisions, so that they remain cohesive and able to make the ultimate detailed decisions coherent; and the necessity, for those at the higher levels, of constantly understanding the concrete conditions and the specific decisions of the "ultimate" contributors from which and from whom executives are often insulated.

この章の最後に、章の始めでも述べられた、管理職能の全体の中での位置づけが再度確認される。

これらの管理職能が、たんに有機的全体の要素に過ぎないことを認識しなくては、だれも上述のごとき管理職能の極度に集約化された一般的な叙述をしようなどとは考えないであろう。組織を形成するのは、これら諸要素の生きたシステムへの結合である。
 この結合には、二つの相反する行動への刺激が含まれている。第一に、管理職能の具体的な相互作用ならびに相互適応は、一部は、組織環境―全体としての特定協働システムとその環境―の諸要因によって規定される。それは論理的分析プロセスと戦略的要因の識別とが必要であるが、この面は次章で考察しよう。第二に、この結合は、行為の活力すなわち努力しようとする意思を維持することができるかどうかにも等しく依存する。これは道徳的側面、モラールの要因、協働の究極的理由であって、第17章において考察しよう。

Perhaps there are none who could consider even so extremely condensed and general a description of the executive functions as has here been presented without perceiving that these functions are merely elements in an organic whole. It is their combination in a working system that makes an organization.
This combination involves two opposite incitements to action. First, the concrete interaction and mutual adjustment of the executive functions are partly to be determined by the factors of the environment of the organization - the specific coöperative system as a whole and its environment. This involves fundamentally the logical processes of analysis and the discrimination of the strategic factors. We shall consider this aspect in the following chapter. Second, the combination equally depends upon the maintenance of the vitality of action - the will to effort. This is the moral aspect, the element of morale, the ultimate reason for coöperation, to which Chapter XVII will be given.

第16章 管理過程(The Executive Process)

15章の管理職能(機能)が、組織の構造的な側面の管理という意味で組織の3要素(存立条件)に対応していたのに対し、管理プロセスとして論じられるのは組織が活動を行っていくなかでの組織維持の問題であり、組織の存続条件(有効性と能率)に対応することになる。

管理プロセスにおいては、全体としての組織と環境を感知することが重要である:「用いられる手段は相当程度まで論理的に決定された具体的な行為であるが、このプロセスの本質的な側面は全体としての組織とそれに関連する全体情況を感得することである(the essential aspect of the process is the sensing of the organization as a whole and the total situation relevant to it.)」。

管理プロセスは本質的に審美的なものであるとバーナードは言う。

それは科学よりもむしろ芸術の問題であり、論理的であるよりもむしろ審美的である。この理由により、それは記述されるよりはむしろ感得されるものであり、分析によるよりもむしろ結果によって知られるものである。したがって、ここで取り扱いうるのは、管理プロセスがなにから成立するかを細かく規定することよりも、むしろなぜそうであるのかを述べうるだけである。

It is a matter of art rather than science, and is aesthetic rather than logical. For this reason it is recognized rather than described and is known by its effects rather than by analysis. All that I can hope to do is to state why this is so rather than to specify of what the executive process consists.

管理プロセスにおいて、「全体という観点から考慮されなければならない二つの要因は、行為の有効性と能率である」。

第1節

有効性は、基本的には、技術的問題である:「有効性は、最終目的を達成するために全体情況の下で選択された手段が適切であるかどうかということだけに関係がある。これは広義の技術の問題であり、応用科学の技術のみならず、組織構造の技術、儀式の技術、技術システムの技術が含まれる」。

部分最適化と全体最適化のバランスという問題を指摘する。

管理プロセスをかりに組織の有効性の側面ならびに組織活動の技術面だけに限定しても、それは全体の総括のプロセスであり、局部的な考慮と全体的な考慮との間、ならびに一般的な要求と特殊的な要求との間に効果的なバランスを見出すプロセスである。

the executive process, even when narrowed to the aspect of effectiveness of organization and the technologies of organization activity, is one of integration of the whole, of finding the effective balance between the local and the broad considerations, between the general and the specific requirements.

