このページは福井県立大学の田中求之が2006年1月まで運用していた Mac のサーバ運用に関する会議室 「Web Scripter's Meeting」の記録です。情報が古くなっている可能性がありますのでご注意ください。

EasyBBS の哲学

発言者:田中求之
( Date Tuesday, November 23, 1999 01:27:11 )


…やや大げさなタイトルですが (^_^;; 、EasyBBS およびこの会議室が、一つ
のページにコメントを追記していくスタイルになっていることの理由について
です。ある人からメールでたずねられたのに答えたついでに、この会議室にも
書き込んでおくことにします。

まず、言うまでもないことですが、この、一つのスレッド(発言)を一つの
ページに収めるという形式は、古くからコンピュータの会議室(掲示板)の形
式として存在したものであって、EasyBBS がはじめて採用したものでは決して
ありません。ですから、なぜ、私がこの形式を「採用」したのかという話にな
ります。

さらに、ここで述べる考えは、あくまでも現在の私の考えであって、この会議
室や EasyBBS を作り始めたときに私が考えていたことではありません。つまり、
後付けの理論というものになります。その意味では、事後的に自分の選択を正
当化しようとするバイアスがかかっていることは否めません (^_^;;  決して、
中立的な立場で考えたものではなく、私がなぜこの形にこだわるのかというこ
とを述べた独断に過ぎないということには注意してください。

前置きはこれぐらいにして、本題に入ります。

会議室(掲示板)を設けるということは、コミュニケーションの場を作るとい
うことです。ですから、そのアーキテクチャは、当然のことながら、望むよう
なコミュニケーションが生成しやすいような場を作り仕組みになっている必要
があります。そして、コンピュータによるコミュニケーションにおいては、広
義のソフトウェアの仕様が日常生活における社会的要因に相当するわけですか
ら、ソフトウェアの仕様、つまり会議室の使い勝手=インターフェースが、コ
ミュニケーションの生成に大きな影響を与えることになります。

たとえば、会議室で皆が車座になって座って話し合あうのと、前面の論者に対
して授業を聞くように並んで座るのとでは、その場の雰囲気とか話し合いの内
容が異なるということは、普段の生活において私たちが普通に体験しているこ
とです。これと同じことが、コンピュータのネットワークにおいては、ソフト
ウェアの仕様の問題として現われるということができます。

では、そのソフトウェアの仕様というものは、どの点をもっとも重視するべき
なのか? おそらく、この問に対する答えによって、会議室システムをどのよ
うな形式で構築するのかが異なると言っても良いでしょう。

EasyyBBS においては、なるべくレスポンスが簡単にできること、そして、でき
るだけ気軽にレスポンスができること、をもっとも重要なポイントだと考えて
作ってあります。実際に運用をなさっている方は気がつかれることだとは思い
ますが、EasyBBS においては、アクセスしたユーザーが気軽にコメントができ
ることを最優先にして、その分、管理者が苦労するという仕組みになっていま
す。たとえば、誤った書き込みや無関係な書き込みの削除といった管理者向け
の機能は、ある意味で無視しているとすら言ってもよい作りになっています
(EX 2 ではかなり作り込みましたが)。

なぜか? それは、コンピュータのコミュニケーションにおいては、私たちの
普段のコミュニケーションでは見えにくい、コミュニケーションに内在してい
る不確実性が前面に現われ、そのため、コミュニケーションを成立させること
を最優先にするべきだと考えたからです。

信号伝達と人間のコミュニケーションを同じように考えるという杜撰なモデル
が横行しているため、私たちは、コミュニケーションというものを、自分の意
見を述べることだと考えがちです。つまり、Aという人が、自分の考えを表現
し、それがBという人間に届くということがコミュニケーションだと思ってい
るところがある。しかし、これには大きな間違いが潜んでいます。というのは、
Bに「伝わったかどうか」は、Bから何らのリアクション(新たなコミュニ
ケーション)があって、はじめて分かるということです。つまり、相手にどの
ように伝わったかは、相手からの反応が返ってくるまで分からない。また、た
とえ相手からのリアクションがあったとしても、自分が思うように伝わったの
かどうかは、あくまでも相手のリアクションから私が推定するしかないという
ことです。

