Barnard

バーナードとアリストテレス

福井県立大学・経済学部 田中求之

Version 0.9 (Last Modified: March 13, 2013)

はじめに

このページは、チェスター・バーナードが主著の『経営者の役割』のエピグラフとして記しているアリストテレスの文章に関するメモである。飯野春樹先生のもとで学んでいた院生の時に、飯野先生が「エピグラフのアリストテレスの文章の該当箇所が分からないんだよね」とおっしゃっていたと記憶している。その時はそのままだったのだが、インターネットの普及と検索サイトの高度化のおかげで、該当箇所を見つけることができた。そこで、該当箇所の記録ついでに、なぜバーナードは『形而上学』のこの箇所をエピグラフにしたのかを考えるために、内容についてもちょっと検討してみたのがこのページである。なお、『経営者の役割』の最後にはプラトンの『法律編』からの引用が書かれていて、アリストテレスとプラトンを対で引用するあたり、バーナードの哲学好きが出ている。

『経営者の役割』のエピグラフ

まず "The Functions of the Executive" のエピグラフは以下のとおり。

For the efficiency of an army consists partly in the order and partly in the general; but chiefly in the latter, because he does not depend upon the order, but the order depends upon him. All things, both fishes and birds and plants, are ordered together in some way, but not in the same way; and the system is not such that there is no relation between one thing and another. There is a definite connexion. Everything is ordered together to one end; but the arrangement is like that in a household, where the free persons have the least liberty to act at random, and have all or most of their actions preordained for them, whereas the slaves and animals have little common responsibility and act for the most part at random. ---ARISTOTLE, Metaphysics

『新訳 経営者の役割』(山本・田杉・飯野訳、ダイヤモンド社)では以下のように訳されている。

ーというのは、軍隊の能率は一部は秩序によるが、一部は将軍のいかんによるからである。しかし将軍は秩序に依存しないが、秩序は将軍によって決まるがゆえに、将軍のほうがたいせつである。魚鳥であれ、植物であれ、すべてのものは、場合によって異なるにせよ、なんらかの方法で一つの秩序のうちにある。すなわちそのシステムは、一つのものと他のものとが無関係だというようなものではなく、そこにはっきりとした関連がある。あらゆるものは一つの目的に対してともに秩序づけられている。その仕組は一つの家族のようなもので、成員は自由ではあっても、でたらめに行動する自由はきわめて少なく、すべての、あるいはたいていの行動が彼らにとってあらかじめ定められている。ところが奴隷と動物とは共同責任をほとんど持たないから、かえってたいていはでたらめに行動するのである。
アリストテレス 『形而上学』

(「体系」を「システム」に変更してある)

この文章だけを読む限り、リーダーの重要性、秩序、システム、合目的性について述べられた部分を引用したと思われる。

エピグラフの文章に記されているように、これはアリストテレスの『形而上学』からの引用である。『経営者の役割』には『形而上学』のどの部分からの引用であるかは記されていないが、これは "Metaphysics" Book XII Part 10 からの引用である。岩波書店のアリストテレス全集12では、第12巻(λ)第10章 a20 の部分である。

アリストテレスの『形而上学』の中では、引用箇所はどのようなことを述べたものなのか? それを知りたいと思ったのが、このメモを作成した動機である。もっとも、哲学の専門家ではない田中にとって、アリストテレスの『形而上学』に正面から取り組むというのは無茶な話である。『形而上学』についての田中の知識は、(1)プラトンのイデア論を批判して質料(ヒューレ)と形相(エイドス)が結びついて実体としてあるとした、(2)存在や変化の原因として、資料因、形相因、起動因、目的因の4つをあげた、(3)可能態と現実態を区別した、という程度のものしかない。それでも、何か分かるかもしれないということで、少し調べてみたのが以下のメモである。

『形而上学』をめぐって

『形而上学』はギリシャ語で書かれている本であるから、英語や日本語では翻訳ということになる。そこでバーナードが読んだ(引用した)英文はどの翻訳者による版であったのかが分かるかと思い Google であれこれ調べてみたが、田中は見つけることはできなかった。