有効性を考慮するにあたっても全体という観点からの考慮が必要ではあるが、「全体という観点がつねに支配的であるのは、能率―それには結局のところ有効性が含まれる―との関連においてである」。

ここでバーナードは適切な管理者(管理組織)というのは少ないということを指摘する。

公式に、秩序立って、全体を考えることはまれで、また考えることさえできず、それができるのは、ただ少数の天才的管理者、あるいはその職員が鋭敏な感覚を持ち、よく統合されている少数の管理組織の場合に限られる。

第2節

能率の問題を論じるにあたって、バーナードは組織の4重経済という概念を導入する。

組織は協働的な人間活動のシステムであって、その機能は、(1)効用の創造、(2)効用の変形、(3)効用の交換である。組織は協働システムを創設することによってこれらの機能を完遂することができるが、協働システムの中では組織が中核であり、同時に一つの補助システムである。そして、協働システムにはさらに、その構成要因として物的システム、人的システム(個人および個人の集合)および社会的システム(他の組織)がある。したがって、効用の創造、変形および交換という見地からすれば、協働システムには、(a)物的経済、(b)社会的経済、(c)個人的経済、(d)組織の経済、という4種類の異なる経済が存在する。

貸借対照表に組み入れられているのは、これら4重経済の部分に過ぎない。

これらすべての経済のうち、ただある部分だけが、通常、商業組織およびその他多くの組織の貸借対照表に組み入れられている。しかし、組織の経済のただ一つの計算書(statement)は成功か失敗かであらわしたものであり、組織の経済に関するただ一つの分析は組織行動に関する意思決定の分析である。組織効用(organization utility)の経済に関する測定単位は存在しないのである。

この4重の経済によって、効用の「余剰」を確保することが、組織の存続の条件となる。

組織の経済の均衡に必要なことは、色々な種類の効用を十分に支配し、交換し、それによって組織を構成する個人活動を支配し、交換しうるようにすることである。そのために組織は、これらの活動を用いることによって効用の適当な供給を確保し、その効用をさらに貢献者に分配してはじめて貢献者から適当な効用の貢献を継続して受けとることができるのである。これらの貢献者が各自の交換において余剰、すなわち純誘因を要求するかぎり、組織は自らの経済において交換、変形および創造によって効用の余剰を確保するときのみ存続することができる。

この4重経済の尺度は、組織の存続である。

どの組織にも四重の経済がある。……。この経済のただ一つの尺度は組織の存続である。組織が成長しておれば、それは明らかに能率的であり、縮小しておれば、能率的かどうか疑わしく、縮小期間中は非能率的であったことが、結局においてわかるだろう。

4重経済は、共通の尺度(計量化による比較可能性)が存在しない。それゆえに、まず、産出と投入を釣り合わすことが不可能である。

すべての組織にあるこの四重経済の基礎には、産出と投入を細部にわたって釣り合わすことが不可能であるという本質的な事実がある。このことは協働システムの性質として、協働システムそのもの、もしくはその生産し、消費するものが、それを構成する部分あるいは貢献の総計よりも多いこともあり、少ないこともある、すなわち両者は異なるということを別の観点から表現したものである。

また、集計といった計算ができるものではない。

部分が集計されても全体になりえないし、また協働の成果は結果による以外、判明しないのであるから、組織の究極の能率は二つのまったく異なる要因、すなわち、(a)部分の能率、(b)全体の創造的な経済、に依存することになる。……。このことは、組織の能率がつぎの二つの統制から生ずることを意味する。一つは、交換点すなわち組織の周辺での収支の細部にわたる統制であり、他は組織に内的で、生産的要因たる調整である。交換は分配要因であり、調整は創造要因である。

このように、経済とは言いながらも、そこでは共通尺度による計量化や測定、あるいは比較ができないものである。結局のところ、結果でしか測定できないというものである。そして、組織の持続という点では、調整によって協働が創造的になることが重要である(重要であるとしか言えない)。

組織の創造的な側面は調整である。効用を生産するために組織の諸要素の適切な組み合わせを確保することは、協働システムを持続させる基礎である。……。生存するためには、協働自体が余剰を生み出さねばならない。……。したがって、多くの事情のもとで、調整の質こそ組織の存続における決定的要因である。

4重の経済が計量不可能、数的比較不可能であるがゆえに、だからこそ、管理者のセンス、4重経済のバランスを感知し、創造性を生み出すように管理を行うセンスが必要とされる。