端的に言うならば、私が「何を伝えた」のかということは、相手がそれをどの
ように受け止めて、どのように反応したのかということによって決まる。そこ
においては、私個人の意図ではなく、相手の理解こそが、私の行為=発言の意
味を決めるという構造がある。別の観点から言えば、コミュニケーションとは、
相手からの反応をもってはじめて完結するものだということ、更に言えば、複
数の人々の間で進行するプロセスなのだということです。私が何かを言うとい
うことは、コミュニケーションのプロセスのある局面にしか過ぎないのであっ
て、それだけではコミュニケーションが成立していないわけです。

レスポンス無き発言はコミュニケーションではない。

ですから、コミュニケーションには、相手に応えてもらって初めて成立すると
いう危うさがつきまとっているのだと言うことができます。そして、コン
ピュータによるコミュニケーションというものが、様々な技術的な制約や特異
性をもったものであるがゆえに、このコミュニケーションに内在する危うさが
大きな問題として浮上するのだと言ってもよいでしょう。

あなたがどんなに「正しく」て「立派な」意見をのべたところで、相手がそれ
に応えてくれないのであれば、意味がないということです(単なる自己満足は
別にして)。

とすれば、コンピュータのネットワークにおいて、コミュニケーションの場を
作りたいと考えるならば、必然的に、その場に参加した人々(アクセスした
人々)からレスポンスを引きだすか、レスポンスを付けやすいようにするか、
ということこそがポイントになります。コミュニケーションの場を作るという
ことは、端的に言うならば、レスポンスが付けやすい場を作るということに他
ならないと言っても良いでしょう。管理者が管理しやすいなどということを考
えるのは、まるでコミュニケーションの危うさが分かっていないのだと言って
もよい。

レスポンスが生まれてくることこそが、コミュニケーションを生み出すという
ことにほかならない。

また、そのレスポンスも、更なるレスポンスが生まれてくることによってのみ
生きたものになり、その応酬(必ずしも二人の人間に限られたものである必要
はない)がプロセスとして進行していくことが重要だということです。

この点から考えると、現在の技術的な制約のもとでは、一つの発言にレスポン
スが次々にぶら下がっていく形式が、コミュニケーションを生み出すという点
においては、ここの発言が独立したものとなってリンクによってつながれてい
く形式よりも、優れていると考えることができます。

(続く)

田中求之 さんからのコメント
( Monday, November 29, 1999 01:38:29 )

レスポンスを生み出しやすくする工夫というとしては色々なものが考えられま
すが、まず基本的なこととして、レスポンスを付けたい発言を読みながら文章
が書けるということがあげられます。

私たちがレスポンスを書く場合には、レスポンスを付けるメッセージを、場合
によっては何度も読み直しながら、メッセージを書くのが普通でしょう(とい
うか、読み返しながら書かないメッセージは、たいてい、何らかのトラブルの
元を抱え込みやすいと思う)。ですから、なんらかの形で相手の発言をすぐに
読み返すことができるかたちでメッセージが書けるようにすることが、コミュ
ニケーションを生み出すには大切なことだと考えます。

また、発言やコメントの文脈を読み取るという点では、過去の発言を遡って読
めるほうがよいと思います。相手の発言だけにレスポンスするというのは、ど
うしても視野が狭くなったものになり、また、相手の表現に過度に(過敏に)
反応しすぎるように思います。たとえば、NIFTY でも、みんなが Ninja Term 
でコメントを書いていた頃と、茄子のようなログブラウザが登場してからでは、
コメントの付き方などに変化があったように私は感じています(調査してみた
ら、社会学的に面白い結果が出るような気がします)。