そのかわり、バーナードの引用とは別の訳者による該当箇所の英文を見つけることができた。それを以下に引用する。この文章と比較することで見えてくるものがあるかもしれない。なお、バーナードのエピグラフでは、いきなり For (というのは)で始まっていて、何の説明なのかが分からない。そこで引用部分より少し範囲を広げてある。

W. D. Ross による英訳

We must consider also in which of two ways the nature of the universe contains the good, and the highest good, whether as something separate and by itself, or as the order of the parts. Probably in both ways, as an army does; for its good is found both in its order and in its leader, and more in the latter; for he does not depend on the order but it depends on him. And all things are ordered together somehow, but not all alike,-both fishes and fowls and plants; and the world is not such that one thing has nothing to do with another, but they are connected. For all are ordered together to one end, but it is as in a house, where the freemen are least at liberty to act at random, but all things or most things are already ordained for them, while the slaves and the animals do little for the common good, and for the most part live at random; for this is the sort of principle that constitutes the nature of each. I mean, for instance, that all must at least come to be dissolved into their elements, and there are other functions similarly in which all share for the good of the whole.

この文章を読む限り、この箇所では善(the good)のあり方を論じている。善はリーダーにも秩序にもある、という二つの善のあり方を述べている。そのことは、バーナードの引用からは読み取れない。何より Ross 訳では good (善)になっている語が、バーナードの引用では efficiency (能率)になっている。

バーナード引用冒頭:

For the efficiency of an army consists partly in the order and partly in the general; but chiefly in the latter, because he does not depend upon the order, but the order depends upon him.

Ross訳該当箇所:

Probably in both ways, as an army does; for its good is found both in its order and in its leader, and more in the latter; for he does not depend on the order but it depends on him.

(強調は田中)

efficiency と good では大きな違いではないだろうか? 言うまでもなく efficiency (能率)は、『経営者の役割』の重要概念の一つである。

もう一つの違いとして、バーナードでは the system になっている語が、Ross 訳では the world になっているというのも注目すべき違いのように思える。バーナードが『形而上学』のこの箇所を引用したのは、システムについて述べているからではないか、と田中は考えている。

バーナード引用:

and the system is not such that there is no relation between one thing and another. There is a definite connexion. Everything is ordered together to one end;

Ross 訳:

and the world is not such that one thing has nothing to do with another, but they are connected. For all are ordered together to one end, ...

(強調は田中)

バーナードは『経営者の役割』の中でシステム(System)について、次のように述べている:

われわれの目的からいえば、システムとは、各部分がそこに含まれる他のすべての部分とある重要な方法で関連をもつがゆえに全体として扱わるべきあるものである、ということができよう。何が重要かということは、特定の目的のために、あるいは特定の観点から、規定された秩序によって決定される。(翻訳 p.80)

For our purposes we may say that a system is something which must be treated as a whole because each part is related to every other part included in it in a significant way. What is significant is determined by order as defined for a particular purpose, or from a particular point of view...(pp.77-78)

『経営者の役割』のシステムについての説明が、エピグラフのアリストテレスの文章とが、 system という単語だけでなく記述内容でも共鳴しているように読めるのだが、この共鳴は system ではなく world だと弱くなってしまうように感じられる。もっとも、バーナードはシステムの階層性を論じているので、世界も一つのシステムである(最上位のシステム)でもいいのかもしれないが。

いずれにせよ、同じアリストテレスの英訳を比較してみても差異があり、バーナードは、彼が引用した英文でなければ、エピグラフにおかなかった可能性はあるように思う。

さて、翻訳でも確認しておこう。岩波書店から出ているアリストテレス全集12形而上学(出隆 訳)では、該当箇所(第12巻(λ)第10章 a20)は以下のように訳されている。