創造的能率は結果的に技術の発明を含むけれども、性格としてはもともと非技術的である。必要なのは事物の全体感であり、部分を全体に永続的に従属させることであり、最も広範な観点に立って、……、すべての諸要因から戦略的要因を識別することである。物的、生物的、経済的、社会的、個人的および精神的な効用をはかる共通の尺度はありえないから、創造的協働の戦略的要因を決定することは直感の問題であり、釣合い感の問題であり、異質的な諸部分の全体に対する重要な関係の問題である(Since there can be no common measure for the translation of the physical, biological, economic, social, personal, and spiritual utilities involved, the determination of the strategic factors of creative coöperation is a matter of sense, of feeling of proportions, of the significant relationship of heterogeneous details to a whole.)。

ここで、この章の冒頭に出てきた、管理プロセスが審美的なものであるということの意味がはっきりする。

この全般的な管理のプロセスは、その重要な面においては知的なものではなく、審美的、道徳的なものである。かように、そのプロセスの遂行には、適合性の感覚、適切性の感覚および責任―これが協働の達成にとっての最終的表現である―として知られている能力が必要である。

This general executive process is not intellectual in its important aspect; it is aesthetic and moral. Thus its exercise involves the sense of fitness, of the appropriate, and that capacity which is known as responsibility - the final expression for the achievement of coöperation.

つまり、バーナードのいう管理のプロセスに求められるセンスとは、計算できず測定できないものを、感知しバランスをとる感覚のことなのである。

第17章 管理責任の性質(The Nature of Executive Responsibility)

この章では、協働の道徳的側面についての論考が展開される。彼が協働の道徳的側面と呼ぶものは、個人の価値観や行動基準、規範などにかかわるものである。章の冒頭で次のように述べる:

この研究においては、多くの場合、公式組織における行為が個人の選択、動機、価値的態度、効用評価、行動基準および理想に依存することに論究せざるをえなかった。

このように、協働においては道徳的側面もまた重要なのであるが、ここまでの論考では、主として協働の技術的側面を中心にしてきており、道徳的側面が重要であることをここで改めて確認する必要があるわけだ。そして、現実の組織においては、この道徳的側面は、リーダーシップの問題とされること、そして、道徳的側面が多くの側面に関わるものであるがゆえに、リーダーシップもまた多様な問題の解決を担わされたものとして捉えられること、が述べられ、さらに、そうしたリーダーシップの本質は信念を作り出すことにあるとされる。

通常は、構造的な特徴があいまいで、作用要因の把握が困難であるために、人間協働における主要要因を「リーダーシップ」だけに求めることになる。物的環境と人間の生物的構造に伴う諸制約、協働の成果の不確定、目的の共通理解の困難、組織に欠くべからざるコミュニケーション・システムの脆弱さ、個人の分散的な傾向、調整の権威を確立するための個人的同意の必要、組織に定着させ組織の要求に服従させようとする説得の大きな役割、道喜の複雑性と不安定、意思決定という永続的な負担、これらすべての組織要素―道徳的要因はそこに具体的に現れる―からリーダーシップが必要となる。すなわち信念を作り出すことによって協働的な個人的意思決定を鼓舞するような力が必要となるのである(All these elements of organization, in which the moral factor finds its concrete expression, spell the necessity of leadership, the power of individuals to inspire coöperative personal decision by creating faith.)。

しかしながら、バーナードは、リーダーシップを過大視しないように釘を刺す:「リーダーシップとか道徳的要素とかが、組織における唯一の重要な、意味のある一般的な要因であると想定することは、ちょうどリーダーシップがなくても協働の構造とプロセスだけで十分であると考えるのと同じように、誤りである」。

組織にとってリーダーシップは触媒であり起爆剤である。

目的のある協働は構造的性格のある限度内においてのみ可能であり、それは協働に貢献するすべての人々より得られる諸力から生ずるのである。協働の成果はリーダーシップの成果ではなくて、全体としての組織の成果である。しかし、信念を作り出すことができなければ、すなわち、人間努力の生きたシステムがエネルギーおよび満足をたえず交換し続けうる触媒がなければ、これらの構造は存続することができない、否、一般に成立すらしない。生命力が欠乏し、協働が永続できないのである。リーダーシップではなくて協働こそが創造的プロセスである。リーダーシップは協働諸力に不可欠な起爆剤である。

Purposeful coöperation is possible only within certain limits of a structural character, and it arises from forces derived from all who contribute to it. The work of coöperation is not a work of leadership, but of organization as a whole. But these structures do not remain in existence, they usually do not come into being, the vitality is lacking, there is no enduring coöperation, without the creation of faith, the catalyst by which the living system of human efforts is enabled to continue its incessant interchanges of energies and satisfactions. coöperation, not leadership, is the creative process; but leadership is the indispensable fulminator of its forces.