もちろん、コメントがリニアしか付けられない(つまり分岐できない)ことに
はメリットとデメリットとがあります。しかし、一つの系列としてしかコメン
トがつながらないという制約が、一定の文脈にそった形でのコミュニケーショ
ンを形作るという点は、私は積極的に評価すべき点だと考えます。

相手の発言を読みながらレスポンスが書けるようにすること、さらには必要に
応じて過去のコメントチェーン(スレッド)を簡単に読めること、この2点が
レスポンスを生みやすくするためには重要なことだと思うのですが、さらにも
う一つ、コミュニティを閉じないようにするというか、極論すればコミュニティ
を作らないようにするという点も重要ではないかと考えています。これについ
ては、アメリカなどのバーチャル・コミュニティの議論(代表的なものがライ
ンホールドのバーチャル・コミュニティですが)と異なる点だと思いますので、
すこし詳しく語ってみたいと思います。

(続く)

田中求之 さんからのコメント
( Tuesday, November 30, 1999 01:07:55 )

掲示板(会議室)というものは、たいていの場合、コミュニティとして語られ
ることが多いわけです。バーチャル・コミュニティってわけですね。確かに、
コミュニティという言葉で語るに相応しいようなコミュニケーションが行われ
ている(またそれを目指している)のは事実なのでしょうが、私自身は、コミュ
ニティという言葉を使うのは躊躇するわけです。

というのは、コミュニティを日本語で共同体と書けば感じられやすいと思うの
ですが、コミュニティは、一定のメンバーで閉じた集まりという側面があるか
らです。いってしまえば、ムラ社会といわれるような、閉塞的な、どこかで排
他的な、そうした側面がコミュニティにはあるのは事実でしょう。それが気に
なる。

もちろん、会議室でコミュニケーションを重ねる中で、色々な常連の人たちが
出てきたり、親しみを持った関係が生まれてくることは当然のことなんですが、
だからといって、その人たちが特別な帰属意識(参加意識)を持ったり、それ
を誇ったりするようになるのは、必ずしも良いことだとは思えないのです。
Web の会議室の利点というのは、過去の発言が比較的容易に読むことがあげら
れます。たしかに、この会議室のように発言が溜まってくると、過去の発言に
目を通すといっても、簡単とは言いがたい状況にはなるわけですが、それでも、
最近の動向ぐらいなら簡単にチェックできる。このことは、その場に居合わせ
なかった人、今、初めてアクセスした人であっても、話の流れを掴み、そこに
入っていくことができるということだと考えます。この点こそが、Web で、誰
もがアクセスできる形で会議室を設けることの意義の一つだと思うわけです。

で、限られたメンバーによる内輪話に閉じてしまわないための仕掛けが、話題
ごとにスレッド(ページ)にして、トップページからはそのタイトルだけしか
見せないということと、全くの匿名(本名やメールアドレスなどの入力を要求
せず、ハンドルや偽名での参加が可能という意味での匿名)での参加を認める
ということにつながります。

トップページには話題のタイトルしか並んでいないということは、ささいなこ
とのように思えますが、このことは、誰が数多く発言しているのかといったこ
とが表には現われないということです。あたりまえのことですが、このことが
持っている意義は、けっこう大きいかもしれないと思うわけです。

もちろん、色々な発言を読んでいくうちに、たとえば田中求之があれこれと
色々なところで偉そうに発言しているといったことはわかってくることではあ
りますが、少なくとも、初めてアクセスした人から見たとき、その会議室が特
定の常連が活発に発言しているのか、それとも色々な人が発言しているのかと
いったことは「分かりにくい」わけです。このことは、ある意味では会議室の
雰囲気というか状況の把握にはマイナスなのかも知れませんが、特定のメン
バーの存在を感じさせないという点ではプラスではないかと考えられるわけで
す。

(続く)