しかし、さらに検討されねばならないのは、善ないし最高善なるものが全体の自然[実在する世界のすべて]に対してつぎのどちらの関係にあるか、すなわち、(1)それはなんらか[世界のすべてから]離れて独立にそれ自体で存在しているのであろうか、それとも(2)[世界のすべてに内在する]秩序なのであろうか、という問題である。あるいはむしろ、(3)これらのどちらでもあるのではなかろうか? たとえば軍隊においてのように、すなわちそこでは、その軍隊の善さは、その秩序にもあるが、また[その上に立つ]指揮官も善でなくてはならないから。ただしそこでは、善はより多く指揮官のがわにある、なぜなら、指揮官はその軍隊の秩序に依って存するのではなく、かえって指揮官[の善]に依ってその秩序[の善さ]が存するのであるから。そして、すべてのものは、游ぐ魚でも飛ぶ鳥でも植物でも、同様の仕方でではないにせよ、とにかくなんらかの仕方で共同的に秩序づけられている。これらすべては、それぞれ他とは無関係に存在するようなものではなくて、互いになんらかの関連をもっている。それは、或る一つのものに向けてすべてが共同的に秩序づけられているからであるが、しかし、それはあたかも家のなかでみられるようにである、すなわちそこでは、自由人たちには行き当たりばったりの勝手なことをすることはほとんど全く許されていないで、かれのするすべての仕事は、あるいはその大部分は、はじめから秩序ただしく定められているが、奴隷や家畜どもは、共同の善のためにはほとんどなにもしないで、行き当たりばったりの勝手なことをして暮らしている。けだし、かれらそれぞれの自然が、まさにかれらそれぞれのそのような生活の原理にほかならないからである。という意味はこうである、すなわち、すべてのものは、やがては必然的に分解されてゆくであろうから、たとえいまは全体のために他のなにごとを共同してすることがなくても、というのである。

翻訳では善のあり方についての議論になっており、Ross 訳の方に近いと言える。

以上のことをふまえると、バーナードが『形而上学』をエピグラフにおいたのは、以下のような理由ではないかと推測される:(1)バーナードは、善のあり方についての議論ではなく、物事の繋がり方、システム的な相互依存のあり方の記述として、アリストテレスの『形而上学』をエピグラフにおいた(だから、議論の途中からの引用になっている)。(2)彼の読んだ英語版では、efficiency と system という重要なキーワードが含まれていた。

これで話としては一区切りというところであるが、『形而上学』について検索した際に、トマス・アクィナスによる『形而上学』のコメンタリー(『形而上学註解』)の英訳版をみつけることができた(THOMAS AQUINAS' WORKS IN ENGLISH)。トマス・アクィナスは中世(13世紀)のスコラ学の代表的な神学者・哲学者で、アリストテレスの哲学とキリスト教の思想を統合した人物である。上記サイトの英語版はおそらくラテン語からの英訳だと思われるが、そこに記されているアリストテレスの英文は、バーナードの引用のものとも、Ross のものとも少し違う。比較してみるのも面白いので、以下に引用しておく("Thomas Aquinas: Commentary on Metaphysics, Book 12: English, LESSON 12より引用)

1102. We must also inquire how the nature of the whole [universe] contains the good and the highest good, whether as something separate and self-subsisting or as the order of its parts.

1103. Or is it in both ways, as an army does? For the good of an army consists both in its order and in its commander, but mainly in the latter; for he does not exist for the sake of the order, but the order exists for him.

1104. And all things, both plants and animals (those that swim and those that fly), are ordered together in some way, but not alike; and things are not such that there is no relation between one thing and another, but there is a connection. For all things are ordered together to one end, but in the same way as in a household, where the children are not permitted to do just as they please, but all or most of the things done are arranged in an orderly way, while the slaves and livestock do little for the common good but act for the most part at random. For the nature of each of these constitutes such a principle. I mean that by it all must be able to be distinguished. And there are other activities which all have in common for the sake of the whole.

(強調は田中)

強調箇所は、さきほどバーナードの引用と Ross 訳の違いとして取り上げた語である。バーナード版の system は、このアクィナス版では things になっている(the world に近い)。

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