●リーダーシップの二側面

バーナードは、リーダーシップには、技術的な側面と、個人的優越性の二つの側面があるとする。

リーダーシップには二つの側面がある、一つは局部的、個人的、特殊的、一時的である。体力、技能、技術、知覚、知識、記憶、想像力における個人的優越性の側面である。……。これはリーダーシップの技術的な側面である。……。

リーダーシップの第二の側面……、より一般的で、より不変的であり、特定的に育成することが難しく、より絶対的で、主観的であり、社会の態度と理想およびその一般的諸制度を反映するものである。決断力、不屈の精神、耐久力、および勇気における個人的優越性の側面である。

後者の側面のリーダーシップが、「それは行動のを決定するもの」であり、「われわれが普通に「責任」という言葉に含めるリーダーシップの側面であり、人の行動に信頼性と決断力を与え、目的に先見性と理想性を与える性質である」。

●リーダーシップの原理

本章では、リーダーシップと管理責任の道徳的側面に論点を集中して、組織における道徳的要因を考察しよう。直接的状況における個人の内的プロセスの性質(the nature of internal processes of individuals in immediate situations)についていくぶんか考察せざるをえないにしても、個人的道徳、あるいは個人的心理の一般的かつ究極的な源泉についての探求は避けることにするが、一つの重要な例外がある。その一つの例外とは、特定公式組織と密接な永続的関係をもっている個人の心理とか道徳性に対してその公式組織が及ぼす反応である。かような反応があるという事実こそ組織プロセス、したがって、管理職能ならびにリーダーシップと管理責任の一つの主要原理である。

公式組織の側から個人の心理的なものへの働きかけが可能なことに、道徳的側面の管理が可能である根拠が求められるわけである。

第1節

この節では、管理における道徳的要因の議論のための準備的考察として、道徳と責任についての議論が展開される。

●道徳とは行動準則である

バーナードは、道徳というものを、様々な諸力(諸要因)が個人に働きかけることによって個人の内に形成される傾向性、準則(code)であるとする。

道徳とは個人における人格的諸力、すなわち個人に内在する一般的、安定的な性向であって、かかる性向とは一致しない直接的、特殊的な欲望、衝動、あるいは関心はこれを禁止、統制、あるいは修正し、それと一致するものはこれを強化する傾向をもつものである。

この傾向が強く、安定しているときにはじめて責任の一条件が備わることになる。

これらの内的な諸力あるいは一般的な性向は、積極的あるいは消極的な指示からなる私的な行動準則であると解するのが便利である。

どのような道徳を個人が備えているか(道徳水準)と、個人が責任的であることを混同してはならないとバーナードは言う。責任は、道徳のいわば規制力(拘束力)であって、内容の問題ではないというのがバーナードの立場である。

道徳水準と責任とは同一ではない。ここでの目的のために定義する責任とは、反対の行動をしたいという強い欲望あるいは衝動があっても、その個人の行動を規制する特定の私的道徳準則の力をいうのである。

個人の中には複数の道徳=行動準則が形成される。それゆえ、道徳によって責任的なもの=強く守られるものとそうでないものが出てくることになる:「すべての人は、たとえ多くでないにしても、いくつかの私的準則をもつから、そのうちのある準則については責任的であり、他については責任的でないことがありうる。」

第2節

この節では、責任と、個人の道徳の増加について論じられる。

まず、道徳として各人が持つものには偏りがあるという:「私的道徳準則のなかには、多くの人々にとって共通と認められるものと、個々の人あるいは比較的少数の人々だけに限られる特殊のものとがある。」

前節でも述べていたことだが、道徳の内容と責任との混同を批判する:「道徳水準の評価と責任能力とが混同されている。」

責任とは、あくまでも道徳の傾向性(拘束力)の強さ、それは別の点から言えば、遵守力とでも言えるだろうが、そのようなものである: 「大事なことは、責任とは、各自に内在する道徳性がどんなものであっても、それが行動に影響を与えるような個人の資質だということである。」

公式組織に関わることで、個人の中には、組織の道徳が生まれる。

一定の公式組織から派生する私的道徳準則は、まえに「組織人格」として言及したものの一面であり、また「無関心圏」の一面でもある。

これまで心理学的な概念で語られてきた組織に関わる個人の問題が、あらためて道徳という問題として捉え直されるわけである。

個人の道徳水準や責任には差異がある:「人々は彼らの道徳水準の質と相対的な重要性、道徳準則に対する責任感、あるいは誘因の効果の点で一様でないのみならず、また彼らの行動を支配する準則の数にもかなりの差があるので、それによっても異なるのである。」

組織に関わるにつれて個人の道徳は多様化し、それだけ対立も増加する。それゆえに、責任を果たす高い能力が要求されていくのであり、それは誰でもが持つものではないことが述べられる。

準則の対立はたぶん準則の数の増加につれて増加し、おそらくは幾何級数に似た割合で増加するだろう。

責任感の弱い人、能力の限られた人はいずれも、色々な種類の多くの義務を同時的に果たすという重荷にたえることができないのである。

複雑な道徳性、大きな活動性、および高度の責任感という情況は、それに対応した能力がなければ維持できないのである。

第3節

この節では、道徳的側面において管理職位(executive position)に求められるものが論じられる。

管理職位は、(a)複雑な道徳性を含み、(b)高い責任能力を必要とし、(c)活動状態のものとにあり、そのため(d)道徳的要因として、対応した一般的、特殊的な技術的能力を必要とする。これらの点はこれまでの議論のなかに含まれているが、そのうえ、(e)他の人々のために道徳を創造する能力が要求される。

Executive positions (a) imply a complex morality, and (b) require a high capacity of responsibility, (c) under conditions of activity, necessitating (d) commensurate general and specific technical abilities as a moral factor. These are implicit in the previous discussion; in addition there is required (e) the faculty of creating morals for others.

(a)に関連して、バーナードは、管理職能の道徳問題の特質として、道徳の複雑性への対処と道徳創造をあげる。

「管理職能に特有なことは、道徳準則の創造もまた必要だということである。かように管理者の場合は、一般的な個人の道徳問題のほかに、組織によって道徳的な複雑性ならびに責任感のテストのいちじるしい増大と、道徳状態を創造する機能とが付け加えられるのである。」

(b)に関連して、責任を他者の予期に関連付け、信頼の問題として位置づけている。

責任能力とは、準則に反する直接的衝動、欲望あるいは関心にさからい、準則と調和する欲望あるいは関心に向って、道徳準則を強力に遵守する能力である。この能力の一面をあらわす一般的な言葉は「信頼性」であって、その意味は、ある人の準則を知れば―すなわちその人の「性格」を知れば―いろいろな事情のもとでその人がおそらくすること、しないことを正しく予見できるということである

(強調は田中)

(d)に関連して、職位が高くなるほど道徳の対立の複雑化が生じ、意思決定を道徳的に複雑にすること、そこから「決断」が必要とされることを指摘する。

……管理職位が高くなればなるほど、ますます道徳的な対立にさらされ、意思決定過程は道徳的にも、またしばしば技術的にもますます複雑となるのである。

高い責任感がある場合には、これらの対立はつぎの二つの方法のいずれかによってのみ解決できるのである。すなわち、情況の戦略的要因をより正確に決定し、それによっていかなる準則にも反しない「正しい」行為を発見するために、当該環境をさらに分析すること、あるいは一般目的と合致する新しい細部目的を採用すること、のいずれかである。……。いずれのプロセスもある重要な面からみれば、責任のうち「決断(determination)」として知られている部面を表現するものである。

それゆえに、管理職位は高度な能力を要求する:「したがって、管理職能に伴う道徳的な複雑性は、それに対応した能力をもつ者だけがこれにたえることができる。」

そして、過重負担が個人の道徳的資質を破壊することすら起こる:「道徳の低下と個人的責任感の喪失は、一般の人々よりも管理者、とくに政治組織における管理者のほうに、しばしば生ずるように思われる。道徳状態の複雑さと多くの場合避け難い「過重負担」とがそうさせるのである。」

(e)に関連して、道徳の創造が管理責任であることを以下のように述べる:

管理責任は、複雑な道徳準則の遵守のみならず、ほかの人々のための道徳準則の創造をも要求するということを特色とする。この職能の最も一般的に認められている側面が、組織内における「モラール」の確保、創造、鼓舞と呼ばれているものである。これは組織ないし協働システムと客観的権威のシステムに、考え方、基本的態度および忠誠心を教え込むプロセスであり、それが個人的利害とか、個人的準則の重要でない指令を協働的全体の利益に従属せしめることとなるのである。このプロセスには(これまた重要な)技術水準に関する道徳性を確立することも含まれている。

The distinguishing mark of the executive responsibility is that it requires not merely conformance to a complex code of morals but also the creation of moral codes for others. The most generally recognized aspect of this function is called securing, creating, inspiring of "morale" in an organization. This is the process of inculcating points of view, fundamental attitudes, loyalties, to the organization or coöperative system, and to the system of objective authority, that will result in subordinating individual interest and the minor dictates of personal codes to the good of the coöperative whole. This includes (also important) the establishment of the morality of standards of workmanship.

この道徳的創造が適切に行えるかどうかが能力や責任のテストであり、多様な個人に受入れられるものをつくるという難しさを秘めていることが確認される。

モラールを保持するために必要な解釈や仮説を工夫しうるかどうかは、責任および能力のきびしいテストである。というのは、それが健全であるためには、管理者からみて「正しい」、すなわち全体の道徳性と真に調和しなければならないのみならず、また受入れられる、すなわち、部分たる各個人の道徳性とも真に調和しなければならないからである。

第4節

この説では、リーダーシップの本質は、組織道徳の創造という管理責任の創造的側面であることが述べられる。

全体としての創造職能がリーダーシップの本質である。それは管理責任の最高のテストである。なぜなら、創造職能は、これを立派に達成するためには、リーダーの見地からみて個人準則と組織準則とが一致しているという「確信」の要因を必要とするからである。この職能は、組織の構成員に、ならびに公式組織の基底にあって最も速やかに不誠実を感得する非公式組織に、「確信」を与える同化作用である。それがなければすべての組織は滅亡する。なぜならそれは組織を構成するために進んで貢献する人々に、組織への定着要求―いかなる誘因もこれに代わりうるものではない―を起こさせる不可欠の要因だからである。

The creative function as a whole is the essence of leadership. It is the highest test of executive responsibility because it requires for successful accomplishment that element of "conviction" that means identification of personal codes and organization odes in the view of the leader. This is the coalescence that carries "conviction" to the personnel of organization, to that informal organization underlying all formal organization that senses nothing more quickly than insincerity. Without it, all organization is dying, because it is the indispensable element in creating that desire for adherence - for which no incentive is a substitute - on the part of those whose efforts willingly contributed constitute organization.

組織は道徳的なものとしてつくられねばならない、とまとめるならば、このことは、言い方を変えれば、経営者は、理念、哲学、ビジョン、あるいは物語(これらはすべてバーナードのいう道徳として個人の行動に影響を与えるものである)を紡ぐことで組織が存続させなければならない、という話になるわけである。

第5節

バーナードは、「人間協働における最も一般的な戦略的要因は管理能力である」として、道徳的創造を行えるリーダーシップの存否が組織の存続にとって重要な課題であることを確認する。

組織の存続は、それを支配している道徳性の高さに比例する。すなわち、予見、長期目的、高遠な理想こそが協働が持続する基盤なのである。

組織の存続はリーダーシップの良否に依存し、その良否はそれの基盤にある道徳性の高さから生ずるのである。

ただし、リーダーシップを、不可能なことをなしとげる超自然的な能力のように捉えてはならないとする。

リーダーシップは自然の法則を無効にするものでも、また、協働努力に不可欠な諸要因にかわりうるものでもない。そうではなく、それは必要欠くべからざる社会的な本質的存在であって、共同目的に共通な意味を与え、他の諸要因を効果的ならしめる誘因を創造し、変化する環境のなかで、無数の意思決定の主観的側面に一貫性を与え、協働に必要な強い凝集力を生み出す個人的確信を吹き込むものである。

Leadership does not annul the laws of nature, nor is it substitute for the elements essential to coöperative effort; but it is the indispensable social essence that gives common meaning to common purpose, that creates the incentive that makes other incentives effective, that infuses the subjective aspect of countless decisions with consistency in a changing environment, that inspires the personal conviction that produces the vital cohesiveness without which coöperation is impossible.

組織は、管理責任を担ったリーダーによって道徳的存在となりえたとき、存続するものである。

管理責任とは、主としてリーダーの外部から生ずる態度、理想、希望などを反映しつつ、人々の意思を結合して、人々の直接目的やその時代を超える目的を果たさせるよう自らを駆り立てるリーダーの能力である。これらの目的が低く、時間が短いときでさえも、人々の一時的な努力は、人の助けをかりない一人の人を超越する、生命力のある組織の一部になる。しかし、これらの目的が高くて、多くの世代の多数の人々の意思が結合されるときには、組織は永遠に存続することとなる。

管理責任によって組織にもたらされる道徳性の深さと広さこそが重要なのである。

なぜなら、永続的な協働の基盤となっている道徳性は多次元だからである(For the morality that underlines enduring coöperation is multi-dimensional.)。それは全世界から来たり、全世界に展開する。それは、深く過去に根差し、未来永劫に向っている。道徳性は展開するにつれてますます複雑化し、その対立はますます多くかつ深くなり、能力に対する要請はますます高くなり、道徳性が理想を達成することができなければ、ますます悲劇的となるに違いない。しかしリーダーシップの質、その影響力の永続性、その関連する組織の持続性、それによって刺激される調整力など、これらすべてが道徳的抱負の高さと道徳的基盤の広さをあらわすのである(the quality of leadership, persistence of its influence, the durability of its related organizations, the power of the coördination it incites, all express the height of moral aspirations, the breadth of moral foundations.)。
 かように、協働する人々の間では、目に見えるものが、目に見えぬものによって動かされる。無から、人々の目的を形成する精神が生ずるのである(So among those who cooperate the things that are seen are moved by the things unseen. Out of the void comes the spirit that shapes the ends of men.)。

以上、道徳創造としてのリーダーシップ、道徳的存在としての組織、を確認して、この章は終わる。この後に第18章結論が来るが、そこでは、本書の内容の要約と、本書の内容に関してのバーナードの個人的見解が述べられている。その見解の最後で、バーナードは、自由意思と決定論の対立という大きな問題が本書を貫き、組織の問題を貫くものであることを述べている。『経営者の役割』の読解の最後に、その部分を拾っておくことにしよう。

私はこの論点(=「自由意思と決定論という昔ながらの問題」)を、哲学、神学、科学的論文とか、あるいはマルクス主義の論争のなかにではなく、協働における人間行動、組織の社会的制約および管理者の本質的任務のなかに見出したのである。それを人間の日常生活に無関係な抽象的な問題としてではなくて、現実の協働の破綻および生きた人々の道徳的分裂のうちにあらわれる問題として把握したのである。……。
 筆者が意図したわけではなく、あるいはおそらく読者も期待しなかっただろうが、本書はその根底において、人間の生に内在するこの深刻な逆説と感情の対立を含むこととなった(This study had at its heart this deep paradox and conflict of feelings in the lives of men.)。自由と非自由、支配と被支配、選択と被選択、誘因の供与と誘因の拒否不能、権威の源泉と権威の否定不能、独立と従属、人格の育成と非人格化、目的の形成と目的のやむをえざる変更、意思決定のための諸制約の探求、特定なものを探求しながらも全体との関連の保持、リーダーの発見とリーダーシップの拒否、現世支配の希望と見えざるものによる支配―これが本書で述べた社会における人間の物語である(This is the story of man in society told in these pages.)。
 かような物語は終局的には、信念の表明を必要とすることになる。私は人を自由に協働せしめる自由意思を持った人間による協働の力を信じる。また協働を選択する場合にのみ完全に人格的発展が得られると信じる。また各自が選択に対する責任を負うときにのみ、個人的ならびに協働的行動のより高い目的を生み出すごとき精神的結合に入り込むことができると信じる。協働の拡大と個人の発展は相互依存的な現実であり、それらの間の適切な割合すなわちバランスが人類の福祉を向上する必要条件であると信じる。それは社会全体と個人のいずれについても主観的であるから、この割合がどうかということを科学は語りえないと信じる。それは哲学と宗教の問題である。

以上の信念の表明をもって『経営者の役割』は終わるのである。

 

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